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パリ・ローマ漫遊記(2)

 パリを後にして次にたどり着いたのはローマです。
 イタリアといえば、村上春樹氏の旅行記『遠い太鼓』が思い出されます。

遠い太鼓 (講談社文庫)

遠い太鼓 (講談社文庫)

 村上氏はローマを中心として3年間ヨーロッパで過ごした生活をこのエッセイに著しているのですが、この中でイタリア人に関する記述は辛辣なものです。ローマでの生活がいかに散々なものであったかが、このエッセイからは伝わってきます。
 村上氏はイタリアという国の特徴を40字以内で定義せよと言われたら、

首相が毎年替わり、人々が大声で喋りながら食事をし、郵便制度が極端に遅れた国

と答えるだろうと述べています。
 この「郵便制度が極端に遅れた国」というところに村上氏のイタリア人に対する辛辣さが特に表れているのですが、村上氏によれば、イタリア人は郵便が届かなくても、結局誰も公共サービスなんか信用していないので、そんなものを元からあてにしていないというわけです。そういうあきらめの中で現実的に生きているのがイタリア人の特徴だというのが、村上氏の見立てなのです。

落書き列車

 さて、レオナルド・ダヴィンチ空港に降り立ち、特急レオナルド・エクスプレスに乗ってローマ市内に向かいましたが、この列車の中で村上氏の見立てが納得できる場面に遭遇しました。それは、すれ違う大半の列車に猛烈に派手な落書きが施されているのです。これは日本だったら大変な騒ぎです。夜中に電車に落書きが施されようものなら、朝方列車の運行を決定し、大勢の社員を動員して落書きの消去に努めるに違いありません。新聞の社会面にも写真入りで掲載されるかもしれません。しかし、イタリアでは落書きが施されようと、それがあたかも元からのデザインであったかのように、素知らぬ顔をして列車を走らせているのです。しかも、空港から市内に向かう路線で大勢の外国人観光客が目撃することが予想されているにもかかわらず、そんな路線にもあっけらかんと落書き列車を走らせてしまうイタリア人にまずは衝撃を受けました。

ローマとパリの違い

 ローマには数多くの古い建造物が至る所に残っています。コロッセオは言うまでもなく、パンテオンも118年に建てられたものが、1900年経過した今でも立派にそびえ立っています。街に建ち並ぶ普通の建物も、ある程度の年季が入ったものばかりで、街並みはそれなりに調和がとれたものになっています。
 ただ、パリとローマの街並みを比べると、大きな違いがあるように思います。パリには街並み保全に対する悲愴なまでの決意が感じられるのに対して、ローマにはそうした決意が感じられないのです。つまり、ローマの場合、何となく古い建物や街並みが今日まで継続しているといった感じなのです。観光客が古い建物を目当てに来るんだから残しておけばいいじゃないか、といった声が聞こえてきそうな印象です。これはあくまで印象論であって、はっきりした根拠があることではないのですが、街を歩いているとそう感じられてしまうのです。逆に言えば、ローマはそれだけ観光資源に恵まれているということかもしれません。

朝日に映えるコロッセオ

 ローマはオフシーズンということもあって、どこも大した混雑は見られません。コロッセオは朝一で足を運んだこともあってほとんど人がおらず、独り占め状態で見学することができました。

 命を賭して戦った剣闘士たちの命は観客や皇帝に託されていたということです。大歓声に包まれながら大舞台に向かっていく剣闘士たちには、おそらく悲壮感が漂っていたに違いありません。静寂とひんやりした空気に包まれたコロッセオに立っていると、かつてここで剣闘士たちが大歓声の中で勇敢に戦っていた姿が目に浮かぶようでした。何か剣闘士の魂が自分に乗り移ったかのような高揚感に思わず浸ってしまいます。

 人間史においては、いつの時代にあっても、こうした残虐な見せ物というのが存在してきました。今でも一部の国で行われている公開処刑、江戸時代のさらし首、フランス革命のギロチン、スペインの闘牛士、中国の文化大革命におけるつるし上げ等々。こうした残虐な見せ物は非文明社会における一つの娯楽だったと言えます。文明社会はこうし残虐な見せ物を社会から排除することに一見成功していますが、現代社会でも公開でつるし上げるというスタイルはやはり国民の一定の支持を受けるもののようです。

