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岡田暁生「西洋音楽史」

西洋音楽史―「クラシック」の黄昏 (中公新書)

西洋音楽史―「クラシック」の黄昏 (中公新書)

 私はジャズほど熱心にクラシック音楽を聴くわけではありませんが、やはり現代の音楽のルーツを考える上でも西洋音楽がどのような変遷を辿ってきたかについては知っておく必要があろうということで、この本を手にしてみたのですが、その内容は分かりやすく、帯に「流れを一望」とあるとおり、クラシックについて素人でも西洋の音楽史の流れをスーッと理解することができる良書でした。

中世音楽

 著者は西洋音楽史の重要な水源の一つとして、グレゴリオ聖歌を位置付けます。これは「単旋律によって歌われる、ローマ・カトリック教会の、ラテン語による聖歌」を指します。ただ、グレゴリオ聖歌は確かに芸術音楽のルーツではあるものの、それ自体はまだ芸術音楽(著者によれば「楽譜として設計された音楽」)ではないと著者は述べています。芸術音楽が始まるのは、イタリア・フランス・ドイツのトライアングルである西洋世界が成立するカール大帝フランク王国の時期だということです。

 この時期、グレゴリオ聖歌は紙に書かれるようになり、さらに、人々は単旋律で歌うだけでは物足りなくなり、もう一つの旋律を重ねて歌うようになります。このジャンルは「オルガヌム」と呼ばれているそうです。

 さらに時代が下ると、グレゴリオ聖歌オルガヌム声部より下に置かれることが多くなります。つまり、オルガヌム声部の方が曲の主眼になってくるのです。これは12世紀に入って生じた出来事だそうです。

 そして、12世紀末のノートルダム楽派の時代に、中世音楽は爆発的な発展を見せます。この楽派はノートルダム大聖堂を中心に展開したものですが、この時代の音楽は、言葉の抑揚から解放され、音楽固有の時間分節の法則(リズム)を追求するのようになったということです。これは音楽が言葉から自立していくプロセスの非常に重要な第一段階だと著者は述べています。ただし、中世の音楽は決して音を楽しむものではなかったようで、音楽とは「世界を調律している秩序」であり、耳できこえるものの背後には神の秩序が存在しているという観念が強かったようで、今日の音楽との隔絶は大きかったようです。

 中世後半にはオルガヌムから生まれた「モテット」というジャンルが中心になります。これは、グレゴリオ聖歌を低音に置き、その上に自由に考案した旋律を置く点ではオルガヌムと同じであるものの、上にのせられる旋律がフランス語で歌われる点が違う点です。これは聖と俗が交じり合った不可思議な世界です。この頃になると、モテット芸術は神などお構いなしに複雑化し、芸術のための芸術を追い求めるようになります。これまでの三拍子系だけではなく「アルス・ノヴァ」という二拍子系のリズムも正確に表現できる記譜理論も提示され、これは教皇庁も巻き込んでの大きな論争となったそうです。たかが拍子を変えただけで大きな騒ぎとなってしまう時代だったのです。このアルス・ノヴァ論争は、芸術音楽史における宗教と音楽との乖離を告げる最初の出来事だったと著者は述べています。

ルネサンス音楽

 ルネサンスの時代になると、中世音楽とはうってかわって、音楽は「美しい」ものとなります。この時代に、我々が音楽と考えるような音楽になります。

 15世紀音楽を代表するのは、イギリスからの影響を受けて、おおらかな旋律の流れと暖かい響きを特徴とする無伴奏の宗教合唱曲です。この時期は多くの作曲家がフランス北部とフランドル地方から輩出されたために「フランコフランドル楽派」と呼ばれているそうです。

 この時期は、世俗曲から旋律を借り手宗教曲を作るということが起こり始めます。そして、大量の「作曲家」が出現したこと、すなわち自作に署名する作曲家が激増したことも特徴としてあげられます。これは、後世にまで残る「作品」としての音楽を作ろうという意識が生まれてきたということです。音楽のジャンルも多様化し始めます。

