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映画、書評、ジャズなど

鳩山総理の言葉の軽さ

政治

 鳩山総理の言葉の軽さについては、メディアで散々取り上げられてきています。「辺野古の海が埋め立てられることは自然への冒涜」、「最低でも県外」等々の発言は、結果から見れば明らかに口から出た言葉と反した結果をもたらしています。

 ところで、今ちょうどマイケル・サンデル教授の『これからの「正義」の話をしよう』を読み進めているところなのですが、この中のカントの思想分析が、鳩山総理の言葉の軽さを考える上で役立ちましたので、少し紹介したいと思います。

これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学

これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学

 カントは嘘をつくという行為に非常に厳しい態度を取りました。例えば、友人があなたの家に隠れていて、殺人者が彼女を探しに戸口へやってきたら、殺人者に嘘をつくのは正しいことではないのか。しかし、カントの答えはノーです。つまり、殺人者に対しても真実を告げる義務は適用されるというのです。

 サンデル教授は本書の中でカントのこうした見方をあえて擁護します。上記の例で嘘をつかずにどのように対処すればよいのか?「いいえ、彼女がここにはいません」では嘘をついたことになりますので、カントに言わせれば道徳的に認められないことになります。しかし、「一時間前、ここからちょっと行ったところにあるスーパーで見かけました」と言えば、誤解を招く表現ではあるものの、真実ですから、嘘をついたことにはなりません。

 また、例えば、ある友人からプレゼントをもらい、箱を開けてみたものの、センスの悪いネクタイが入っていて、こんなの一生締めっこない、と思ったとします。ここで相手に対して「素敵なネクタイじゃないか」と言えばそれは罪のない嘘ではあるものの嘘をついたことになるので、道徳的には認められませんが、「こんなこと、してくれなくてもよかったのに」や「こんなネクタイ見たことないよ。ありがとう」と言えば、相手にはネクタイが気に入っているという印象を与えるかもしれませんが、あくまで本当のことを言っているので、道徳的には認められるということになります。

 カント自身も苦しい選択を迫られたときは、この手を使ったようです。

 ここで鳩山総理の言葉の軽さとどうつながってくるかということですが、言わんとしていることは、鳩山総理のこれまでの言動はカントの道徳哲学に明らかに反してしまっているということです。つまり、結果から見れば鳩山総理の言葉は嘘になってしまっているのです。

 こうした鳩山総理の言葉と対照的なのは、クリントン大統領の言葉です。サンデル教授は、クリントン大統領に対して、

「近年思いつくかぎり、アメリカの公人で彼ほど巧妙に言葉を選んで、否定の言葉を練り上げた者はいない。」

と絶賛(?)しています。

 例えばクリントン大統領は、麻薬を使ったことはあるかとの質問に対し、自分の国の麻薬取締法を破ったことは一度もないと答えましたが、のちにイギリスのオックスフォード大学留学中にマリファナを試したことがあると認めました。

 また、クリントン大統領は、モニカ・ルインスキーとの関係については、次のように述べました。

「アメリカ国民のみなさんにこれだけは申し上げたいと思います。どうか私の言葉に耳を傾けてください・・・私はあの女性、ミズ・ルインスキーと性的関係は持っていません。」

 この「性的関係」という表現がポイントです。後に2人の接触が明らかになったとき、クリントン大統領の弁護士は、クリントン大統領が誤解を招くような表現をしたことや、非難に値する行為をしたことは認めたものの、「性的関係」という言葉の定義に照らし、クリントン大統領が嘘をついたことだけは認めるのを拒みました。

 サンデル教授は次のように述べています。

「もし戸口に殺人者が来たり、ばつの悪いセックス・スキャンダルに巻き込まれたりしたときに、誰もが嘘をつくという方針を採用すれば、誰も相手の言葉を信じなくなるので嘘の効果はなくなる。しかし誤解を招く真実の場合は違う。危機的状況やばつの悪い状況に陥ったとに、誰もが言葉を選んで言い逃れをしても、世間は必ずしも彼らを信じるのをやめはしない。その代わり、弁護士のように耳をそばだて、それが文字どおりの意味かどうかを慎重に分析するようになる。これこそ、クリントンが注意深く言葉を選んで否定の声明を出したときに、マスコミと国民がしたことだった。」

 窮地に追い込まれた際に注意深くを言葉を選んだクリントン大統領と、結果的に正反対の結論となってしまうような言葉を吐いてしまった鳩山総理。いまだに国民的人気の高いクリントン大統領と支持率低下に喘ぐ鳩山総理の違いは、こうしたカント的道徳観に対する畏敬の深さの違いから生じているのかもしれません。

 なお、サンデル教授も、戸口に立っている殺人者に嘘をつくのは誤りというカントの主張を究極的に正当化することはできないかもしれないことは認めています。サンデル教授の言わんとしていることは、嘘をつくことは相手の信用を失うという点で、誤解を招いても嘘ではない言葉と決定的に違うということです。一端嘘をついてしまえば、相手は二度とその人の言葉に耳を傾けなくなります。愚直にがんばったけど駄目だったと事後的に言い訳したとしても、もはや言葉に対する信頼は取り返しがつかないものとなってしまっているのです。


 ちなみに、サンデル教授の書籍については、また改めてご紹介したいと思いますが、NHKテレビの講義と同様、大変分かりやすく素晴らしいものです。