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マイケル・サンデル@ハーバード白熱教室「命に値段をつけられるのか」

http://www.nhk.or.jp/harvard/lecture/100411.html
 再放送で第2回放送分をやっていたのを見ましたが、前回視聴した分(第3回)にも増して大変面白い議論でした。

 この回のテーマは「功利主義」です。ジェレミー・ベンサムやその議論を発展させたジョン・スチュワート・ミルの議論を取り上げ、功利主義の議論の限界をえぐり出しています。

 功利主義といえば、近年我が国でも政策評価指標として用いられている費用便益分析がその典型的なものですが、サンデル教授はこの費用便益分析が時として不都合であることをあぶり出します。例えば、例として取り上げられたのは、チェコの煙草規制論争の際の費用便益分析です。サンデル教授によれば、米国の煙草会社が煙草販売の費用と便益を分析したそうですが、その分析の中でその会社は、喫煙の便益として、煙草販売からの税収に加えて早期死亡による医療費や年金等の節約を積算し積み上げていたのだそうで、この会社は後に謝る羽目になったとのこと。また、ある自動車リコールの是非の検討の中で、その会社はリコールの便益として死者1人当たり20万ドルとして計算した結果、費用に比べて便益が圧倒的に低いとする内部報告をまとめていたとのこと。この会社は裁判の中でこの資料を提出され、多額の制裁金を課せられたそうです。この例から導き出される示唆は、命を数量的な価値基準に置き換えられることができるか?という問題です。

 こうした議論から、功利主義への反論として、

1.個人の権利が尊重されていない
2.すべての価値と好みを集計することは不可能

が導かれます。

 サンデル教授は、心理学者ソーンダイクの実験やハーバード大学の女子寮の例などを挙げつつ、分かりやすく功利主義への反論を試みます。

 さらにサンデル教授は、高級な喜びと低級な喜びについても議論を展開します。ジョン・スチュワート・ミルは「2つの喜びのうち、両方を経験した者が全員または、ほぼ全員道徳的義務感と関係なく、迷わず選ぶものがあれば、それがより好ましい喜びである」と主張し、高級な喜びと低級な喜びを分けることが可能であるとするのですが、サンデル教授は、シェイクスピアの映画のワン・シーンと人気アニメ番組のワン・シーンを学生たちに見せ、その反応を探ることによって、ミルの主張の困難さを見事に暴き出しています。


 政治哲学をこれほどまで鮮やかに現代的な課題に置き換えて論じる手腕は、さすが世界ナンバーワンの大学の人気教授です。学生たちに積極的に自説を論じさせ、議論を展開していくというのは、よほど自信がないとできない授業の進め方です。

 思うに、我が国が政策立案をやっていく上で、最も重要な学問的視点は「正義」論なのではないかと思います。90年代の新古典派経済学の隆盛の中、規制緩和や民営化などの経済学的な功利主義の思想はいやというほど政策に反映されてきており、その反省が今ようやく出てきつつある状況にあるわけですが、新古典派経済学に対する経済学の中の反論は極めて脆弱と言わざるを得ず、経済学界の中ではいまだに新古典派経済学的な思想が主流を占めている観があります。思うに、新古典派経済学に対抗していくためには、経済学の外から思想を構築していくことが必要で、その思想的基盤を提供し得るのがサンデル教授が論じているような「政治哲学」なのではないかと思うのです。

 ところが、我が国の政策立案の場面では、政治哲学をベースとした議論が展開されることはまず皆無ですし、政策立案に携わるような人材が大学でこうした政治哲学の思想を学ぶ機会は限られており、大半の政策立案者はこうした議論を知らずに政策立案をしているのが実態です。

 このハーバードでのサンデル教授の議論は、政策立案を行っている政治家や官僚が最も見るべき内容のような気がします。