キリスト教芸術の迫力

 キリスト教という宗教は、壮大な芸術を残したことが多くの人々を惹き付ける一つの原動力になっているように思います。ヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂は、やはりその迫力に圧倒されます。

 サン・ピエトロ大聖堂カトリックの総本山としてヴァチカンにありますが、その前に広がる広場は、おそらく何万人もの人々が一同に会することができるほどの広さを持っています。かつて、聖ペテロがネロ帝によって逆さ十字にかけられた場所ということで、その後コンスタンティヌス帝がその殉教の地に聖堂を建てたのだそうです。
 私がこの広場にいたとき、ちょうどローマ法王のお話が始まりました。広場にいた人々からはどよめきがあがり、その後広場は大歓声に包まれます。法王の言葉はおそらくイタリア語?だったと思われ、その内容が理解できなかったのは大変残念であるのですが、これだけ大勢の人々が法王の一言一言に多いに熱狂している姿が印象的でした。おそらく位置によっては法王の姿も見られたのかもしれませんが、私の位置からは見えませんでした。

 サン・ピエトロ大聖堂の中に入るためには、セキュリティ・チェックを通る必要があります。人がずらっと並んではいましたが、回転は速く、思ったよりも早く入場することができました。内部は大変広く、天井には壮大な絵が広がっています。荘厳な雰囲気で、やはりそのスケールには圧倒されてしまいます。

 このサン・ピエトロ大聖堂は建物の上まで上ることができます。クーポラと呼ばれている箇所で、聖堂のてっぺんに当たります。ここまで上っていくには、相当の体力を使いますので、足腰の弱い方は辞めた方が良いでしょう。ただ、苦労した分、クーポラからの絶景は素晴らしいものです。特に広場を一望できるのは大変感動的です。

 ヴァチカンにはもう一つ是非足を運びたい場所があります。それは言うまでもなくヴァチカン博物館です。歴代法王たちが集めたプライベートコレクションがずらりと揃っていますし、ミケランジェロの手による天井画が施されたシスティーナ礼拝堂や若きラファエロが数々のフレスコ画を残したラファエロの間などは必見です。システィーナ礼拝堂の天井画は、『アダムの創造』『イブの創造』『楽園追放』など旧約聖書に乗っ取った人類の歴史がずらっと並べられています。椅子に座って天井を長時間眺めていても飽きることはありません。別にキリスト教徒でなくても、何かこういう絵を見せられると神聖な気持ちになってしまうところに、キリスト教の強みがあるように思います。

ローマの広場

 パリと同様、ローマにも魅力的な広場が多数存在するのが特徴です。
 まずは、パンテオンの前に広がる「ロトンダ広場」。

 パンテオンの前にある噴水を囲むようにおしゃれなオープン・カフェが建ち並び、大変心地よい空間を生み出しています。

 それから、3つの個性的な噴水がある「ナヴォーナ広場」。

 アコーデオンを奏でる人、人形を操っている人、絵を描いている人、様々な人々が終結して、暖かさの溢れる広場です。この広場の周囲にもおしゃれなオープン・カフェが並んでいます。

 それから、「ポポロ広場」。

 この広場に接するように2つのカフェがありますが、このうちの一つ「カノーヴァ」はかつてフェリーニ監督も常連だったカフェなのだそうです。

 もう一つのカフェ「ロサーティ」でランチを食べましたが、屋外でたたずんでいればなかなか素敵なカフェです。

 そして映画『ローマの休日』であまりに有名なスペイン広場。

 広場から上っていくスペイン階段には、常に観光客が腰掛けて談笑しています。

 この階段を降りたところには「舟の噴水」があります。

 このスペイン広場の周辺には、多くのブランド店が集まっており、買い物客でにぎわっています。

 買い物に疲れるとスペイン階段で休むことができ、旅行者にとってはよくできた空間になっています。ちなみに、この広場からすぐのところに有名な老舗カフェ「カフェ・グレコ」があるのですが、行ったときは閉まっていたようで、大変残念でした。
 このほか、カピトリーニ美術館の前に広がる「カピトリーニ広場」や「トレヴィの泉」周辺なども感じの良い広場になっています。


