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鳴海邦硯「都市の自由空間」

都市の自由空間―街路から広がるまちづくり

都市の自由空間―街路から広がるまちづくり

 都市空間を「イエ的な空間」と「ミチ的な空間」とに分け、後者を「自由空間」と呼んでその重要性を説いている本です。人々が交流する街づくりを考える上で非常に示唆に富む本です。

 著者のいう「ミチ的な空間」とは、多くの人々が通行や遊びに利用する道路や広場の空間のことです。この空間は、自然や人と出会い、様々な仕事や情報と出会う場であり、この空間こそが都市の魅力を表現していると著者は述べています。

 原初的な集落においては中央空地が人々を結びつける空間でしたが、中世になると中央空地の担っていた役割は街路に追い出されることになります。そして、人々が集まる空間は施設化され、都市に大勢の人々が集まる空間が形成されていくのです。

 日本では江戸時代に花見の遊山空間などの娯楽空間が形成されていきます。こうした娯楽空間は、コミュニケーションの空間として都市空間の中でも最も重要な役割を担っていると著者は述べています。娯楽空間が形成される条件として著者が「空地性」と「無主性」を挙げている点は注目されます。

 そして著者は、「自由空間」を「近隣型自由空間」と「繁華地区型自由空間」の2つに分類しています。前者の「近隣型自由空間」は、街路を中心とするストリート・コミュニティと呼ぶべきものですが、これは街路への自動車の侵入によって崩壊の危機に瀕しています。他方、娯楽的空間に代表される後者の「繁華地区型自由空間」は、様々な商業形態を伴って多様化していきます。

 本書は、とにかくあらゆる「自由空間」を分析し、都市における「自由空間」の重要性を説いています。都市では人間が交流することを通じて文化が生まれるわけですから、人々が交流する場が非常に重要であることは言うまでもありません。しかしながら、案外、人々が交流する場としての都市空間の本質をきちんと分析した本は少なく、その意味で本書は新鮮味があります。

 本書はもともと1982年に出版された中公新書をベースとして大幅に加筆修正されたものですが、加筆修正前の本の中で著者は、多くの人々にとって自分の住居以外は自分に関係ない空間になってしまい、くつろぎの場が狭い住居の中に押し込められてしまっているのではないかといった趣旨のことを述べておられます。

「わたしたちは住居の外にも「お気に入り」の空間をつくり出す必要がある。それは散歩のできる道であったり、街角の光景であったりもする。また、気のおけない仲間が集まることのできる場所でもある。これはすなわち広い意味での自由空間なのである。」

 私はこの見解に共感します。自由空間をもっと快適なものとし、リラックスできる空間とすることが、我々の生活を更に豊かなものとしてくれるのではないかと思うのです。しかしながら、実際の都市空間においては、いまだこうしたリラックスルできる空間が圧倒的に不足しているような気がするのです。

 例えば、東京について見ると、ホッとくつろげるようなカフェがどれくらいあるでしょうか?歩いていて気持ちよくなる歩道がどれだけあるでしょうか?

 私たちは街づくりを考える上で、もっと「自由空間」の重要性を認識すべきだということを改めて考えさせてくれる本でした。