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五輪開会式の政治学

 北京五輪の開会式はなかなかの圧巻でした。

 独特の映像美を追求し、中国の昔の素朴な面と近代的な面を共にフィーチャーする作品を作り続けてきたチャン・イーモウが総監督を務めただけあって、視覚的な美しさは大変素晴らしいものでした。

 冒頭の太鼓のパフォーマンスは、大勢の太鼓の演者たちが一糸乱れずにぴったりと同じ動きをしながら、太鼓の爆音をとどろかせる迫力に溢れたものであり、また、カウントダウンのパフォーマンスも大変素晴らしいものでした。おそらくは相当の期間をかけて大勢の人たちが厳しい練習を積んだに違いないと推測されるわけですが、こういうパフォーマンスはある意味、中国のような独裁体制だからこそできるという見方もできるでしょう。

 「有朋自遠方来 不亦楽乎(朋あり遠方より来る、また楽しからずや)」という孔子の言葉を引用している点は、孔子を中国のソフトパワーとして積極的に活用していこうという姿勢を象徴するものといえます。中国は近年、世界各国の大学などと提携して、中国語の普及を図っているものですが、今では世界で200校ほど存在するようですが、そのネーミングに冠されている孔子を開会式に用いるというのはなかなかの奇策ではないかと感じました。



 さて、私がこの開会式を興味深く眺めたのは、各国選手団の入場に対する観客の反応です。

 日本の選手団に対してはブーイングこそなかったように見受けられましたが、かといって、一際声援が大きくなったというわけでもありません。

 逆に声援が大きかったのは、まず、アメリカの選手団に対してです。アメリカは事あるごとに中国の人権問題を批判してきているわけで、米中関係はさぞかし冷え切っているものかと思いきや、実は全然そんなことはないようです。確かに、多くの中国人はアメリカの大学院に留学していますし、そもそも、中国の名門大学の清華大学は、義和団事件の際にアメリカが得た賠償金がその後中国に返還され、それが元手で設立されたものです。胡錦涛清華大学を出ているくらいですから、おそらくは、中国国民の意識の底流にアメリカに対する好意の情が流れていると考える方が素直でしょう。ソフトパワーに基づくアメリカの世界戦略はこんな昔から着々と積み上げられてきたのだということを改めて認識させられます。

 ロシアに対しても観客から一際大きな声援が寄せられていました。かつては国境を巡って戦争まで引き起こした両国ですが、最近では、ロシアが大ウスリー島の半分を中国に引き渡すことに合意するなど、両国の関係はだいぶ良好なことが窺えます。

 日本人にとって一番ピンとこなかったのは、カナダ選手団に対する観客の声援だったのではないでしょうか。NHKの実況アナも、カナダ選手団の入場の際に一際大きな声援が送られたことについて、いまいちピンと来ていなかった感じが窺えました。

 実は、中国人がカナダ選手団に大きな声援を送ったのには、それなりの理由があったようです。それは、白求恩(ベチューン)というカナダ人医師の存在です。カナダ共産党員だった白求恩は抗日戦争の際に中国に派遣され、数多くの中国軍人の手術をして命を救った人物として、中国では極めて有名な人物なのです。しかし、白求恩は、手術の際に病原菌が感染したことによって命を落とすことになります。白求恩は後に毛沢東によって賞賛され、かつては白求恩医科大学という名の大学も存在していたくらい、中国人の間では模範的な人物として取り上げられているようです。

 中国人たちは、教科書を通じて白求恩についてよく学んでいるわけで、だからカナダ選手団に対して盛大な声援を送ったというわけです。


 このように、開会式の入場行進の様子を見ることを通じて、中国人たちが世界各国に対してどのような意識を持っているのかが垣間見ることができます。その意味でも大変興味深い開会式でした。