- 作者: 村上春樹
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2005/02/28
- メディア: 文庫
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物語は、田村カフカという15歳の少年と、ナカタさんという老人の2人について、並行的に進んでいきます。カフカ少年は幼少の頃、母親が姉だけを連れて出て行ってしまい、父親と2人で暮らしていたものの、父親の元から家出をして四国に向かいます。他方、ナカタさんは第二次大戦中の疎開中に、学校のクラスで遠足に行った際、突然意識を失い、その後意識を回復したものの、記憶や識字能力が失われてしまった代わりに、猫の言葉を理解できるという特殊な能力を身につけます。
中田さんはある飼い猫の探索を頼まれて探している最中に、ジョニー・ウォーカーと名乗る猫殺しを趣味とする老人に出逢い、ジョニー・ウォーカーから自分を殺してくれるように頼まれ、中田さんは猫の命を救うためにジョニー・ウォーカーを殺害します。その後、警察に出頭したものの相手にされず、そのまま四国に向かいます。
カフカ少年は四国に向かう途中にさくらさんという女性に出会い、自分の姉ではないかと想像します。また、四国のとある小さな図書館で大島さんというゲイの女性と出会い、そこに住み着くこととなります。その図書館は佐伯さんという婦人が管理しています。佐伯さんは10代の頃の恋人が学園闘争の中で他人と間違えられて撲殺され、それ以降、時間が止まったような状況で生きてきた女性です。カフカ少年はこの佐伯さんが自分の母親ではないかと想像します。そして、やがてカフカ少年と佐伯さんはベッドを共にすることになります。
ナカタさんは四国に向かう途中、ホシノさんという運転手の青年と出会い、自分の祖父と似ているナカタさんに興味を持ったホシノさんはナカタさんと共に行動することになります。ナカタさんは普通の人になるためにある石を探しているのですが、その場所はどこか分かりません。そこにカーネル・サンダースと名乗る人物が現れ、その石のありかに導いてくれます。そして、その石をひっくり返して“入り口”を開きます。
カフカ少年は大島さんの別荘の奥の山道を進んでいき、戦時中にそこで行方不明になった2人の兵士と出会い、その兵士たちに案内されて、別の世界にたどり着きます。そこで佐伯さんと再会し、カフカ少年は佐伯さんに対して自分の母親かどうか聞きます。佐伯さんはそれは「仮説として機能している」と答えます。カフカ少年は佐伯さんから元の世界に戻るように促され、再び元の世界に帰って行きます。
ナカタさんは佐伯さんの管理する図書館にたどり着き、佐伯さんに面会します。佐伯さんはナカタさんが来るのを待っていたのです。佐伯さんはナカタさんに自分の回想録を焼却するよう依頼します。その後佐伯さんは穏やかに亡くなっていきます。佐伯さんの回想録を焼却した後、ナカタさんもやはり穏やかに亡くなっていきます。
カフカ少年は佐伯さんの形見の品である「海辺のカフカ」の絵を抱えて東京に戻っていく。。。
この物語がオイディプス神話に基づいていることは言うまでもありません。父殺しと母との交わりが物語の骨格となっていますが、それに姉との交わりも加わっています。村上氏はインタビューの中で、神話とフィクションとの関係について以下のように述べています。
「神話という元型回路が我々の中にもともとセットされていて、僕らはときどきその元型回路を通して同時的にものごとのビジョンを理解するんです。だからフィクションは、ある場合には神話のフィールドにぽっと収まってしまうことになる。物語が本来的な物語としての機能を果たせば果たすほど、それはどんどん神話に近くなる。もっと極端な言い方をするなら、分裂症的な世界に近くなっていくということかもしれない。」
http://www.shinchosha.co.jp/shinkan/nami/shoseki/353414.html
ここでは村上氏の神話観がよく現れています。構造主義の考え方のように神話的思考が人々の思考回路にしっかりと埋め込まれており、フィクションが神話にすっぽりと重なり得るというわけです。
これ以外にも、本書にはいろいろなテーマが埋め込まれていて、それはそれで興味深いのですが、本書についてそれ以上深読みしてもあまり意味はないように思います。
むしろ私がこの作品に惹かれるのは、佐伯さんという人物像です。10代の頃の大恋愛と恋人の死で人生の時計が止まってしまっており、50歳になっても10代の頃のかつての恋人像を追い求めている、そして、田舎の私立図書館で穏やかな時を過ごし、カフカ少年を当時の恋人像と重ね合わせて、やがてベッドを共にしてしまう。これだけ年が離れた恋愛であるにもかかわらず、そこには全くいやらしさのかけらもなく、映画のワンシーンのような美しい情景に仕上がっているのです。
それに、ナカタさんと行動を共にするホシノさんという青年のキャラクターにも大変魅力を感じます。小さい頃から素行は良くなかったものの、ナカタさんという純朴な老人と出会ってその人柄に惚れ込み、ナカタさんと一緒になって賢明に石を探す姿に、何か救いを感じてしまいます。
この2人の人物によって、この作品の魅力が大きくアップしているように思います。
ちなみに、個人的にはカフカ少年が森の中を進んでいくときにジョン・コルトレーンの『マイ・フェヴァリット・シングス』が流れているシーンが好きです。コルトレーンはこの曲を飽きもせずに毎日練習していたそうですが、この単調なメロディーが繰り返される曲調が、一人で森の中を進んでいく場面と大変マッチしているような気がするのです。
まぁ、いろいろ好き嫌いがあるかと思いますが、私はこの作品よりも『ノルウェイの森』の方が好きなので、映画の公開が大変待ち遠しいです。