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「ハート・ロッカー」★★☆

http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD15813/index.html
 なぜこの作品がアカデミー賞の作品賞を受賞したのか?その理由を見つけることは至難の業と言わざるを得ません。

 内容はシンプルで、イラク戦争における爆発物処理班の米兵の目線で、戦場における兵士たちがいかに死と隣り合わせの状況に置かれているかを表現したものです。イラク人と不意に遭遇するたびに、爆弾テロを警戒しつつ対応しなければならない極限の状況に米兵は置かれているわけです。爆発物の処理も一つ間違えれば身が粉々に吹っ飛んでしまうという極限の恐怖の中の作業であるわけです。

 アメリカ人としてそうした戦場の米兵たちの孤独な戦いを表現したいというモチベーションを抱くことは容易に理解できます。しかし、我々日本人という第三者から観ると、この作品には大きく欠如した視点があります。

 それは、イラク人の側の視点です。

 米兵から見れば潜在的なテロリストとしか見えないイラク人たちの側から見れば、米兵は自分たちの国に土足でズカズカと踏み込んできた侵略者です。しかし、本作品では、イラク人たちはテロリストとして米兵に恐怖を与え、米兵の銃弾によって処置されるべき対象としてしか描かれていません。いきなり遠く離れた戦地に送り込まれる若い米兵たちにはもちろん同情を抱かざるを得ないのですが、自分たちの住んでいる土地が戦場となって日々テロの恐怖に怯えながら生活しなければならないイラク人たちに対しては、より一層強い同情を抱かざるを得ません。この作品にはこうしたイラク人側の視点がすっぽりと欠落しているのです。

 この作品を見ると、戦争を中立的に映画化することがいかに難しいかを痛感させられます。だからクリント・イーストウッドは『父親たちの星条旗』『硫黄島からの手紙』の2本の映画を同時に作成せざるを得なかったわけです。

 それにしても、今年のアカデミー賞は本当にしらけてしまいました。『アバター』も本当に違和感の多い映画でしたが、被侵略者の視点を描くだけの良心は持ち合わせていました。『ハート・ロッカー』がアカデミー賞を取るくらいなら、まだ『アバター』に取らせてあげたかったという気持ちになってしまいます。それほどこの『ハート・ロッカー』には映画製作者としての良心を感じることができませんでした。エンターテイメント性も全く感じられませんでした。

 ハリウッド映画が凋落していく日もそんな遠くない気がします。