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オルハン・パムク「白い城」

白い城

白い城

 17世紀のオスマン帝国を舞台に、トルコの海賊の捕虜となり奴隷の身となった「わたし」と、奴隷の主である「師」との内面奥深い葛藤を描いた小説です。トルコのある文書庫で発見された手記という体裁をとっています。ノーベル賞文学賞を受賞したオルハン・パムクの初期の作品ですが、最近になって翻訳が出版されています。

 主人公の「わたし」は、ヴェネツィアからナポリに向かう途中、トルコの海賊船に襲われ、囚われの身となる。「わたし」は医術を始めとする学問に長けていたことから、他の捕虜とは異なる扱いを受け、パシャにも面会するが、イスラム教への改宗を拒み、「師」の奴隷となる。「師」と対面した「わたし」は、信じられないほど二人が似ていることに驚く。

 「師」は「わたし」が知る西洋の学問をすべて教えるように要求する。「師」はイタリア語を習得し、天体の理論、時計や花火の製作などを学んでいく。二人は向かい合ってひたすら議論を重ねる。それは「師」の西洋世界に対する憧憬によるものであった。

「師は、「わたし」を通して透かして見える「彼ら」の考えを知りたかったのだ。わたしにあらゆる種類の科学を教授し、わたしの頭脳の中の引き出しや箪笥を、異国の学問で満たした「彼ら」のことを、すなわち、わが故郷で暮らす「異人たち」の考えをこそ、師は知りたかったのだ。」

 「師」の関心は、なぜわたしはわたしなのだろうか?、といったテーマにまで及んでいき、「彼ら」の生活や思想をますます深く知りたいという欲求にかられていくことになる。

 やがて、イスタンブールの都にはペストが蔓延する。「師」は陛下にペスト対策を助言したことから、陛下の信任を得て筆頭占星官に就任した。「師」は日々陛下の下へ参上する機会を得ることになるが、陛下は「師」の知識が「わたし」の入れ知恵によるものであることを見抜いていた。

 「師」は陛下の了解の下、兵器製造のプロジェクトに着手する。異教徒である「わたし」が兵器の製造に関与していたため、不吉な感情を覚える者も多くいた。兵器は陛下のポーランド遠征に一緒に運ばれ、「師」も「わたし」も同行する。兵器を運ぶには大変な労力がかかり、行軍の足を引っ張った。「師」は遠征中、行き当たる村に住む人々を集めて執拗な審問を繰り返した。遠征軍はドッピオ城を視界に収めるところまでたどり着いた。純白の旗がひらめく美しい城だったが、そこにたどり着くには汚らわしい湖沼が広がったおり、「師」と「わたし」の兵器は何の役にも立たなかった。

 失意の「師」は「わたし」の生い立ちなりを執拗に聞き取った。「師」と「わたし」は衣服を取り替え、「師」は去っていった。

 「わたし」は筆頭占星官として富を蓄え、やがてゲブゼの街で若い妻と4人の子供と隠遁生活を送るようになる。「わたし」は「師」と交わった歳月の物語を書き続けた。そんなとき、ある客人が「わたし」の下を訪れ、「師」のその後について語った。その客人は「師」と「わたし」が入れ替わったことを知らない。客人によれば、「師」はトルコについて大著を記し、大きな関心を呼んでいるという。そして『わが親愛なるトルコ人』と題する本を執筆中だという。「わたし」は客人に、自分が書いている物語を読ませる。「師」と「客人」が入れ替わったことを知った客人は混乱し、呆然とするのみだった・・・。


 この「わたし」の書いた物語が後年になってケブゼ郡役所で発見されるというのが本書の設定です。東洋と西洋の世界が交錯するイスタンブールという都市を舞台にするからこそ「東」と「西」の葛藤の世界がこれだけの迫力を持って描けるのです。

 物語の舞台となっているのは17世紀後半のオスマン帝国ですが、すでにヨーロッパではルネサンス期を経て、科学技術の知識は既にイスラム世界を凌駕していました。そんな時期にイタリアから来た「わたし」は、その科学技術に関する知識を持って重宝されるというのは、いかにもありえそうな設定です。

 オスマン帝国末期においても、ロシア=トルコ戦争の敗北後にタンジマートと呼ばれる近代化改革を進めたり、第1次大戦後にはムスタファ=ケマルによるスルタン制廃止など国家の近代化政策を進めたりしますが、西欧列強への反発と西欧文明に対する憧憬が複雑な交錯が続きます。この点、欧米列強からの圧力に悩まされるとともに、欧米にならった近代化を進めてきた日本人にとって、この心理は大変よく理解できます。

 ダブリンといえばジョイス、ニューヨークといえばオースターといったように、イスタンブールといえばパムクといっても誰も異論はないでしょう。イスタンブールという地勢を効果的に生かした優れた作品です。