映画、書評、ジャズなど

ジェローム・K・ジェローム「ボートの三人男」

ボートの三人男 (中公文庫)

ボートの三人男 (中公文庫)

 1889年に書かれたイギリスの小説で、丸谷才一氏の訳出によるものです。ストーリーは単純で、3人の男と1匹の犬がテムズ河でボートを漕いで過ごす日々について描写したものです。当初は優雅にのんびりとした日々を送るつもりであったのが、いざ生活を始めてみると、それほどうまくいくものではなく、些細な事件も起こったりしますが、ユーモア溢れる回想を織り交ぜつつ、旅中の出来事を記しています。

 実はこの小説、当初は滑稽小説を目指していたわけではなく、テムズ河についての歴史的及び地理的な展望の書として目論まれたのだそうです。だから、途中立ち寄るテムズ河沿いの街や風景の描写がとてもビビッドで、そうした観点からも楽しめる小説ではあります。

 ところで、作者のジェロームの一家はかつて一大財産を築き、上等の生活を送っていたものの、父親が事業に失敗すると、転々とする生活を送るようになります。そして、ジェロームが12歳のときに父親が亡くなり、以後ジェロームは鉄道職員として働くことになります。

 なぜこうした生い立ちを紹介したかと言えば、こうした生い立ちが本書のストーリーや含意に大きく影響しているからです。

 以前このブログでも紹介したトム・ルッツの『働かない』でも、本書が取り上げられていますが、ルッツはこんなことを言っています。

・・・ジェロームの喜劇には、有閑階級的価値への忠実さの残滓と、その階級からはじき出されてしまったことへのルサンチマンと、さらには、ふたたびそこに加わりたいという欲望とが混ざり合っている。・・・けっして仕事をすることのないこれら働き過ぎ三人男の誇示的余暇は、労働日の心配ごとからの自由を描いたファンタジーを提供しているようでありながらも、実際にはエリート男性に対する一撃なのである。

 「誇示的余暇」というのは、ソースタイン・ヴェブレンの『有閑階級の理論』で提示されている概念ですが、ジェロームが『ボートの三人男』を書いたのもこれと近い時期です。つまり、蓄財に成功した産業家たちが有閑階級と呼ばれた時代です。

 しかし、ジェロームの小説に登場する男たちは、有閑階級という金持ち階級とは異なる階級に属する人たちです。だから、例えば、わざと蒸気船の進路を妨害しようとするなど、金持ち階級に対する敵意のようなものが本書において見られるわけです。

 つまり、本書は、有閑階級という金持ち階級の人々の余暇倫理に対抗すべく、中産階級の人々の倫理を提示しようとしたものだと捉えることができるでしょう。ルッツは以下のように分析しています。

ジェロームは次のようなことをほのめかす。彼ら(=中産階級)は実際のところ、ゆったり流れる川のせせらぎに指をひたすようなことを夢見ながら仕事の時間を過ごしているのではないか。そしてそのあいだずっと、真の有閑階級に対しても、貧困な労働者階級に対しても、彼らは優越感を抱いているのではないかと。

 実は今日の中産階級の人々の労働心理もあまり変わらないように思います。なぜ多くの人々が激務に耐えながら仕事を淡々とこなしているかと言えば、実はその心理の奥底には、いつの日にか来るかも知れないゆったりした日々のイメージがあるように思います。

 ただし、実際にこうしたゆったりした日々を与えられたとしても、それがゆったりした日々にならないところが大きな皮肉であり、本書はそんな皮肉を鋭く描いています。つまり、ゆったりした日々をどのように過ごすかについての倫理や様式を持ち合わせていないからです。旅の最後の方では、三人の男たちは一刻も早くこのボート上から逃げだしたいという心境に陥ります。三人の男たちはおそらくは元の仕事三昧の生活に戻っていったに違いありません。
 そんなところにまで、多くの現代人は思わず共感してしまいます。ゆったりした日々に憧れつつ仕事をしながらも、いざそういう状況を手に入れてしまった途端、それはぎこちない日々へと転化していき、再び仕事漬けの生活に戻っていってしまうのは、多くの現代人にとって当てはまるような気がします。

 現代人は100年以上も前にジェロームの提示した問題状況をいまだに解決できずにいるということでしょう。。。