映画、書評、ジャズなど

「アラビアのロレンス」★★★★★

 今、新宿高島屋のテアトルで、「アラビアのロレンス」完全版の上映が行われています。この映画の日本での最初の公開は1963年ですが、その内容といい、映像といい、全く新鮮味が失われていないどころか、アメリカのイラク戦争が失敗に終わろうとしている今、正にそのことを予言しているかのような映画の内容に驚かされます。イギリスが何十年も前に中東で犯した過ちをアメリカは今回イラクにおいて繰り返してしまったのだということが、この映画を見るとはっきり実感することになります。

 英国の将校トマス・エドワード・ロレンスは、英国のアラブ局の意向を受けて、アラブの反乱勢力の調査に当たるため、砂漠の中を進んでいく。そして、アラブ民族の反乱指導者のファイサル王子と出会い、アラブの人々を団結させて、トルコからの自由を勝ち取るために、トルコ軍の占拠するアカバを攻めるようにけしかける。

 ロレンスは同じアラブといえどもいがみ合う部族たちを団結させるのに苦慮する。以前ロレンス自らが砂漠から助け出したガシムという男が別の部族の男を殺害してしまったときには、ロレンス自らがガシムを処刑しなければならないという苦い経験もする。

 ロレンスは次第にアラブ民族と共に、トルコの鉄道を爆破するようになり、アラブ民族は襲撃したトルコ軍から略奪を繰り返すようになる。捕虜にするよりも殺してしまえとの意向の下、ロレンス率いるアラブ兵たちは、残虐な殺戮を繰り返す。ダマスカスでは、重傷のトルコ兵が悲惨な状況で放置されていた。
 
 ダマスカスに集まったアラブ民族たちは、議会を開いて議論するが、それぞれの部族が利己的な主張を繰り広げ、何も決まらず、電気も水道も止まった状態が続く。

 アラブの反乱指導者ファイサルは、やがて英国がフランスとの間で領土分割の協定を結んでいることをかぎつける。

 こうして、アラブに自由な国家を建設するというロレンスの崇高な目的は、失敗に帰すことになる。ロレンスは英国陸軍の中で着実に昇進するものの、虚しさだけが募るだけだった。ロレンスは失意の中で英国に帰国する・・・。


 この映画は何と言っても映像の美しさが傑出しています。とても数十年前に撮られた映像とは思えません。砂漠の太陽がある時は激しく、そしてある時は美しく、もの悲しく描かれています。砂漠を楽しめるのは神とベドウィンだけで、それ以外の者にとっては灼熱地獄の空間です。こうした砂漠の持つ過酷な面と、そこで力強く生きるベドウィンたちが、実に素晴らしく描かれています。

 やはり印象的な場面は、最初の方に出てくる、ロレンスがマッチの火をフーッと吹き消すと同時にパッと場面が夕焼けに染まる砂漠の映像に切り替わるところでしょう。<日常的>な都市の場面から一気に<非日常的>な砂漠へとスリップさせられるタイミングがいかにも見事です。

 それから、砂漠の地平線の彼方から徐々に人が近づいてくる際の描写も実に素晴らしいものです。ロレンスが族長のアリに出会う場面、それから、ロレンスがガシムを救出に行って戻ってくる場面、いずれも、地平線の彼方にもやもやとした中から徐々に人の形が張りつめた空気の中で浮かび上がってくる様が描かれています。この場面になると、ほぼ満員の劇場全体がシーンと静まりかえってしまうのですから、たいした演出力です。

 そして、こうした映像美に加え、何と言っても、現代の中東情勢を予測しているかのような鋭い内容が素晴らしいのです。

 つまり、ロレンスはアラブ民族がトルコを倒すことが、アラブ民族による自由な国家の建設につながるのだと信じて行動していたわけですが、実際には、互いに激しくいがみ合う部族たちが同じ会議の席に着いても、何一つ決められない状況で、結果的には混乱をもたらしたに過ぎなかったわけです。つまり、民主主義というヨーロッパ的な原理をアラブの世界に持ち込んでも、それが必ずしもうまくいくとは限らないわけです。

 このシナリオは、アメリカのイラクに対する大義とそっくりであることは言うまでもありません。ネオコンと呼ばれる人びとが中東を民主化することがこの地域の安定につながると信じています。しかし、イラクにおいて民主主義がそう簡単に機能することにはならず、現在のイラクに於ける混乱の継続につながってしまっているわけです。

 それから、この作品を見てもう一つ痛感することは、今の中東の混乱は英国が作り出したものだということでしょう。ロレンスがアラブに自由をもたらそうと尽力していたとき、英国政府はフランスとの間でサイクス=ピコ条約を締結し、領土分割の約束をしていたのです。つまり、欧米列強が中東の土地を恣意的に分割することを決めたわけです。これが今だに中東の国民国家の境界を画しているわけですから、この罪は極めて深いといわざるを得ません。さらに英国はバルフォア宣言によってユダヤ人居住地にも言及し、これが今日のイスラエルパレスチナ問題につながっているわけです。

 中野好夫氏は『アラビアのロレンス』の中で、リデル・ハートという軍事批評家による次のような言葉を紹介しています。

「イギリス、フランスは七面鳥のそれぞれ両翼をとった。ロシアは胸をとった。アラブ人はまさに臓物と脚とがあたえられたのだ」

 欧米列強の自分勝手な振る舞いをよく表している表現です。

 今、中東の問題は、イスラエルのガザ攻撃など、一段とヒートアップする様相を呈しています。しかし考えてみれば、欧米がこの地に乗り込んでくるまでは、曲がりなりにもオスマントルコ帝国がこの地を支配していたのです。英国はアラブ民族をトルコからの自由ということで煽動したわけですが、オスマントルコの支配を脱する前と後でどちらがアラブ民族にとって自由であるかは、非常に悩ましい問題です。むしろ、オスマントルコ帝国下の方が、中東に安定した秩序が構築されていたのではないかとさえ感じてしまいます。

 つまり、欧米列強はオスマントルコ帝国による秩序を破壊したものの、その後の秩序を構築しない(あるいはできない)まま、今日までずるずると来てしまったという見方ができるのではないかと思うわけです。秩序を壊すだけ壊して、後は何も秩序を構築しないというのは、正に今回アメリカがイラクに対して行ったことと同じです。アメリカのブッシュ政権は、こうした英国の失敗の歴史を全く省みずに、イラク戦争を引き起こしてしまったと言えるでしょう。

 今回の完全版の上映は、休日ということもあってかなりの混雑でした。おそらく昔映画館で見たであろうと思われる年配の方々も多かった反面、20代と思われる若者たちが数多く見に来ていたことは大変心強く感じました。こうした世代の人びとがこの映画と今日の中東情勢を結びつけて考えてくれれば、非常に大きな意義があることでしょう。

 後世に語り継がれるべき大傑作映画であることは間違いありません。