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デイヴィッド・シャレク&エロール・ムヌス「注文の多い地中海グルメ・クルージング」

注文の多い地中海グルメ・クルージング

注文の多い地中海グルメ・クルージング

 これは実に面白いノンフィクションです。

 アメリカ人の料理人デイヴィッドがフランスやイタリアで修行を積んだ後、富裕なイタリア人夫婦の所有するクルーザー<セレニティ>号に乗り込んで専属のシェフとして務めたときの話を書いたものですが、その過程は決して平坦なものではなく、時に挫折を味わったり、時に料理人としての至福の喜びを感じたりと、実に起伏に富んだ物語となっています。

 デイヴィッドはアメリカにいる頃からそれなりのキャリアを積んでいたのですが、そうしたキャリアを捨ててフランスのプロヴァンスに渡ります。彼はそこで料理界の権威の下で無給の仕事に就くことになりますが、結局クビになってしまいます。

 その後デイヴィッドはイタリアの田舎のレストランを転々として修行を積んでいきます。しかし、この修行中にも、彼は厳しい言葉で料理人としての自覚が欠けていることを指摘されます。あるオーナーから2つの仕事を選ぶように言われ、デイヴィッドは簡単な方を選択してしまったことを厳しき咎められたのです。

 そして、ようやく巡り会ったのが、<セレニティ>での仕事です。ひと夏の間<セレニティ>に乗り込んで、オーナー夫妻やゲストたちの料理を作るのが仕事です。夫妻は5月から7月までの平日は仕事をしており、週末にヘリコプターでやってきて、地中海のあらかじめ決めておいた場所で待っている<セレニティ>に乗り込んで、船上の生活を過ごし、8月だけは1ヶ月間船上での生活を過ごすというスケジュールです。

 オーナー夫人のラ・シニョーラはデイヴィッドに次のような指示を出します。

「立ち寄る港によって料理は違うから、その土地の特色を考慮してメニューを変えてちょうだい。」


 <セレニティ>はフランスのアンティーブを出発して、陸地に沿ってイタリアへと移動していきます。デイヴィッドは最初、ラ・シニョーラからパテが欲しいと言われたのに対して、それがフォアグラを指していることが分からず、出した食事を「ドッグフード」と罵倒されます。しかし、次第にデイヴィッドはオーナー夫婦からの信頼を得ていくようになります。ラ・シニョーラはデイヴィッドに対して事細かに指示を出しますが、彼はそれに忠実に応えていくのです。

 イタリア人は食事に満足すると、人差し指を軽く頬に当てて、何も言わずに一度か二度ひねるように回すのだそうですが、デイヴィッドもオーナー夫婦からこのジェスチャーをもらえるようになっていきます。


 船ではオーナーの気まぐれで急にパーティーが入ったりしますが、そんなときもデイヴィッドは、オーナーの期待に見事に応えていきます。

 やがてオフシーズンを迎えると、デイヴィッドはアメリカに帰ることを決意します。デイヴィッドのことを気に入ったラ・シニョーラは、彼に新年のパーティーに協力してくれるよう提案し、デイヴィッドは快く受け容れます。



 随所に料理ネタが盛り込まれ、読者の味覚にも訴えながら話は進んでいくので、その点だけでも十分に楽しめる本なのですが、私が最も印象に残った点は、ラ・シニョーラの優雅な振る舞いです。彼ら夫婦のリッチぶりは桁外れで、週末にヘリコプターでやってきて、<セレニティ>の上空で何度か旋回してクルーたちに挨拶するといった行為には度肝を抜かれてしまいます。そして、ラ・シニョーラのデイヴィッドに対する歯切れの良い指示出しは、イタリアの富裕層がいかに洗練した人々であるかを感じさせます。料理が気に入らないときはストレートに指摘し、逆に料理が気に入った時は素直にシェフを褒め称える、そんな振る舞いは大変魅力に溢れています。

 平日と週末とで生活スタイルをきっちりと分けている様も、さすがイタリア人です。この本を読んでも、この夫妻が普段どんな仕事をしているのか結局分からないままに終わってしまうのですが、それは、こうしたイタリアの富裕な人々が仕事と遊びの峻別の仕方をわきまえていて、遊びの作法をよく心得ていることの現れとも言えます。

 今日の日本社会には、こうしたリッチな社会層は存在しません。それは、日本社会が欧米の社会に比べて平等な社会を実現しているということを意味しているものでもあり、それはそれでプラスの評価を下すことはできるでしょう。

 ただ、逆に、こうした富裕層が存在しないということは、こうした洗練された振る舞いを身につけた階層が存在しないということも意味するものであり、マイナス面が全くないとは言えないような気もします。

 考えてみれば、大衆のレジャーというのは、かつての貴族の振る舞いを富裕商人たちが模倣・追随し、さらに大衆がそれをまねることによって成立してきたという面があります。バカンスやリゾートというのは、その典型です。つまり、社会の富裕層たちは、大衆の憧れとなるような行為を実践し、大衆の模範となってきたという面があるわけです。

 ところが、日本のにわか富裕層たち、例えば、ホリエモンにしろ、村上ファンドの社長にしろ、お金の優雅な使い方をわきまえていないという気がしてなりません。ホリエモンを始めとするライブドアで稼いだ面々などは、稼いだお金を何に使うのかといえば宇宙旅行くらいしか思い当たらないわけで、とても大衆の憧憬を誘うような金持ちの作法を心得ているとは言えません。これは、総中流社会を実現してきた日本社会の持つ一つの側面でもあるのです。

 それに比べて、本書で登場するイタリア人の富裕層たちは、遊び方をよく知っていますし、人々の尊敬を集めるすべを知っています。本書を読んでいて、本当に羨ましい気持ちになり、ほれぼれとしてしまいます。


 だいぶ話が逸れてしまいましたが、端的に言えば、こんな面白い本はなかなか出会えるものではありません。

 是非、読んでみてください。