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映画、書評、ジャズなど

渡辺靖「アメリカン・センター アメリカの国際文化戦略」

アメリカン・センター―アメリカの国際文化戦略

アメリカン・センター―アメリカの国際文化戦略

 近年はとりわけ軍事面での世界展開が目立つアメリカですが、かつてはしたたかな文化戦略をもってアメリカの文化的魅力を高める「パブリック・ディプロマシー」の活動を展開してきたことを明らかにした力作です。

 アメリカのパブリック・ディプロマシーが活発化するのは、第二次世界大戦後の<冷戦>状況が背景にありました。戦時中、数々の文化人類学者たちが関与した戦時情報局(OWI)のような活動がありましたが、このOWIが母体となって、後の1953年にアメリカ広報・文化交流庁(USIA)が設立されますが、これが戦後のアメリカのパブリック・ディプロマシーの柱を担うことになります。

 このUSIAは、大統領直轄の独立機関であり、国務省を広報活動から解放したいジョン・ダレス国務長官の意向が強く働いていたとのことです。ちなみに、1961年、かつてマッカーシの赤狩りに毅然と立ち向かったニュースキャスターのエドワード・マローがUSIAの長官に就任します(この辺が大変アメリカらしいという気がします。)。

 ところで、かつてのアメリカは日本に対する宣伝活動にも力を入れていました。戦時中から戦後にかけて日本の民主化を推し進めたのは民間情報教育局(CIE)です。CIEは全国各地に図書館を設置し、アメリカから取り寄せた英文図書や定期刊行物が一般市民に開放されたのですが、戦後の焼け野原の中でこうした図書館を提供したことは、日本国民に対して大変大きな文化的魅力をもたらします。このCIEの図書館は後にアメリカ文化センター(ACC)と名称を変えた後、アメリカン・センター(AC)の母体となります。

 先に触れたUSIAの海外出先であるUSISの東京オフィサーは、日本国内でアメリカ文化センターの図書館や個人的な人脈をフル活用して活動を展開していました。特に興味深いのは、労働組合の穏健派の指導者たちを渡米させてアメリカの組合関係者を引き合わせるという活動を行っていたという事実です。この時期は、1946年に創設されたフルブライト交流計画も展開されるなど、アメリカが人物交流に力を入れていた時代といえます。

 日米の民間レベルの交流としては「国際文化会館」も挙げられます。ロックフェラー財団の総帥ジョン・ロックフェラー2世の長男であるジョン・ロックフェラー3世が中心となって設立されたこの組織は、民間レベルの文化交流と知的交流を推進していきます。戦後の知日派の人々の中には今でも国際文化会館を滞日中の常宿としている者が少なくないとのことです。

 さて、先ほど触れたUSIAですが、ケネディ政権の時にその長官にエドワード・マローが就任します。マローは1961年にソ連が核実験再開を発表した際のアメリカの対応についてケネディから意見を求められた際、即座にアメリカが核実験再開を宣言することは、広報的見地から得策ではないと述べ、結局、国家安全保障会議もこの案でまとまったとのことです。また、キューバ危機の際は、USIAのウィルソン副長官はU−2偵察機が撮影した証拠写真を公開することをCIAなどの反対にもかかわらず提案し、ケネディはこのウィルソンの案を支持したとのことです。このように、この時期はマローの下でUSIAがアメリカの政治判断に大きな影響を与えた時期でした。

 1960年代は「パブリック・ディプロマシー」という言葉が生まれた時代であったものの、USIAを取り巻く環境は、ベトナム戦争の泥沼化とともに急速に悪化したと著者は指摘します。ベトナム以外の地域へのUSIAのリソースは削減されてしまいます。

 日本における広報・文化活動も大きな転機を迎えます。テレビの普及によってアメリカからの映像が直接お茶の間に入ることによってUSISによる活動は急速に意義を失っていくことになったためです。アメリカ文化センターもアメリカン・センターとして再編されますが、各地にあった機能は大幅に整理統合されます。

 ニクソン大統領が辞任すると、USIAに対する風当たりも強くなり、USIAを廃止すべきといった見解も示されるようになります。そして、カーター政権下において、国務省とUSIAが行っている情報・文化活動は併合され、「国際交流庁(USICA)」が設置されます。

 その後、レーガン政権になると、USICAは再びUSIAに再改称されますが、レーガンのハリウッド時代の親友であるチャールズ・ウィックが長官に任命されます。ウィックは「遅いメディア」を重視した従前のUSIAとは違って「早いメディア」を重視し、教育・文化交流プログラムのような「遅いメディア」には懐疑的であったようです。

 そして、レーガン時代は何と言っても冷戦が終了した時代であり、アメリカの広報・文化活動はその大義を失った時代で、このことがUSIAの存在意義を大きく揺るがすことにつながっていったのです。

