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映画、書評、ジャズなど

裁判員「むかつく」発言報道への違和感

■強姦致傷被告に裁判員「むかつくんですよね」
 仙台地裁で19日に行われた強姦(ごうかん)致傷事件の裁判員裁判で、質問に答えない被告に男性裁判員が「むかつくんですよね」と声を荒らげ、裁判長に制止された。
 10歳代の女性に対する強姦致傷罪に問われた宮城県大崎市、運転手結城一彦被告(39)の第2回公判。
 午前中の被告人質問で、男性裁判員が「この裁判は面倒くさいと感じますか」と尋ね、被告は「自分がやったことなので仕方ありません」と答えた。さらに「捕まって運がなかったと思いませんでしたか」「思いません」などのやりとりがあった。
 男性裁判員はさらに「検事の質問に当たり前の答えしか返ってこない」「反省するのが一番じゃないですか」などとたたみかけ、被告が無言のままでいると、「むかつくんですよね。昨日から聞いていて」と、大声を出した。
 川本清巌裁判長は「そのへんで」と制止し、裁判官からの質問に移った。
(2009年11月19日13時03分 読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/feature/20081128-033595/news/20091119-OYT1T00619.htm

 裁判員が法廷で「むかつく」と発言したという記事。他にもいくつかの新聞がこのことを報じています。裁判官が発言したというならまだしも、なぜこれほど多くのマスコミが取り上げるのかがよく分かりません。多くの記事は単に事実関係を伝えているのみで、この裁判員をはっきりと非難しているものはほとんど見あたらず、この記事からいかなるメッセージを発したいのかもはっきりしません。

 私は個人的に裁判員制度に対して極めて懐疑的であるのですが、それを脇に置いて考えてみると、裁判員制度は一般の素人の声を裁判に反映させようという試みであって、裁判員も任意に抽出されるわけですから、裁判員聖人君主たる根拠はどこにも見あたりません。中にはとんでもない悪質な人間性を持った者だって含まれうるわけです。そういう裁判員の中に「むかつくんですよね」と発言するような者が含まれることは当然であって、また、裁判中にそういう感情的な発言があれば、裁判長がそれを制止することだって何ら不自然ではありません。

 産経の記事は、この件を取り上げる意図を多少明確にしています。

 今回の発言は、被告人質問のなかで行われた。ある裁判所関係者は「被告人質問で、裁判員が被告を諭したり、しかったりするなど、『質問』であることを十分に理解していないケースもみられる」と話す。
 慶応大教授の安冨潔弁護士も今回の発言と裁判長の対応について、「裁判における被告人質問は事実関係を明らかにするためのもので、自分の意見を述べる場ではない」と指摘する。
 その上で、「裁判長が質問を遮り注意したのは適切。『むかつく』という言葉は、裁判員個人の見解を示すもので、被告人質問で述べるのは不適切なことだと思う」と話す。
 ただ、今回の発言は、「当たり前の答えしか返ってこない」と、被告の反省の程度に関連して行われた。法廷という場でなければ、被告の情状面を判断する上で、一般の感情や見方を反映したともいえる。
 裁判員裁判は、被害者が刑事裁判に参加して、被告に質問したり、求刑について意見を述べたりできる「被害者参加制度」と併せ、「感情」が法廷に持ち込まれる懸念も指摘されてきた。制度定着には、これをどのようにコントロールしていくか、裁判所をはじめとした法曹三者の適切な訴訟運営が必要といえる。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/091119/trl0911192238017-n2.htm

 しかし、一般の国民の中から任意に選ばれた裁判員に感情のコントロールを求めるのは無茶苦茶というものでしょう。そもそも法律の素人に裁判に関与させようというのが裁判員制度の本質なのだとすれば、裁判員からある程度感情的な発言が出てくるのも想定内の事態のはずです。裁判員に感情のコントロールを求めるのであれば、裁判員の選定の段階で、人格や見識の面からきちんとしたスクリーニングをかける必要が出てきます。そうなると、裁判員制度導入の意味は次第に薄れていく方向に働いていくことでしょう。裁判員制度の矛盾点がこうした点からも浮かび上がってきます。

なにせ有識者が選ばれているはずの行政刷新会議の「事業仕分け」においてすら、仕分け人が感情的な発言を連発しているくらいです。

■「能なしでもできる」発言など仕分け人が謝罪
 政府の行政刷新会議が16日に行った「事業仕分け」で、民間の仕分け人である「Office WaDa」の和田浩子代表が、21世紀職業財団の業務内容を「能なしでもできるかもしれない」とした13日の自らの発言に関し、「不適切な言葉を使った。申し訳なかった」と陳謝した。

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20091116-OYT1T01056.htm

 裁判員が法廷で「能なし」などと発言すれば、やはり裁判長から制止されるでしょう。

 ちなみにふと疑問に思うのは、この裁判員の話題をこれほど多くのマスコミが取り上げているということは、この裁判を実際に多くのマスコミが傍聴していたということなのか?あるいはどこかの配信した記事を多くのマスコミが取り上げているということなのか?どちらなのでしょうか??

 「裁判員制度」と「事業仕分け」。行き過ぎた民主主義的発想という点において共通点を感じてしまいます・・・。