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日経社説への疑問

 日経新聞が正月早々の新聞で「危機と政(1)賢く時に大胆に、でも基本は市場信ぜよ」と題する社説を掲載しています。
日本経済新聞
 あまりにも情調的な社説であり、最後はなぜか役人便乗批判に結びつくという悪意に満ちた論調に、役人の端くれとして憤りを覚えてしまいました。この社説を書いた人は、おそらく昨今の金融危機でさぞかし役人がほくそ笑んでいるのだと思いこんでいるのでしょう。

 この社説の役人便乗の例があまりにもおそまつです。

 この社説によれば、役人は経済危機の中で規制や権限を強めようとしていると断じています。しかし、その例として挙げられているのは、以下の3つです。

厚生労働省によるインターネットによる医薬品販売規制
国土交通省が検討するタクシー業界への参入規制復活
・一部の地方自治体による低価格で髪を刈るだけの店に洗髪設備を義務づける動き

 いったい、これらの例と経済危機にどのようなつながりがあるのでしょうか??これらの動きは、今般の経済危機が叫ばれてから急に出てきた話なのでしょうか??全く例として不適切としか言いようがありません。

厚生労働省はインターネットによる医薬品の販売を規制する方針だ。離島や中山間地に住む人などに便利なこの販売を規制する理由がどこにあるのか。ドラッグストアなどを守るためだとしたら本末転倒だ。」

というのはあまりに恣意的な論調です。「ドラッグストアを守るためだとしたら」などというコメントを大新聞の社説が軽々に言うものではありませんし、便利なのだからやらない理由はないじゃないかというのでは、あまりにも無責任なコメントです。

 インターネットによる医薬品販売規制などは、それはそれで異論もあるでしょうから、別途議論したらよいと思います。しかし、こうした議論について、経済危機に便乗した役人の陰謀みたいな取り上げ方をするのは、三流雑誌並みの根拠のなさです。

「所得も蓄えもないような人にまで住宅ローンを貸し、その債権を証券にして売る。そんな詐欺まがいの取引を見逃したのは金融当局のミス。金融危機の再来を防ぐため規制や監督の強化はぜひ必要である。」

 結果論で「詐欺まがい」とか「金融当局のミス」というのは簡単であって、こういう金融取引を許してきたこと自体が市場原理主義的な思想を背景としていたわけですから、

「市場を信頼し自由競争を重んじるこの保守主義の政策が金融危機を招いたとする見方もあるが、必ずしも正しくない。保守主義は「何でもご自由に」ではないからだ。問題は米欧の金融当局が、この政策思想を適切に運営しなかった点にある。」

という指摘はあまり説得力がありません。

 つい最近まで誰もこうした取引が「詐欺まがい」とは思っていなかったのですから、後で正義感たっぷりにこんな言い方をするのは不誠実です。そう思うのであれば、日経新聞自身がきちんと最初から批判していればよかったのではないでしょうか。


 個人的には、今回の金融危機は、企業が過剰かつ安易に「信用」に依存しすぎて、金融が実体経済から乖離しすぎたため、サブプライム問題を契機に一旦信用が収縮し始めると、それまでの虚像がとことんまで崩壊してしまったということなのではないかと思っています。

 ここでもう一度、金融の役割をきちんと再考することが重要なのではないかと思います。つまり、金融というのは、あくまで実体経済を支えるためにあるのであって、金融そのものが自己目的化して肥大化してはならないということが、今般の反省点なのではないかと思います。

 今回の金融危機においては、CDSクレジット・デフォルト・スワップ)に依存していた企業がとりわけ大きなダメージを受けていることが知られています。この仕組みはもともとモルガン・スタンレーの社員が90年代初頭に開発したものです。CDSも取引企業の倒産リスクをヘッジするという意味では、実体経済を補完する機能を持つものですが、一旦企業の倒産リスクが高まれば回らなくなる仕組みであるので、あまりこれに頼りすぎてリスクをヘッジしたつもりになっていると、大きな痛手を被ってしまうわけです。ヘッジしたつもりのリスクが実はヘッジされていなかったとすれば、経済主体は疑心暗鬼に駆られてしまいます。今回の金融危機もこうしたいわば「不信の連鎖」によって引き起こされた面が強いように思います。

 こうしたCDS取引のようなものをあまり規制してこなかったことが金融当局のミスといえばそれはそうなのかもしれませんが、それは担当者レベルのミスでは到底なく、政策思想自体のミスと言えるでしょう。だから、そうした政策思想を日本において大胆に推し進めることを擁護し続けてきた日経新聞が、無責任に軽々しく「金融当局のミス」などと言うべきではないのです。

 新年早々、日経新聞が未だに二流新聞であることを奇しくも露呈してしまった社説です。