 16世紀になると、フランドル楽派に代わって、イタリア人の作曲家に音楽史の主導権が移り、「ヴェネツィア楽派」と呼ばれるスタイルが開花します。この楽派の売り物が「エコー効果」で、別の席に置かれた二つの合唱が互いにエコーで呼び交わすような効果をフル活用します。

 また、16世紀の音楽は「和音」が柱となります。著者によれば、「和音」の発見は「不協和音」の発見と同義だとのことです。つまり、音楽は「美(協和したもの)」から「(不協和が象徴する)表現」になり始めたのだというわけです。この不協和がもつ表現力を徹底的に極めた作曲家がクラウディオ・モンテヴェルディであり、その壮大な実験場となったのがマドリガーレというジャンルだそうです。これは一見従来の無伴奏合唱曲のスタイルを守っているように見えるものの、不協和音や半音階を非常に頻繁に用いて、世俗的な歌詞内容の表現力を強めるというスタイルを採っているもので、こうしたモンテヴェルディの過激な表現方法は保守派の激しい反発を招いたそうです。こうした論争がバロック時代の幕開けを告げるものだと著者は述べています。

バロック

 バロックの時代になると、ヴィヴァルディ、ヘンデル、バッハといった今日知られている多くの作曲家が登場します。ジャンルにおいても、鍵盤独奏曲、協奏曲、管弦楽曲、オペラといったジャンルが登場してきます。響きやリズムの点でも、我々の感覚に急速に近づいてきます。

「要するにバロックとは、「古楽(歴史上の音楽)」が「クラシック」になりはじめた時代なのである。」(p61)

 バロックとはもともと「いびつな真珠」という意味だそうで、つまり、ルネサンスと比べた時のこの時代の美術の趣味の悪さを表現したものなのだそうです。

 バロック時代は、宮廷のための贅を凝らしたBGM的な音楽が大量に作られた時代です。絶対王制を維持するために必要な壮大な祝祭を演出するために欠かせない小道具の一つが音楽だったのです。この時代の音楽の意味について、

「宗教から生まれた音楽が、徐々に裕福な貴族のための快適な楽しみへ移行していくプロセス」(p66)

と述べています。

 そして、この時代の音楽の頂点は「オペラ」です。著者は、バロックとオペラはほとんど同義だといったも過言ではないとさえ述べています。

 この時代の音楽は作曲技法の観点から「通奏低音と協奏曲の時代」と位置付けられます。「通奏低音」とは、曲を最初から終わりまで一貫して支えていく低音のことですが、この時代、通奏低音の上に旋律をのせるというスタイルが中心になります。そして、もうひとつの「協奏曲」の原理は、ルネサンスの均衡美に対して、「音色や音量や楽想の点で異なる複数の音響源を対照させ競わせる」という手法で、バロック時代の音楽はこの原理によって作られているとのことです。

 ちなみに、この時代の代表的音楽家のバッハについて、著者はこの時代の最も偉大な作曲家であることは認めつつも、時代の最も典型的な作曲家とはいえないとします。つまり、宗教音楽とフーガを創作の中心としたバッハは、和声的なものへと向かっていくバロック時代にあっては例外だったというわけです。

ウィーン古典派

 啓蒙主義の時代になると、神に捧げるためでもない、王侯を賛美するためでもない、「市民による、市民のための、市民の心に訴える音楽」が初めて生まれます。

 この時代の音楽は、旋律と和音伴奏だけでできたシンプルな音楽といったスタイルが確立されます。通奏低音も完全に廃止され、低音ではなく旋律がリードするようになります。つまり、旋律が通奏低音の重い足かせから解放され、自由に躍動するのが古典派です。「旋律それ自体の魅力」が主役になるのです。

「近代的な意味での「歌う音楽」が、個人の情感と意志の表現が主役となる音楽が、音楽史に登場した。」(p104)