 冷戦終結後のUSIAはレゾンデートルを再定義し、アメリカの商業的価値観の優越性と経済政策の健全性をアピールすることで、パブリック・ディプロマシーと貿易振興の相乗効果を図るようになります。しかし、USIAへの風当たりは強まり、一時は廃止法案が議会に提出もされます。クリントンは議会工作の過程でUSIAを国務省の管轄に置くことを約束し、USIAは国務省に整理統合されることになります。

 ジョージ・ブッシュ(子)の時代になると、国務長官のコーリン・パウエルは、国務省パブリック・ディプロマシーの担当者として、大手広告会社の会長兼CEOを務めた女性シャーロット・ビアーズを任命します。ビアーズはアメリカ文化やライフスタイルをブランド化してイスラムの若者の心を掴もうとしたものの、結局効果を上げることができないまま辞任することになります。

 その後、パブリック・ディプロマシー担当の国務次官に任命された2名の者も結局辞任します。イラク戦争開始後のアメリカの暗部が次々と明らかにされていく中、アメリカのブランド価値を高めていくことがいかに難しいかを表しています。

 著者は最後に、パブリック・ディプロマシーを強化すれば自ずとソフト・パワーが高まるものではないものの、ただその活用の仕方によっては、国益のみならず国際益を高めていくことも可能である点を強調されています。ナイの言葉を使えばアメリカにはメタ(上位の)・ソフト・パワーがある、すなわち、自らを批判できる器の大きさや自省力があり、それこそがアメリカの魅力や活力の源泉になっているというわけで、著者はそうしたいわば国際益が開かれていく方向でのパブリック・ディプロマシーを期待するとして、本書を締めくくっています。


 以上がざっと本書の内容を概観したものですが、アメリカという国が我々の自覚を超えて日本に対するパブリック・ディプロマシーを展開してきていることに驚かされます。典型的なものは、先にも触れた労働組合幹部に対する活動です。アメリカを直に見た人々は少なくともアメリカを嫌いになることはないのだ、というアメリカの強い自信もそこには垣間見られるわけですが、事実、その自信はかなりの程度当たっているのではないかと思われます。アメリカが冷戦下においていかにしたたかな文化外交を展開してきたかが、本書からは実に迫力をもって伝わってきます。

 ひとつ本書を読んでハッとさせられたのは、VOAで長きにわたって人気ジャズ番組のDJを務めていたウィリス・コノーバーという方の次の言葉です。

「ジャズというのは完全なる規律と無秩序が交わるところに生まれます。演奏家はテンポ、キー、コードについて合意しますが、それ以外は各々を自由に表現して構いません。それがジャズです。そして、それはまさにアメリカそのものなのです・・・ジャズはアメリカの流儀を音で表現したものなのです。アメリカにいるとそのことに気づきませんが、他国の人々はその自由を感じ取っているのです」(p45)

 最近特にジャズにはまっている私としては、ハッとさせられる言葉です。実は、自分もジャズを通じてアメリカの文化に接し、その魅力に取り憑かれているのだということを改めて実感させられました。

 確かにジャズの魅力は、スタンダード・ナンバーの原曲を一旦崩してしまい、それをミュージシャンの解釈によって再構築していく過程にあるといえます。その過程こそが、アメリカ社会を象徴しているというわけです。

 それからもう一点、本書を読んで強く思ったのは、やはり日本のパブリック・ディプロマシーの不十分さです。日本政府の文化外交に係る予算の多くは国際機関などへの分担金です。それは、戦争の後遺症でパブリック・ディプロマシーを前面に打ち出すことがためらわれてしまいがちになってしまうという不幸もあるのでしょうが、諸外国に比べるとその戦略性の欠如を感じざるを得ません。

 最近では、イギリスが「クール・ブリタニカ」キャンペーンを展開し、イギリスに対するイメージの転換に乗り出すとともに、ブリティッシュ・カウンシルの活動を展開しており、また、ドイツでもゲーテ・インスティチュートなどが多くの国家予算をつぎ込んで活動を展開しています。そして、中国でもここ最近の短期間で孔子学院を急速に拡大展開しており、既に世界に150校も存在しているようです。

 そんな中で日本のパブリック・ディプロマシーはもっとその意義が強く認識される必要があるのかもしれません。

 ちなみに、本書によれば、2003年度のデータで各国の予算規模や人員等を比較した場合、予算規模はブリティッシュ・カウンシルが959億円、ゲーテ・インスティチュートが295億円であるのに対し、日本の国際交流基金は177億円、そして、職員数はブリティッシュ・カウンシルが5294人、ゲーテ・インスティチュートが3121人であるのに対し、国際交流基金は348人、さらに海外事務所数は、ブリティッシュ・カウンシルが282カ所、ゲーテ・インスティチュートが128カ所であるのに対し、国際交流基金はわずか19カ所なのだそうです。

 昨今、日本もアニメやマンガ、映画、ゲームなどのコンテンツで日本の魅力を高めていこうとしている中、本書は大変タイムリーかつ極めて重要な研究と言えそうです。