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映画、書評、ジャズなど

「遠い太鼓」

遠い太鼓 (講談社文庫)

遠い太鼓 (講談社文庫)

 村上春樹氏が一流のエッセイストであることは案外見逃されている点かもしれません。日常のささいなことをユーモラスな表現によってたちまちユニークな出来事にしてしまうマジックのような手法は、村上春樹氏にしかできない芸当です。彼がよく引用する「どんな髭剃りにも哲学がある」というモームの思想を彼自身が実践しているのです。

 この『遠い太鼓』も、村上春樹氏とその奥様の2人がギリシアやイタリアを一定期間滞在しながら放浪する日記のようなエッセイ集なのですが、村上氏の手にかかるとたちまち素晴らしくおしゃれな紀行文になってしまうところがすごいです。常に冷静な視点で出来事を見つめるクールな視線が、村上氏の小説に出てくる主人公とぴったりと重なります。

 特に、村上氏のイタリアという国に対する辛辣な見方は大変ユーモラスで面白かったです。イタリア人のいい加減さをなじりながらも、どこかイタリアという国に対するシンパシーも抱いている、何かそんな感じが伝わってきます。

 さて、このエッセイ集の中には、随所にユーモアに富んだ描写が見られるのですが、今回は、そうした陽気な部分ではなく、「死」にまつわる部分について取り上げてみたいと思います。

 村上氏がこの放浪の旅をしている時期は、ちょうど『ノルウェイの森』を執筆していた時期とぴったり重なります。ですから、どういう心理状況においてこの『ノルウェイの森』が書かれたのかが非常によく分かります。

 「ミコノス撤退」と題するエッセイがあるのですが、この中で村上氏は痛烈に「死」を意識してこの時期を過ごしていたことが分かります。村上氏はミコノスで滞在していた自分をロシアの雪原を徘徊するロシア兵にたぶらせています。

「そう、僕の小説には暗い雨の匂いと、激しい夜中の風の音がしみついてしまっている。ロシア戦線ほどじゃないにせよ、それはそれなりにちょっとした戦闘だったのだ。ねえ君、それは違うんだよ。僕が掘りかえしているのは僕の死体じゃない。僕と似てはいるけど、それは僕じゃない。君は僕のことを少し誤解しているんだ。凍りついた死体はみんな同じように見えるのかもしれないけれどね。」

 村上氏が彼なりに追い込まれていたことがこの描写から手に取るように伝わってきます。

 それから、ミコノスに続いて村上氏が滞在したシシリーでは、こんな記述が見られます。

「それから、僕はあまり夢を見ない方なのだけれど、よく変な夢を見た。
 ワインの瓶に子猫の死体がつまっている夢を見た。子猫がかっと目を見ひらいて細い瓶の中で溺れ死んでいるのだ。」

 さらにはパンダ・カレーなるものの夢についても語っています。

「それからパンダ・カレーの夢も見た。普通のカレーの上に小さいパンダがそのままの姿でのっかっているのだ。それをフォークで刺して食べる。こりこりとした固さの肉である。ひとくち食べたところではっと目が覚めた。」

 とても平常な心理状況とは思えません。

 『ノルウェイの森』は日常に潜む「死」をテーマにした小説と言ってもよいでしょう。この小説の中で唯一太字で強調されている文章があります。

「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。」

 この言葉にこの小説のすべてが凝縮されているといっても過言ではないでしょう。この小説は主人公の親友キズキの自殺に始まり、直子の死につながっていくという、一貫して「死」がまとわりついた小説ですが、この時期の村上氏自身が「死」を強烈に意識していたわけです。

 『遠い太鼓』の中で、この点についてストレートに語った記述があります。それは「午前三時五十分の小さな死」と題するエッセイです。

「・・・長い小説を書いているとき、僕はいつもどこかで死について考えている。・・・いったん長い小説にとりかかると、僕の頭の中にはいやおうなく死のイメージが形成されてしまう。そしてそのイメージは脳のまわりの皮膚にしっかりとこびりついてしまうのだ。僕はそのむず痒く、気障りな鉤爪の感触を常に感じ続けることになる。そしてその感触は小説の最後の一行を書きおえる瞬間まで、絶対に剥がれおちてはくれない。」

 さらに村上氏は続けます。

「いつもそうだ。いつも同じだ。小説を書きながら、僕は死にたくない・死にたくない・死にたくないと思いつづけている。少なくともその小説を無事に書きあげるまでは絶対に死にたくない。この小説を完成しないままで途中で放り出して死んでしまうことを思うと、僕は涙が出るくらい悔しい。あるいこれは文学史に残るような立派な作品にはならないかもしれない、でも少なくともそれは僕自身なのだ。・・・僕はときどき床の上に寝そべって息を止め、目を閉じ、自分が死んでいくところを想像したりする。死んでいくというのはどういうことだろうと想像してみる。そしてこう思う。駄目だ、こんなことはとても想像できない、と。」

 そして、村上氏は、1987年3月18日の朝3時50分に見た奇妙な夢について語り始めます。それは、フィッツジェラルドが「魂の暗闇」と呼んだ時刻です。フィッツジェラルドも未完の小説『ラスト・タイクーン』を書きながら死を迎えています。この時間の直前に、村上氏は奇妙な夢を見たのです。それは、がらんとした大きな建物の夢で、部屋の右手には首を切り取られてしまった牛の胴体が、左手にはその切り取られた首の方が床に並べられている。首も胴体もだらだらと血を流し続けている。全部で500頭分くらいの牛たちの頭が整然と並べられているのだ。窓の外には大量の鷗が舞っている。牛たちはじっと僕(村上氏)を見つめており、彼らの視線は「マダ死ンデナイ、マダ死ンデナイ」と言っている。それに対して鷗たちは「モウ死ヌヨ、モウ死ヌヨ」と言っている。

 村上氏はここで目を覚まします。そして、「死にたくない」と思います。

「僕は小説を書くことによって、少しずつ生の深みへと降りていく。小さな梯子をつたって、僕は一歩、また一歩と下降していく。でもそのようにして生の中心に近づけば近づくほど、僕ははっきりと感じることになる。そのほんのわずか先の暗闇の中で、死もまた同時に激しいたかまりを見せていることを。」

 それにしても、30代後半でこんな深い思考を繰り広げられるというのは並大抵のことではありません。それだけいろいろ出来事について考え抜いてきた結果なのでしょう。

 最後に付け加えると、村上氏は卓越した小説家であり、洗練されたエッセイストであるとともに、素晴らしい翻訳家でもあります。翻訳について、村上氏は次のように述べています。

「他人の小説をこつこつと翻訳することは、僕にとっては一種の治癒行為であると言ってもいい。それが僕が翻訳をする理由のひとつである。」

 こんな風にさらっと言いのけてしまうところが、とても並の作家ではないところを見せつけています。

 小説家であり、エッセイストであり、翻訳家である(しかも、かつてはジャズバー経営者!)「人間 村上春樹」についてのしっかりとした研究が待ち望まれます。