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普天間飛行場を巡る混迷

 鳩山政権の普天間飛行場を巡る混迷状況は、見るに堪えません。

 鳩山総理がいう沖縄の負担軽減の必要性については、誰しもが認識している課題です。戦後65年が経とうとしている今、多くの日本人にとって悲惨な戦争は歴史的事実となりつつありますが、唯一、沖縄県民だけがいまだ戦争にどっぷり浸かっている状況と言っても過言ではありません。1956年に刊行された経済白書に「もはや戦後ではない」と記されたのははるか昔の話ですが、沖縄の人々にとっていまだ戦争は終わっていないのです。

 こうした状況の中で、鳩山総理が普天間飛行場の代替地を国外あるいは沖縄県外に持って行きたいという気持ちは、気持ちとしてもちろん理解できます。グアムや県外に移転できればそれに越したことはありません。

 しかしながら、現在の東アジアにおける軍事上のパワーバランスにおいて、米軍の存在が大きな位置づけを占めていることは、厳然とした事実です。米軍の軍事作戦遂行に支障が生じ得るような移転は困難であることは認めざるを得ませんし、そうなればひいては我が国の安全保障にも支障が生じることになります。我が国の安全保障は残念ながら駐留米軍に大きく依存しているのです。

 周知のとおり、我が国は憲法9条において自衛の目的を除く武力の行使を禁じられています。さらに、日本が有事の際には日米安保条約に基づき米軍が日本の安全を守るという構図になっています。他方、日本は憲法集団的自衛権の行使を禁じられているわけですから、我が国の自衛隊は米国の有事の際に米軍と一緒になって戦闘行為を行うことはできません。こうした片務的な同盟のいわば代償が日本国内にある米軍基地の存在と米軍に対する日本政府の思いやり予算などの支援だということが言えます。

 仮に、鳩山総理が沖縄の負担軽減だという正論をこの期に及んで持ち出すのであれば、こうした片務的な日米同盟の在り方から問題提起するのが筋でしょう。つまり、片務的な同盟関係から双務的な同盟関係に移行することにより、米軍が一方的に日本に基地を置くという関係を解消していくことが必要となります。

 この双務的な同盟関係の構築に当たっては、同盟関係を徐々に解消していくという方向性を目指していく必要がありますが、そのためには我が国は更なる防衛コストを独自に負担していくことが必要となります。また、いざというときに自国の軍隊だけでは不安だから米軍の支援が必要だということであれば、日米間で集団的自衛体制を整備する必要が出てくるでしょう。この場合、我が国は憲法9条を改正し、米国が他国からの攻撃を受けた場合は我が国も集団的自衛権を行使して一緒に闘わなければならなくなります。例えば、米国のアフガンにおける戦闘行為は「自衛戦争」ですから、日本もアフガン戦争に参加することになるかもしれません。さらに自前の防衛産業を更に育成していく必要性が高まりますので、武器輸出三原則も見直していかなければならないかもしれません。


 日本から米軍に出て行ってもらうということは、それだけの覚悟を国民全体に求める必要があるということです。鳩山総理がそこまで含めて根本的な解決を図ろうという覚悟をお持ちであるのであれば、それは高く評価できるでしょう。ただ一つ認識しなけらばならないことは、米軍基地は戦後の占領政策の名残であるという経緯は否定できないにしても、今となっては、駐留米軍は日本の安全保障上不可欠な位置づけとなっているということです。だから、米軍基地に出て行ってもらえばそれですべて解決するという問題ではなく、むしろ米軍の存在は、日本が膨大な防衛負担を追わないために必要な存在となってしまっているという点です。どこかの政党のように「基地断固反対!」で済まされるような単純な話ではないのです。だから、この状況を乗り越えようとするのであれば、我が国の防衛の在り方の根幹からきちんと議論していくことが必要不可欠なのであり、それは憲法改正も視野に入れた壮大な国民的議論を必要とするのです。

