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「風の歌を聴け」★★☆

風の歌を聴け [DVD]

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 村上春樹の初の長編小説を1981年に映画化したものです。日本アート・シアター・ギルド(ATG)の作品というだけあって、極めて前衛的色彩の強い映画に仕上がっているのですが、村上春樹氏の小説のカラーとは180度反対方向に向かってしまっています。これは好き嫌いの問題という以前に、完全な失敗作というべき作品でしょう。

 村上春樹氏は、自らの作品の映画化に極めて慎重であることで知られていますが、何本かの作品が映画化されています。この大森一樹監督の『風の歌を聴け』のほか、山川直人監督の『パン屋大襲撃』『100パーセントの女の子』、そして野村恵一監督の『森の向う側』(原作は『土の中の彼女の小さな犬』)、そして割と最近では市川準監督の『トニー滝谷』があります。

 映画『トニー滝谷』はイッセー尾形宮沢りえら豪華俳優が出演し、音楽を坂本龍一が手がけたこともあり、成功作と言えると思いますが、少なくとも、この『風の歌を聴け』について言えば、良いところを見いだすことさえ難しいと言わざるを得ません。作品全体を貫くカラーが小説と映画で全く違うことに加え、小説にはないいくつかの設定(神戸まつりの事件のエピソードや、神戸行きのバスの話など)についても、なぜそれを加えなければならなかったのか、今ひとつピンときません。

 村上作品には数々の音楽が登場するところに特徴があります。もともと村上春樹氏はジャズ喫茶のようなものを営んでいたことは知られており、ジャズにまつわる数々のエッセイや翻訳を出版されています。ですから、村上作品を映像化するに当たっては、小説に登場するクールな音楽をどのように盛り込んでいくかが重要なはずです。ところが、この『風の歌を聴け』は、ビーチボーイズの「カリフォルニア・ガールズ」を除けばほとんどが極めて陳腐な音楽で全編が覆い尽くされてしまっています。

 この作品が映画化された当時は、当然のことながら、いまだ村上春樹氏に対する評価が定まっていなかった時代ですから、村上作品を的確に捉えきることが今と比べれば困難であったという事情は理解できますが、それにしても、村上作品の良さを悉くつぶしてしまうような映画化をしてしまったことは、村上作品が全世界的にこれだけ浸透した今日から振り返れば、大変残念というしかないでしょう。

 特に、個人的には『ノルウェイの森』は是非とも映像で見てみたいという気がするのですが、四方田犬彦氏によれば、村上春樹氏はかつて『ノルウェイの森』の映画化を申し出た監督に対し、たとえキューブリックが映画化したいと言ってきても自分は断るといって、あっさりと映画化を断っているようです。

 村上春樹ファンは正直見ることをお勧めできません。



P.S.四方田犬彦氏は、村上春樹氏は西海岸のジャズが好きなのに対し、この映画作品で大森監督はフリージャズを好んで使用し、当時猛烈なインプロヴィゼーションを展開していたサックス奏者坂田明氏をバーの主人役に起用している点を指摘し、「原作者と監督とは資質的に大きく違っていることが判明する。」と述べている点はなかなか面白い見方だと思いました。

さらにP.S.村上春樹氏はジャズ・ミュージシャンたちについてセンスあふれる批評を展開している『ポートレイト・イン・ジャズ』(私はこれを超えるジャズ評論を見たことがありません。)のグレン・ミラーの章の中で次のように述べています。

「『風の歌を聴け』という最初の小説を書いたとき、もしこの本を映画にするなら、タイトルバックに流れる音楽は「ムーンライト・セレナーデ」がいいだろうなとふと思ったことを覚えている。」

 この文書が書かれたのが映画化の前か後かは調べていませんが、いずれにせよ、この映画の空気は明らかに村上氏のイメージしていたものとは全く異なるものであったことは間違いないでしょう。