 この啓蒙の時代の大きな特徴として、特権階級の独占物としての芸術音楽が、わずかずつではあるが市民に開放されたという点が挙げられます。音楽の政治的色彩が薄れ、音楽そのものに耳を傾ける聴衆が誕生するわけです。

 ハイドンは公開演奏会で大成功を収めた作曲家ですが、これは「交響曲」というジャンルが「演奏会」という公共空間における演奏と密接に結びついていたことの現れです。ハイドンは楽譜出版の世界でも弦楽四重奏などで成功を収めますが、これも、楽譜出版することにより自らを広く公に問うというこの時代の流れを象徴するものです。

 著者は、ハイドンによって確立された交響曲弦楽四重奏というジャンルは、近代市民生活の「公」と「私」の領域にそれぞれ対応していると述べます。そして、古典派の交響曲弦楽四重奏の魅力というのは、「公的な晴れがましさ」と「私的な親しさ」との均衡にあるのだと述べています。

 この時代の重要な音楽形式としては「ソナタ形式」があります。これは「対立を経て和解に至る形式」であり、いわば「音楽による議論」といえます。この点に古典派の特徴があると著者は指摘します。

 さて、この時代の代表的作曲家といえば、やはりモーツアルトです。この時代には喜劇オペラが台頭してきますが、この分野で絶妙なかけあいを音楽で表現したのがモーツアルトだったのです。モーツアルトは互いに異なる主題を繰り出しながら、決して形式が瓦解しないところに凄さがあると著者は述べます。

 さらに、この時代のもう一人の巨匠はベートーヴェンです。ベートーヴェンの音楽はもはや18世紀までの貴族世界と決定的に縁を切っている点に、ハイドンモーツアルトと決定的な違いがあると著者は指摘します。
 著者はベートーヴェンの音楽には「右肩上がりに上昇していく時間の理念」が見られ、ここに19世紀的な進歩史観の刻印を見ることはたやすいと指摘しています。そして、《第九》は啓蒙時代の「すべての開かれた音楽」という理念の究極の到達点だったと指摘します。著者の次のような指摘も興味深いものです。

「天賦の才ではなく労働によって大きな建物を作り上げていくベートーヴェンの音楽が、一九世紀市民社会によってあれほど崇拝されたのは、彼らがそこに「勤労の美徳」の音による記念碑ともいうべきものを見出したからではなかっただろうか。」(p130)

ロマン派

 著者はこの時代は偉大な個性の眩いばかりの百花繚乱であるが故に音楽史を語るのが難しいと述べています。
 この時代、人々は競って「音楽」というブランドを求め始め、広汎な聴衆が出現します。貴族や教会は音楽史の舞台から完全に撤退し、代わって公開演奏会が定着し、お金を出せば誰もが音楽を聴けるようになります。音楽学校も整備され、才能がある生徒であれば誰でも体系的な高等教育を受けられる制度が整備されます。

 また、この時代、過去の偉大な音楽が演奏会レパートリーに取り入れられるようになります。作曲家たちには、バッハやベートーヴェンと並べても恥ずかしくない不滅の名作を書かねばという使命感が芽生えてきます。

 音楽の民主化が進む反面、聴衆の質の低下がもたらされたことも否定できず、作曲家たちは大音量や高度な演奏技術を武器として使うようになります。音楽理論や美学そっちのけで演奏技術に絞った教本が出版されたりもします。こうして、とりわけでパリでは、途方もない技術で観客を圧倒する音楽が栄えるようになります。グランド・オペラという五幕からなる波瀾万丈の悲劇的メロドラマがパリの音楽生活の頂点に位置し、オペラ座通いはステータス・シンボルとなります。ピアノもステータス・シンボルとなり、大量の「ピアノを習う良家の子女」が出現するようになります。

 こうしたパリにおける潮流と逆の方向に音楽文化を発展させたのがドイツ語圏です。ここでは「真面目な音楽」の伝統が育まれます。このドイツの音楽のあり方には、初期ドイツ・ロマン派詩人たちの音楽感が深く関わっていたようで、器楽曲は宗教的敬虔をもって崇められるようになります。そして、ドイツ語圏の音楽は哲学の領域にまで高められ、哲学者が音楽を世界観のモデルにし始めるといったことも見られるようになるのです。

