読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる
映画、書評、ジャズなど

「ヴィニシウス−愛とボサノヴァの日々−」★★★★☆

http://www.vinicius.jp/
 渋谷の小さな映画館TSUTAYA渋谷シアターで実に魅力的な映画が上映されています。ボサノヴァの創始者の一人ヴィニシウスを題材とした、ボサノヴァ好きにはたまらない映画です。

 ボサノヴァといえば、「イパネマの娘」「インセンサテス」「想いあふれて」など数々のジャズのスタンダード・ナンバーを生み出し、未だに全世界で日々演奏されている音楽ジャンルですが、その歴史は意外と浅く、1950年代後半にブラジルで生まれたものです。その創始者の1人が、この映画で取り上げられているヴィニシウス・ヂ・モライスです。

 ボサノヴァの創始者といえば、多くのボサノヴァの名曲を作曲したアントニオ・カルロス・ジョビンが圧倒的に有名ですが、この映画を見て気づかされたのは、ボサノヴァを一躍広めた功績は、数々の優れた詩を書いたヴィニシウスにこそあるということです。ボサノヴァは当時のブラジルのエリート階層というべき人たちの中から生まれた音楽ですが、その輪の中心にいたのがヴィニシウスだったのです。

 ヴィニシウスは1913年にブラジルの中流家庭に生まれます。大学では法学を修めたものの、詩人として頭角を現します。やがて英国に留学した後に外交官となります。ヴィニシウスの詩は、日常的な感情を伝統的な詩の形式に則って表現したところにあります。その詩を見れば分かるように、詩の内容は愛に関するものばかりです。やがて、大衆音楽の詩にのめり込み、アントニオ・カルロス・ジョビンらとボサノヴァという新しいジャンルの音楽を生み出します。

 詩の内容に現れているように、愛に関しては情熱的な人物であり、9度の結婚がそれを象徴しています。いかなる恋も初恋のような情熱をもって臨み、新たな恋をしては恋人を外交官としての赴任地まで連れて行って強引に結婚してしまうのです。ヴィニシウスは生来の寂しがり屋で、家はいつも開放され、才能豊かなミュージシャンたちが集まって夜通し酒を飲み明かしていました。シャイなヴィニシウスはウィスキーの力によって初めて素の自分を出すことができたのです。そうした中でヴィニシウスは、数々のボサノヴァの名曲を作りあげていったわけです。

 さて、この映画は、ヴィニシウスを偲ぶ会が開かれているという設定で、ヴィニシウスを知る数々の人物のインタビュー映像と、ヴィニシウスの作品を今日のミュージシャンたちが演奏するシーンを中心に構成されています。何せ9度の結婚を経験したわけですから、子息たちもたくさん登場します。みんな、ヴィニシウスの奔放な生き方に苦言を呈しながらも、その人柄を憎めないという様子が見受けられたのが印象的でした。

 今日の世界中の音楽シーンにおいて、ボサノヴァの数々の曲は欠かせないレパートリーとなっています。ボサノヴァが生まれていなければ、今の音楽シーン(特にジャズ界)はだいぶ様相の違ったものとなっていたでしょう。それほど大きな影響力を持つ音楽ジャンルでありながら、おそらくヴィニシウスがいなければこの世に生まれてくることはなかったでしょう。それほどボサノヴァは限られた人物によって作られたものだということが、この映画から読み取れました。

 ボサノヴァの魅力を考える上で、この音楽がエリートと大衆の接点に生まれたということが重要でしょう。つまり、サンバというブラジルの伝統的音楽の上に、エリート的な嗜好を加えてできあがったのがボサノヴァです。しかも、それはフランス文化の影響を多分に受けていたリオにおいて生まれたことも重要です。こういう魅力的な文化というのは、異なる文化間の境界部分で生まれるということがよく分かります。

 ヴィニシウスが外交官と詩人という対極的な職業に就いていたという点からも、ヴィニシウスはある意味で異文化間の境界に位置していたと言えるかもしれません。

 とにかくなじみのあるボサノヴァの名曲の数々がスクリーンで演奏され、ボサノヴァ・ファンにはこたえられない作品となっています。イパネマ海岸の情景も美しく、最後まで全く飽きることなく、一気に見通すことができました。最後はおなじみの「Samba Saravah」で締めくくられました。