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ヘニング・マンケル「白い雌ライオン」

白い雌ライオン (創元推理文庫)

白い雌ライオン (創元推理文庫)

 スウェーデンの片田舎で起こったある女性の殺人事件が、南アフリカアパルトヘイト政策へとつながっていく壮大なミステリー作品です。文庫本で700ページにもなる長編作品ですが、翻訳のうまさもあって、さぁーっと読み通してしまいました。

 スウェーデンの片田舎で不動産業を営むルイス・オーケルブロムは、ある物件を下見に行く途中に道に迷い、偶々立ち寄った家で見知らぬ男に射殺される。ルイスは敬虔なメソジスト教会の信者で、特に恨みを買うような女性ではなかった。そして事態はさらに複雑化する。警察が捜索していた近辺の家で突然爆発が起こったのだ。爆発の後からは南アフリカ製の銃やロシア製の機材が見つかった。そして、爆破のあった家の近くで黒人の指が一本見つかった。やがて女性の死体が井戸の中から見つかる。

 女性の死と南ア、ロシア、黒人の指は一体どのようにつながってくるのか??この謎をヴァランダー刑事は解きほぐしていく。この事件の背景には、南アのアパルトヘイト政策があったのだ。デクラーク大統領によるマンデラ氏の釈放に強い危機感を覚えた南アのボーア人たちの秘密結社「兄弟の絆」は、南ア国内に混乱を招くことによってボーア人の政権を維持しようと企んでいた。黒人が黒人を殺すことによって南アの国内情勢は混乱し、ボーア人が強攻策に出る口実を作ろうとしていたのだった。

 南アの秘密情報機関の高官で狂信的なボーア人であるヤン・クラインは、あえて南アから遠い国であるスウェーデンに黒人狙撃手ヴィクトール・マバシャを送り込み、そこから南アに入国させ、マンデラ氏を殺害させようとしていた。その手助けをしたのが、元KGBのコノヴァレンコだった。ルイス・オーケルブロムはこの2人がいたアジトを偶然覗いてしまったがために、コノヴァレンコに冷酷に射殺されたのだった。マバシャはこうしたコノヴァレンコの冷酷さに反発し、コノヴァレンコと揉み合いになり、コノヴァレンコによって指を削ぎ落とされたのだった。

 コノヴァレンコは逃げたマバシャを殺害しようと行方を追う。ヴァランダー刑事はコノヴァレンコとマバシャとルイス・オーケルブロムの殺害につながりがあることを見抜く。ヴァランダー刑事はマバシャの境遇に同情し、彼を家に匿うが、結局、マバシャはコノヴァレンコに殺されてしまう。ヴァランダー刑事は自分の娘をコノヴァレンコに誘拐・監禁されるものの、最終的にはコノヴァレンコを死に追いやった。

 南アのヤン・クラインはマバシャに代わる狙撃手シコシ・ツイキをコノヴァレンコの下に送り込んでいたが、ツイキは南アへの潜入に成功する。ヴァランダー刑事はインターポールを通じて、ツイキが狙撃手であることを知らせる。途中連絡がうまくいかなかったものの、狙撃直前に南アにその一報が届き、マンデラ氏の殺害は直前に食い止められたのだった・・・。



 アパルトヘイト政策を行う南アフリカと、そこからもっとも遠い関係にあるスウェーデンがつながってくるところに、この作品のスケールの大きさと醍醐味が現れています。ボーア人の優位性を失いたくない一派が、南アの国内を混乱に陥れることでボーア人の楽園を維持しようとするという設定はいかにもありそうなものです。そして、南アの黒人たちも決して一枚岩ではなく、内部の対立を抱えていた、そこにボーア人がつけ込もうとしたという設定も実によく練られたものとなっています。

 ちなみにこの作品のタイトル「白い雌ライオン」は、当時の南ア社会の緊迫した情勢を表現したものです。月光の下で白く光り輝く雌ライオンは、いつ飛びかかってくるかわからない凄みを持っています。それがいつ何が起こってもおかしくないという南ア社会の緊迫感の比喩となっているのです。

「危険が近づいているという感覚、しかもそれがいつ制御不能の暴力に移るかわからないという雰囲気は、彼の国の日々の生活の特徴だった。なにかが起きるのを待ってだれもが暮らしていた。野生動物が彼らをみつめている。人々の中にいる野生動物が。黒人は変化が遅すぎるという苛立ちをもって待ち、白人は優位性を失う恐れ、未来への恐れをもって待っていた。それはいま川縁で彼らをながめている雌ライオンを彼らが待っている状況と似ていた。」

 世界を股にかけたミステリーの醍醐味が存分に堪能できる大作です。