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映画、書評、ジャズなど

「善き人のためのソナタ」★★★★★

善き人のためのソナタ廉価版【初回限定生産】 [DVD]

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 2006年のアカデミー外国語映画賞受賞作品です。

 冷戦崩壊直前の東ドイツで諜報活動に当たっていた党諜報員が、党の方針を裏切って芸術家たちの反政府行為を見逃したというストーリーの作品です。自らの良心に従ってこっそりと盗聴をサボタージュする諜報員の心理が非常にうまく伝わってくる名作です。

 東ドイツの劇作家ドライマンは、東ドイツ国家保安省のヘムプフ大臣から目をつけられ、ドライマンに対する諜報活動を命ずる。ドライマンの恋人で女優のクリスタはヘムプフ大臣のお気に入りでもあった。

 諜報活動に当たったのは、党の諜報員ヴィースラーだった。ヴィースラーは盗聴を積み重ねるうちに、ドライマンらが西ドイツの雑誌に、東ドイツが自殺率の高さから自殺の統計を取ることをやめるようになったことを告発する寄稿を行おうとしていることを察知する。しかし、ヴィースラーはこの盗聴を党幹部に報告しなかった。結局、この寄稿が掲載され、党は犯人捜しを始める。

 そんな中、ヘムプフ大臣の誘いを断りドライマンを選んだクリスタは、ヘムプフの不評を買い、薬物の不正購入で拘束される。クリスタは女優生命の存続のため、ドライマンが寄稿者であることを党に告げ、寄稿文を作成したタイプライターの隠し場所を党に伝えた。

 党は直ちにドライマンの部屋を捜索する。クリスタは恋人を裏切った良心の呵責で、自殺同然で自動車に飛び込んで命を落とす。しかし、ドライマンの部屋からタイプライターは見つからなかった。ヴィースラーが先回りしてタイプライターを撤去していたのだった。ヴィースラーは結局閑職に飛ばされ、地下室で手紙の開封を繰り返す業務に従事することとなる。

 やがてベルリンの壁は崩壊した。ドライマンは自分の部屋がなぜ盗聴の対象とならなかったのか疑問を持ち、ヘムプフに問いただしたところ、ヘムプフから実は盗聴されていたことを告げられる。ドライマンはその真相を探っていくうちに、ある諜報員が自分の反政府活動を見逃していたことを知った。その諜報員は今では郵便配達員だった。

 ドライマンは数年後に出版した本に、この諜報員に対する謝辞を掲載する。。。


 かつて村上春樹氏がインタビューの中で、小説について、

「会話でいちばん大事なことは、じつは言い残すことなんです。いちばん言いたいことは言葉にしてはいけない。そこでとまってしまうから。」

と述べていましたが、この映画を見たとき、映画についても同じことが言えるのではないかという気がしました。良い映画作品というのは、登場人物に大事なことをストレートに言わせるのではなく、登場人物の仕草や映像描写から、その登場人物の心理を見る側に伝えるような作品なのではないかという気がするのです。やや極論して言えば、優れた映画は音を消して無声映画として見ても、映像だけから肝心な部分が伝わってくるような気がするのです。

 この作品のポイントも、ヴィースラーやクリスタの揺れる心理描写です。スパイものというのは、揺れ動く心理こそが命であり、そこに説得力がなければそれだけで台無しになってしまうのですが、この作品は重要人物たちに余計なセリフを言わせることなく、実にうまく心理描写が伝わってきます。

 最後、ドライマンが道で見かけたヴィースラーに直接声をかけるのをとどまり、本の謝辞で感謝の念を伝えるというエンディングは、映画史上に残るといってもよいほどの見事な作りです。