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「どですかでん」★★★

どですかでん<普及版> [DVD]

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 久々の黒澤映画です。
 今回この映画を見直したのは、この映画を見たという知り合いの外国人から、この映画が何を意味しているのか?という質問を受けたからです。この質問には正直頭を抱えてしまいました。

 作品の原作は山本周五郎の『季節のない街』という作品で、埋立地の貧民窟での人々の生活を描いたものです。佐藤忠夫氏の『黒澤明解題』によれば、この映画はこの山本周五郎の短編作品15編から8編を選び出してちりばめて1つの映画作品としたものだということです。電車の運転手だと錯覚している知恵遅れの少年のエピソード、顔面神経痛を負った夫と恐妻ぶりを発揮する妻の夫婦を描いたエピソード、日々の生活の中で夢想ばかりしているルンペンの父子、互いに妻を入れ替えては再び元に戻っている労働者のエピソード、不貞ばかりしている妻を持つ夫が、真の父親かどうかを疑う子どもたちに対して、自分が父親だと信じればそれが父親なんだと説得するエピソード、普段から酒浸りでやがて義理の姪を強姦する男のエピソード、こうした貧民窟で繰り広げられる様々な日常模様を、この映画では比較的明るいタッチで描いています。唯一、たんばさんという1人の老人だけがこの貧民窟の中で冷静な理性を持った人物です。残りの人々は、何かしらの問題を抱えた人物として描かれています。

 この映画が封切りされたのが1970年のこと、この時期は既に日本は高度成長が終焉に向かいつつあり、多くの人々が高度成長の恩恵に浴していたわけです。日本国民が総じて中流意識を持っていたという時代ですから、こんな貧民窟を描いた作品に多くの人が見向きもしなかったのはある意味当然かもしれません。黒澤明はこの作品の封切りの1年後に自殺を図ります。それだけこの映画は興行上成功しませんでした。

 確かにこの作品のメッセージ性はあまりはっきりしません。山本周五郎の『季節のない街』が朝日新聞に連載されたのは1962年ですが、当時はまだ高度成長期の中で取り残されて貧しい生活を送っていた人々もいたのかもしれませんが、映画が封切られた1970年にもなれば、こうした貧民窟はかなり減っていたに違いありません。一方で高度成長の躍動感があり、他方でそれに取り残された貧民窟があるといった構図でないと、この作品の存在意義は半減してしまいます。

 日本では高度成長があまりに飛躍的に、しかも多くの国民をある意味でほぼ均等に巻き込んで進展していきました。だから、激しい貧富の差が生じることもありませんでした。したがって、この映画のようにいくら貧民窟の人々の生活だけを取り出してみて描いてたとしても、それほどリアリティを感じないのです。この時期の描写として『三丁目の夕日』のような人々の希望に満ちあふれた作品の方が説得力があり、しかも人々の共感を得るというのは、こうした日本の高度成長の特性にかんがみればある意味で仕方がないことなのです。

 本作品は、作品自体の面白さという意味では佳作と言えますが、何某かの共感を集めるような作品には成り得なかったため、外国人からその意義を問われても答えに窮してしまうのです。