映画、書評、ジャズなど

構造改革の旗手による「転向」「懺悔」

 最近、中谷巌氏が再び論壇に登場したかと思えば、「転向」「懺悔」ということで、だいぶ話題になっています。

 中谷氏は小渕内閣当時の経済戦略会議の議長代理として、市場原理主義を唱える構造改革論者の急先鋒として活躍されました。今日ある構造改革の議論の論点の多くは、この当時に芽だしされたものといえるでしょう。その中谷氏が明確に構造改革について間違えたと断言しているのですから、驚きです。

 文藝春秋3月特別号では「竹中平蔵君、僕は間違えた」と題した手記を寄せていますが、その内容を一言で表現しているのが、

構造改革論者の急先鋒であった私の懺悔すべき点は、「社会」へのまなざしを欠いていたことに尽きる。」

という言葉です。

 個別の論点についての言及のいくつかを抜粋すると、次のような感じです。

 例えば雇用改革について。

「まずは労働市場改革について見ていきたい。これは従来型の硬直的な雇用システムを抜本的に見直し、中国など低賃金国に対抗できる柔軟な雇用システムと労働市場の自由化を目論んだものである。…しかし、これは非正規雇用の増大を招き、現在の「派遣切り」にまでつながる、大きな痛みを残す「改革」となってしまった。」
「しかし、「再生への戦略」を答申した九九年当時は、この労働市場改革が大きな雇用不安をもたらすとは思ってもいなかった。ただただ、日本経済を成長期道に乗せるにはどうしたらいいかと考え、日本型雇用の非効率な部分ばかりに着目していたからである。だが、その改革の先に日本社会がどう変わっていくのかまで見据えた議論をするべきだったと強く反省している。」

 それから「小さな政府」について。

「…「小さな政府」を掲げ、医療費や公的扶助などの社会保障費削減を続けた小泉改革のほうこそ、医療崩壊などの社会不安を引き起こした。
 問題は政府が大きいか、小さいかではなく、官による不透明で非効率なシステムを改め、国民が安心して暮らせる簡潔明快で透明性の高い社会保障制度を検討することだったはずだ。
 しかし、我々はここでもマーケットを過信していた。民営化し、市場原理を導入すればおのずと最適なシステムになる、という考えが根底にあったのだ。それが多くの誤りを生んだ。」

 
 郵政民営化についても、財政投融資改革については一定の評価を与えた上で、次のように述べています。

「しかし一方で、私は官との戦いに明け暮れるあまり、細部を思いやる心の余裕がなかったことを告白しなければならない。非常に残念なことだが、社会に生きる人々への視線が欠けていたのである。
 民営化によって、たとえば山村でお年寄りがコミュニケーションの拠点としていたような小さな郵便局までを、非効率だという理由で廃止してしまった。これでは社会のぬくもりをなくしてしまう。そこまで目くじらを立てて「効率化」を図ることにどれだけの意味があったというのであろうか。」

 医療制度改革について。

医療制度改革については、「競争原理の導入等を通じて医療コストの抑制を実現すべ」しと提言しているが、これも市場原理の暴走といわれても仕方ないだろう。」
「人間の生命という、経済原理を超えた価値を扱う医療は、そもそも市場原理にはなじまない。必要な医療費はきちんと負担していくしかないだろう。」

 つまり、中谷氏は構造改革の主要な論点をことごとく、しかも根本から否定しているわけです。

 中谷氏の当時の思想は極めて単純で、要は「市場にすべて任せておけばいいんです、市場が決めた結果がどうであれ、それが“最適”解なんですから。」といった感じだったわけです。

 この辺の中谷氏の思想は、次のような記述にも現れています。中谷氏は当時、「改革した後、日本の社会はどうなるんだ」という質問を受けた際に、次のように答えていたそうです。

「それはマーケットが決めてくれますよ」

 つまり、中谷氏の思考は、とにかく市場に委ねるところでストップしてしまっていて、その後の社会の在り方には行き届いていなかったことを、中谷氏は率直に吐露しているわけです。

 それにしても、かつての構造改革の旗手がこういう懺悔の手記や書籍を公表するのですから、だいぶ時代は変わってきたものです。当時から構造改革論の危険性について危惧していた身としては、良い傾向に向かっていると言う気がすることは事実ですが、それにしても、この中谷氏の手記のレベルの低さには愕然としてしまいます。私は構造改革を唱える経済学者たちは、てっきりそれなりに考え抜いてそうした結論を導いていたのだと思っていました。ところが、この中谷氏の手記を読む限り、構造改革について考え抜いた形跡は全く感じられません。構造改革の道が彼にとってもっと考え抜いた帰結であったならば、その懺悔の質ももっとレベルの高いものとなったはずです。

 それが

「「社会」へのまなざしを欠いていたことに尽きる。」

で済まされては、構造改革論に振り回された日本社会としてはたまりません。懺悔をするのであれば、もっと学問的な検証を行ってほしかったというのが率直な感想です。

 それにしても、今回一連の懺悔の手記や書籍を発表したことで、おそらく中谷氏はもはや学者としての生命は完全に絶たれたといっても過言ではないでしょう。逆にいえば、学者生命を絶つほどの覚悟をもって懺悔をしているのだという言い方をすることもできるかと思います。それほどまで、構造改革論の旗手だったことを悔いているのであれば、そのことについては一定の評価をしたいと思います。