- 出版社/メーカー: ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント
- 発売日: 2003/11/19
- メディア: DVD
- 購入: 12人 クリック: 393回
- この商品を含むブログ (403件) を見る
産業文明が破壊し尽くされた未来社会においては、有毒な瘴気を発する菌がはびこる腐海の森が地球上を覆い尽くそうとしていた。そんな中、風の谷は残された楽土であったが、ある日、トルメキアの輸送機が近くに墜落し、輸送機に付着していた菌が風の谷の森を浸食し始めた。その後トルメキアは風の谷に侵略し、風の谷の族長の娘であるナウシカを連れ去る。
ナウシカが連れ去られている途中、トルメキアの飛行機は対立するペジテのアスベルに襲われる。ナウシカは墜落した腐海の中でアスベルを助けるとともに、そこで腐海が実は森をきれいにするために毒を取り込んでいることを知る。
ペジテは風の谷のトルメキア軍を滅ぼすために、オウムと呼ばれる巨大虫の怒りを風の谷に向かわせようとしていた。対するトルメキアは、地中から掘り起こされた巨神兵を使ってこれに対抗しようとしていた。この一連の策略を知ったナウシカは風の谷に戻り、オームの怒りを静めようとする。ナウシカの誠意の結果、オームの怒りは静まり、オームたちは森に帰っていく・・・。
この作品の舞台は核戦争後をイメージしているように思われます。地中から掘り起こされた巨神兵というのは核爆弾表象しているであろうことは、多くの人が思いつくところでしょう。この作品が作られた1984年の国際社会は、いまだ核戦争の恐怖が拭い切れていなかった時代ですから、こういう未来社会の描写はある種のリアリティを持っていたわけです。
ハリウッド的なセンスでこういう映画を作る場合、大抵人間社会が圧倒的勝利を収めることになるわけですが、これは自然を征服することが人間の英知であるかのように捉えるデカルト以来の西洋哲学の伝統を踏襲しているからです。ところが、宮崎映画では、人間社会の圧倒的勝利などという帰結では毛頭なく、人間の文明社会と自然との共存バランスがかろうじて維持されたというところで物語は終わります。これはハリウッド的センスで見れば、ハッピーエンドからはほど遠く何とも中途半端な結末に見えてしまうのかもしれませんが、宮崎映画では立派にストーリーが完結しているわけです。この点がまさしく日本的な自然観が鋭く反映されている点であり、それが宮崎映画の最大の魅力といえます。
最近の宮崎映画、例えば、崖の上のポニョや千と千尋などもこうした作品の底に流れている思想は共通しているのですが、どうしても子供を含めた幅広い年齢層に受けるような作風となっているため、以前の作品に見られた重厚感は確実に失われてしまっています。