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映画、書評、ジャズなど

「ティファニーで朝食を」

文学 村上春樹

ティファニーで朝食を

ティファニーで朝食を

 村上春樹氏による翻訳が出たこともあり、随分以前に読んだけどもほとんど内容を忘れていた本書を再び読んでみました。

 本書の標題となっている作品は、語り手である僕が奔放に生きる女優の卵であるホリー・ゴライトリーと同じアパートに住んでいたことから関わりを持つようになり、やがて好意を持つようになるものの、再び遠くへ離れていくという切ない過程を描いた話です。

 ホリー・ゴライトリーの郵便受けにはいつも「ミス・ホリデー・ゴライトリー・トラヴェリング」と印刷されたカードが掲げてあるというのが、ゴライトリーの奔放な生き方を象徴しています。


 ゴライトリーはサリー・トマトというマフィアの囚人に毎週刑務所まで会いに行き、天気予報を弁護士に伝えて報酬を得ていた。彼女はサリーの姪と偽って面会していたのだった。

 実は、彼女には、かつてドク・ゴライトリーというかなり年上の男と結婚していた過去があった。ホリーは幼少時に両親を亡くし、ホリーとその弟のフレッドは様々な人たちの下を転々としドクの家に落ち着き、ホリーはドクと結婚したのだが、2人は再びドクの下を逃げ出したのだった。

 こうしてニューヨークにたどり着いたホリーは、家でパーティーを開いたりして、華やかな交友関係を繰り広げていた。

 しかし、ホリーは、サリーとの関係から麻薬密輸への関与を疑われ、逮捕されてしまう。当時彼女はホセという男との間で妊娠していたが、逮捕の際の衝撃で入院することになる。

 僕は、ホリーを海外に高飛びさせる策略を練り、海外へ脱出する。一度彼女から手紙が届いたものの、その後の消息は不明となった。アフリカで彼女によく似た彫像が目撃されたが、彼女の行方は分からないままであった・・・。


 本書の魅力は、何といってもホリー・ゴライトリーの奔放なキャラクターにあります。どん底の境遇で育ちながら、ニューヨークの街中で華やかな交友関係を築けることができるのですから、よほど何か男たちをほっとけない気持ちにさせる何かを持っていて、そして、世間を渡っていくだけの器量を持っていたということです。しかし、その性格は決してずるがしこいというものではなく、極めて純真な心の持ち主なのです。だからこそ、彼女は純粋な気持ちでサリー・トマトと接していたにもかかわたず、サリーの関係を疑われて逮捕されてしまったわけです。そんなキャラクターが読む人を惹きつけて放さない一番の理由ではないかと思います。

 ところで、本書を読む人のイメージは、オードリー・ヘップバーンが主演し、ヘンリー・マンシーニ主題歌「ムーン・リヴァー」が印象的な映画によって形成されている部分が多いわけですが、村上春樹氏の解説によれば、カポーティ自身はヘップバーンが主演すると聞いて、少なからず不快感を表したと伝えられているそうです。

 私は映画をまだ見ていないのですが、確かに「ローマの休日」でピュアな王女役を演じたヘップバーンとホリー・ゴライトリーとは、育ち、奔放さの類が異なっているという気はします。そういう意味では、カポーティの気持ちも分からないではないのですが、ただ、ではヘップバーンに代わる適役がいるのかと言われれば、なかなか思い浮かびません。この小説で描かれているホリー・ゴライトリーのキャラクターのイメージはそれだけ微妙なバランスの下で成り立っているように思います。

 村上氏の解説によれば、この作品は本来ある女性誌に掲載される予定として執筆されたのが、最後の最後で掲載を拒否されたとのこと。その理由の一つは、大きな広告主であるティファニーが不快感を抱くのではないかと編集者が危惧したことにあったそうです。カポーティはそれを聞いて、

「そのうちにティファニーは僕の本をウィンドウに飾るようになるよ」(p215)

と述べたのだそうです。実際、この本はおそらくティファニーのイメージ・アップにつながったいることは間違いないでしょう。今から振り返ると、カポーティのこの過剰とも言うべき自信が何とも痛快です。


 ちなみに、本書にはほかにも3つの短編が収録されています。

 『花飾りの家』は、ある人気の娼婦オティリーが未開地の男のところへ連れられていき、その男に木に縛り付けられ、他の娼婦たちが連れ戻しに訪れ、オティリーは木から解き放たれたものの、再び木に結びつけてと懇談する話。

 『ダイアモンドのギター』は、長年囚人をやっているミスタ・シェーファーが、新しく入ってきた囚人ティコにうまくそそのかされて脱走を試みるが、ミスタ・シェーファーだけが脱走に失敗するという話。

 『クリスマスの思い出』は、60歳を超える女と7歳の僕との間のフルーツケーキを巡る交流を描き、やがて離ればなれになっていくという話。

 どれも正直あまり興味深いものではなく、やはり標題の『ティファニーで朝食を』が圧倒的な魅力で輝いています。

 こういう優雅さの中に崩壊が潜み、明るいけども切なさが同居している作品というのは、胸が締め付けられるような読後感を与えてくれ、何度も読み返したくなります。