 こうして一見、パリとドイツ語圏では対照的な方向に向かうわけですが、著者は「市民を感動させる」という点にこの二つの共通項を見出しています。19世紀という時代は産業革命と科学発明と実証主義と資本家の時代であり、神は死に、目に見えないものは姿を消していきます。そういう時代にあって、神を殺してしまったせいで行き場がなくなった「目に見えないものへの畏怖」や「震撼するような法悦体験」に対する人々の渇望があった、そうした人々の希求を吸い上げるブラックホールとなったのが音楽だったのだと著者は述べています。

世紀転換期から第一次大戦

 この時期は音楽史上最もエキサイティングな時代です。フランスでは一八七〇年の普仏戦争の敗北により、ドイツに負けない正当な器楽文化を創ろうという目的で国民音楽協会が設立されますが、その後、ドビュッシーラヴェルの時代になり、揺り戻しがやって来て、ドイツ風の堅牢な形式を拒否し、フランス音楽独自のアイデンティティを確立しようとする動きが生まれてきます。ドビュッシーラヴェルは、「フランス的軽薄」とされた方向を意識的に目指し、それをダンディズムの美学というべきものへ昇華したと著者は述べています。

 ドイツでは、マーラーが再び神の顕現を音楽の中に見出そうとします。マーラーシュトラウスはロマン派音楽の二つの傾向である「物量作戦」と「音楽の擬似宗教化」を絶頂へと導きます。

 第一次大戦直前のこの時代、著者は音楽についての3つの既成概念が覆されたと述べています。1つは「調性」の破壊、2つめは「拍子の一定性」の破壊、3つめは「楽音」の破壊です。著者はこの時期におけるこうした現象を、その後に訪れるカタストロフの予言として捉えているのは興味深い点です。

20世紀の音楽

 第一次大戦後の1920年代、ロマン派は極度に嫌悪され、ミシンを踏むような機械的なリズム、残響のない乾いた響き、辛辣な嘲笑、実用音楽の喧噪に対する好みといった傾向が現れてきます。

 ストラヴィンスキーがアンチ・ロマン派潮流のカリスマに祭り上げられます。ストラヴィンスキーは「歴史の進歩」「オリジナリティ崇拝」を根底から否定し、ロマン派が最も蔑視した「継ぎ接ぎ」を作曲原理とします。著者は、

ストラヴィンスキーは、音楽史の終焉をクールに見定めつつ、あえて変則技を使って、なお残されているわずかな可能性を汲み尽くそうとした人だった。」(p211)

と述べています。これに対して、この時期に音楽史を前進させようとしたのがシェーンベルクです。彼は一二音技法という技法を理論化します。これは、一オクターブの中に含まれる一二の音をすべて平等に使おうとする音楽、すなわち調性のない音楽を理論化したものです。シェーンベルクは、

「音楽史を絶えず前進させなければならない、未曾有の響きの世界を切り拓かねばならない」(p214)

という考えに取り憑かれていたのです。

 ストラヴィンスキーシェーンベルクによる一九二〇年の試みは、「崩壊後の秩序の再構築」という共通の動機があったのだと著者は述べています。彼らは第一次大戦前に行った破壊の後に何らかの「型」をつくり出す必要を感じ、それぞれやり方は違うにせよ、その可能性を探ったというわけです。

 二〇世紀という時代は西洋が音楽に関するヘゲモニーを失っていった時代です。著者は二〇世紀後半の音楽史風景は「三つの道の並走」として眺められるべきだとします。
 第一は、前衛音楽の系譜です。著者は前衛音楽における公衆の不在を指摘します。
 第二は、巨匠によるクラシック・レパートリーの演奏です。指揮者のアーノンクールは次のように述べているそうです。