ローマ雑感

 短いローマ滞在ではありましたが、村上春樹氏が書いているほどのいやな思いをすることはなく、比較的快適なローマでの生活を過ごすことができました。評判の悪いタクシーもあえて使わず、地下鉄の利用も最小限に抑えたため、それほど嫌な思いをすることもありませんでした。
ただ、ローマという社会の不安定さは感じることが多かったです。例えば、雨が降り始めると、傘を手にした黒人たちが駅周辺に大勢出現するのですが、こうした人々は普段は失業しているのでしょう。黒人ばかりがこうした形で単発的な傘売りをやっているというのは、特定の人種が特定の階級を生み出していることの証左であり、決して安定した社会とは言えないでしょう。

 また、ローマ人は日本人の常識とは違うなと思う部分もありました。例えば、美術館の係員です。イタリアの美術館ともなれば有名な美術品が並んでいるわけですから、係員の人たちはさぞかし厳重に目を光らせながら監視しているのかと思いきや、多くの係員たちが忙しそうに携帯電話をかけていたりします。イタリア語でしゃべっているのでどういう要件で話をしているかは定かではありませんが、どう見ても仕事の話をしているとは思えません。カピトリーニ美術館にはカラヴァッジョの有名な数々の作品が展示されていますが、そんな有名な絵画の前にすら係員がいなかったりします。これがイタリア人気質なのかもしれませんが、勤勉とされる日本人の目から見ると怠惰と映っても仕方がありません。

 ローマでのショッピングは比較的楽しくすることができました。買い物をしていて特に感じたのは、ネクタイと靴の良さです。ネクタイは日本円で千円台で大変良い色と素材のネクタイを購入できますし、靴も5千円くらいだせばしっかりとした靴を購入することができます。本当はサイズを計測してもらってYシャツを購入してみたかったのですが、これは次回に是非チャレンジしてみたいと思います。
 
 食も概ね満足でした。ただ、パスタやピザなどは日本でも十分においしいものを食べられますので、そういう意味では、特段感動するほどのものではありませんでしたが、安定したおいしさは堪能できます。
 ちなみに、ローマのスーパーマーケットに行くと、まず膨大なパスタの量に驚かされます。それから様々な「ポモドーロ」が売られており、瓶詰め、缶詰、それからチューブ状のものまであります。チューブは1個200円程度でしたので、おみやげ用に多めに買ってきました。

 ローマ自体、比較的コンパクトな地域に主な観光名所が終結しているので、2日くらいあれば、大抵のスポットは回れてしまうような気がします。おそらく1週間も滞在すればおなかいっぱいといった感じではないでしょうか。
 パリとローマを比べたとき、長期滞在するのであればどちらをとるかと聞かれれば、迷うことなくパリを選ぶでしょう。確かにローマには信じられないくらい古い遺跡がそこら中にごろごろあり、それは極めて深い感銘を与えるものであるのですが、街を歩いていても、パリのような高揚感は感じられないです。
 このパリとローマの違いは何かというのは大変難しい問題ですが、私の思うには、パリの中心部には人々の生活が見えるのに対し、ローマの中心部には人々の生活が見えにくいところに、大きな違いがあるのではないかと思います。パリ中心部ではそこに住む人々と観光客とが共に楽しんでいる空間が生まれているのに対し、ローマ中心部では観光客の姿は見えるものの、ローマの居住者の姿は見えづらいような気がします。つまり、ローマでは居住者と観光客とが共に楽しむような融合から生まれる相乗効果が見られないのです。だから、観光地としては一流なのだけども、そこに滞在しようと思わせるような深みがないような気がするのです。
 真の都市の魅力というのは、おそらく居住者と観光客とが融合するようなシチュエーションにおいて初めて成立するのではないかと思うのです。そういうシチュエーションを生み出しているパリとそうでないローマ、そこに都市としての深みの差が出ているのではないかと思います。

 いずれにせよ、都市の在り方を考える上で、今回のパリとローマの訪問は極めて有意義なものでした。