 しかしながら、普天間飛行場の移設は一刻を争う問題です、普天間飛行場がいかに危険な飛行場であるかは周知のとおりです。ヘリコプターが万が一市街地に墜落でもしたら、大惨事をもたらすことは明らかです。

 沖縄では1959年に宮森小学校に米軍の戦闘機が墜落し、児童11人、住民6人が亡くなり、負傷者200人以上という悲惨な事故が起こっています。パイロットは墜落前に脱出しており無事でした。普天間飛行場でも一歩間違えればこうした事故が何時起こっても不思議はないのです。

 こうした危険な飛行場を除去するため、前政権は長期にわたって米側と交渉を続けてきました。この辺の経緯は船橋洋一氏の『同盟漂流』にも詳しく述べられていますが、1996年1月にに橋本龍太郎が総理に就任すると、橋本総理は最初のクリントン大統領との会談で慎重に普天間の問題を持ち出します。クリントン大統領が橋本総理に対して、基地問題について率直に語ってもらいたいと誘い水を出したのに対し、橋本総理は次のように答えます。

「実は私も困惑しているのです。沖縄県民の要望を伝えるとすれば、普天間の全面返還をお願いすることになります。しかしながら、日米安保の重要性、米軍の機能を落とせないということからすれば、それはまずできないということは承知しています。」(『同盟漂流』(上) p40)

同盟漂流〈上〉 (岩波現代文庫)

同盟漂流〈上〉 (岩波現代文庫)

 この言葉の受け止め方として、米側にはこれをできないという意思表示とする見方と、難しいがそこを何とかという意思表示とする見方に割れたそうですが、結局、この橋本総理の発言を契機として、秘密裏に普天間返還に向けた日米間の交渉が進められ、最終的に1996年4月に橋本総理とモンデール駐日米大使が共同会見を開き、普天間基地返還を発表したのです。

 当時米国内にも普天間基地返還について賛成派と反対派に別れていたようですが、「一国総理の発言の重み」をテコとして、日本側は返還に向けた糸口を掴んでいったのです。

 それに対して、鳩山総理の発言の軽さは目に余ります。オバマ大統領に対する「Trust Me」にしても、党首討論における「腹案」発言にしても、深謀遠慮の末に出てきた言葉とは到底思えません。政治主導にこだわるあまり、基地問題を考える上で必要不可欠な情報がきちんと総理周辺の政治家に届いているようにも見受けられません。

 報道で言われているような「桟橋方式」は、「埋め立て方式」に比べて地元の業者が入りにくい工事になることは明らかで、沖縄県や自治体の理解を得られるとは到底思えません。しかも米軍もテロの危険性から難色を示している状況でこの案が切り札のように浮上してくるというのは、おそらく官邸の一部の人たちの間だけで議論が行われているという証左でしょう。環境影響評価も一からやり直さなくてはならず、普天間飛行場の移設は大きく遅れることでしょう。そうすれば、普天間飛行場の危険な状況がしばらく継続することになり、普天間飛行場の危険を早急に取り除くという本来の趣旨からすれば本末転倒な結果をもたらすだけです。

 先日の総理の唐突な沖縄訪問、徳之島への打診の仕方等々、とてもこれまでの政権では考えられないお粗末さです。これが政治主導の帰結だとすれば、これほど悲しいことはありません。総理の下には総理に仕える官僚機構が控えているのですから、こういう慎重に対応すべき課題は、官僚機構をうまく使いこなしながら周到に対応し、最後は総理が決断するというプロセスを踏まなければなりません。しかし、この普天間問題への対応を報道ベースで外から見ている限り、官僚も政策を主導する政治家たちの意図が分からず、動くに動けないという状況に陥っているのではないかと感じてしまいます。

 現政権運営に対してもどかしと感じることはいっぱいありますが、この普天間問題の迷走ぶりだけは我が国の国益に多大な影響を及ぼすものであり、本当に悲しみがこみあげてきてしまいます。。。