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玄田有史「希望のつくり方」

経済

希望のつくり方 (岩波新書)

希望のつくり方 (岩波新書)

 近年、精力的に「希望学」を提唱されている玄田氏による新書です。

 仕事に就けない多くの若者に共通して欠落しているのが希望だと著者は述べています。では、希望とは何か。著者は以下のように定義します。

「Hope is a Wish for Something to Come True by Action. 」

 この定義には4つの柱が含まれていると著者は述べています。すなわち、「気持ち」「何か」「実現」「行動」の4つです。

 注目される点は、著者が「ウィーク・タイズ」の重要性を強調されている点です。これは、米国の社会学者マーク・グラノヴェターという方が転職について提唱した概念のようで、自分と異なる情報を持っている人との緩やかなつながりが転職を成功させる条件として重要だという指摘だとのこと。著者は、この「ウィーク・タイズ」を持っている人の方が仕事に希望を持ちやすいと述べています。


 さて、本書に関する私見を述べると、私は著者が「希望」に向かい合う真摯な姿勢には大変好感を持ちますし、講義に関する自分の挫折の経験まで披露しながら論じられていることは、著者の誠実な人柄を表しているのではないかと思います。

 しかしながら、本書からは、希望を持ちにくい現代において、希望を持つことの重要性を訴える熱意は伝わってくるのですが、他方、希望を持てないでいる人が具体的にどんな希望を持てばよいのかについては、結局曖昧なままです。

 著者は、希望は自分で探し、自分でつくっていくものであって、与えられた希望は本当の希望ではないと述べています。だから、希望の具体的内容については、本書ではあまり語られていません。
 しかし、希望が持ちにくいという社会状況を問題としている以上、論じられなければならないのは、現代の若者がどのような希望を持ったらよいか?という点にあるはずです。確かに希望が前提だったかつての時代とは異なり、今日の希望の内容は多様化していますが、具体的な希望の内容に関する議論がないままに「希望を取り戻せ」と言われても、根本的な解決には何らつながっていかないでしょう。

 著者は、希望の内容を語るのは政治の役割ではなく、政治は絶望を避けることがその役割なのだとしています。果たしてそうでしょうか?私はそうは思いません。希望を語ることは政治の大きな役割の一つなのではないかと思うのです。

 菅総理は就任記者会見で「最小不幸社会」を目指すことを明らかにしました。この菅総理の姿勢は、玄田氏の政治の役割に関する見解にはマッチしていることになるのかもしれませんが、私は政治のメッセージとしては極めて後ろ向きだと思います。

 私は、今日の若者が希望を持てないのは、政治が社会の希望を示せないことに大きな原因があるのではないかと思うのです。

 民主党の政治は、事業仕分けで無駄をあぶり出すというパフォーマンスによって国民の支持率を上げることに血眼になっています。もちろん、行政の非効率性を監視するのは政治の大きな役割の一つかもしれませんが、そうした取組は、希望を打ち出すという前向きな取組とペアでなされるべきでしょう。菅政権ほど前向きなメッセージが見えてこない内閣(つまり何をやりたいのかが分からない内閣)はこれまで無かったのではないでしょうか。

 本書の話に戻れば、本書は、希望の内容は個々人が決めるという前提を頑なに維持しようとするあまり、その具体的内容、つまり著者のいう希望の4つの要素のうちの「何か」(Something)にほとんど触れられないままになってしまっており、そのことが物足りなさにつながってしまっているのです。そして、あげくには、

「未来の最悪の状況をリアルに想像することで、希望が生まれることもあるのです。」(p177)

と述べてしまう始末です。

 私は、本書でもほんの少しだけ触れられているように、日本ではあまりにも仕事に希望を求めすぎることに問題があるのではないかと思います。仕事の内容は様々であり、すべての人々が仕事に希望を持てるわけがないにもかかわらず、社会は仕事に希望を持てという暗黙のプレッシャーをかけていること自体に問題があるのではないでしょうか。

 ジョン・K・ガルブレイスは『悪意なき欺瞞』の中で次のように述べています。

「「労働」には二つの意味がある。一つは、強制される働き。もう一つは、人もうらやむ威信と報酬と快楽の源泉としての働き。まったく違う二つの事柄に同じ言葉を充てるのが、欺瞞であることは言うまでもない。」

 さらに、ガルブレイスは次のように続けます。

「それだけではない。仕事を最も楽しんでいる連中こそが―このことを強調しておかねばならないのだが―ほとんど例外なしに最高の報酬を得ているのである。」
「要するに、お褒めにあずかるのは、仕事を楽しむ人々なのである。」

悪意なき欺瞞

悪意なき欺瞞

 私はこのガルブレイスの言葉に極めて共感します。まさに目から鱗が落ちる指摘です。

 つまり、「労働」あるいは「仕事」という言葉の中に、あまりにも多義的な要素が詰め込まれ過ぎているにもかかわらず、それが一括りの概念にされた上に、仕事を楽しんでいる人々こそが、そうでない人々に対して「仕事に希望を持て!」と上から目線で言ってしまっているところに、現代社会の問題があるのではないでしょうか。

 希望学を論じるのであれば、こういう視点は絶対に不可欠だと思うのですが、一連の希望学のプロジェクトの中で、こうした点が論じられた形跡は私の知る限りあまり見られないようです。本書について見ても、やはり仕事における希望という視点に収まってしまっているような印象です。

 だから、希望学全体に何か物足りなさを感じてしまうのです。

 希望を問題にする視点が重要であることは全く否定しません。だからこそ、肝心な議論がなされていないことは、実に勿体ない気がしてしまうのです。