「一八世紀までの人々は現代音楽しか聴かなかった。一九世紀になると、現代音楽と並んで、過去の音楽が聴かれるようになりはじめた。そして二〇世紀の人々は、過去の音楽しか聴かなくなった。」(p223)

 二〇世紀に入ると、人々の関心は、「誰が何を作るか」ではなく「誰が何を演奏するか」に決定的に移っていったのだと著者は指摘します。

 第三は、アングロサクソン系の娯楽音楽産業です。西洋の音楽世界帝国を引き継いだのがポピュラー音楽だというわけです。著者は、ポピュラー音楽のルーツが一九世紀の西洋音楽にあることを指摘します。

「実際ポピュラー音楽の大半は、特に旋律構造や和声や楽器の点で、一九世紀のロマン派音楽をほとんどそのまま踏襲しているといっても過言ではない。」(p224−5)

 つまり、クラシックとポピュラーは地続きであって、世間で思われているほど対立的なものではないというわけです。

 著者の主張で大変興味深かったのは、モダン・ジャズの捉え方です。著者は次のように述べます。

第二次世界大戦以後の最も輝かしい音楽史上の出来事は、私の考えでは、一九五〇−六〇年代のモダン・ジャズである。・・・戦後のモダン・ジャズは、一種の「芸術音楽化」の路線を歩んだ。・・・ほとんど「作品」と呼んでもさしつかえない構成の緻密さ、そして複雑かつ独創的な音システムの飽くなき探求の点で、モダン・ジャズは西洋芸術音楽と同様の性格を示しているのである。」(p226)

 ただし、六〇年代半ば以降においては、フリー・ジャズなどの先鋭的な前衛路線と従来のオーソドックスな娯楽路線とに分裂し、モダン・ジャズも二〇世紀初頭において西洋芸術音楽に生じたのと同じことが生じたことを著者は指摘しています。

 このモダン・ジャズについての著者の分析には目から鱗でした。五〇年代、六〇年代のジャズが今日においてもなおスリリングであるのは、それがはっきりとした意思を持った運動であったからでしょう。この時期のマイルス・デイヴィスは、人種的偏見に対する反発をモチベーションとして西洋のコード進行を意図的に破壊していったのですが、マイルス・デイヴィスの自叙伝を読めば分かるとおり、マイルス・デイヴィスの追求したモード奏法などのモダン・ジャズの方向性は思った以上に緻密で理論的です。このモダン・ジャズの運動を西洋音楽史の中に位置付けた著者の洞察力には脱帽です。

 以上、本書の内容を私なりに振り返ってみましたが、著者も最後の方で指摘されているように、今日の我々の音楽は、いまだに西洋音楽の呪縛から逃れていないという点は重要です。このことはクラシックの世界では一目瞭然ですが、ポピュラー音楽の世界も、見かけほど実はそれほど現代的ではないと著者は指摘しています。著者はそもそもポピュラー音楽がその元凶であるとされる音楽の商品化という現象こそ、実は一九世紀の西洋音楽に始まった現象だと指摘しており、結局、ジャンルを問わず、今日の音楽状況は西洋音楽の歴史の上に位置付けられているということが言えそうです。

 本書でも述べられているとおり、西洋音楽のルーツはグレゴリオ聖歌に求められます。それはつまり宗教的なものです。今日の我々が音楽に求めるものも、実は宗教的な隙間を埋めようとしているという事情は、実は昔も今もそれほど変わっていないのかもしれません。

 今日確かにCDの売上は年々減少しているようですが、音楽を聴く人口が必ずしも減っているというわけではないようです。むしろ昨今のジャズなどはブームともいうべき熱気を持ちつつあるように思います。確かに、今日の音楽状況は西洋音楽の歴史の呪縛で行き詰まってしまっている面もあるかもしれませんが、そんな人々の音楽への欲求があれば、音楽が今後廃れていくことは決してないように思います。

 クラシックのみならずあらゆる音楽を考える上で、本書は極めて有益な示唆を提供してくれます。