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白石隆「海の帝国」

海の帝国―アジアをどう考えるか (中公新書)

海の帝国―アジアをどう考えるか (中公新書)

 本書は、過去200年間のスパンでアジアの歴史の大勢を捉えようとするものです。かつて東南アジアの歴史のリズムをなしていた「まんだら」の原理がポルトガルやオランダ東インド会社によって破壊された後に構築された「ブギス人の世紀」、そしてそのブギス人のネットワークを活用して19世紀初めにイギリスのラッフルズが構築を目指した「非公式(インフォーマル)」の帝国の秩序、その後中国人の秘密結社を利用してイギリスが構築した「よちよち歩きのリヴァイアサン」つまり近代国家の原理による秩序の構築、そして「よちよち歩きのリバイアサン」が次第に「複合社会」として形成されていく過程、そして戦後アメリカによる安全保障体制の構築・・・。

 このように、本書ではアジアの大局的な歴史の流れを、斬新な視点で探っており、大変スリリングで思わず引き込まてしまう内容となっています。



 著者のアジアの歴史の流れを簡単に概観すると次のような感じになります。

 東アジアという地域は歴史的に、港市や人口の集住地があちらこちらにあって中心となる「多中心」の地域だった。そして、そうした人口の集住地にカリスマ的な「王」が現れて「国」を建て、その中から現れる「大王」が「王」たちに号令をかけて帝国が成立するという「まんだら」システムが形成されていた。この「まんだら」システムには「海のまんだら」と「陸のまんだら」とがあり、これらが交互に盛衰するという歴史を繰り返してきた。

 ところが、ポルトガルのマラッカ占領は海のまんだらの成立を妨げ、東南アジアの歴史のリズムを破壊し、この地域を混沌に陥れた。そんな混沌とした状況の中、武装帆船に乗り組み、傭兵として、商人として、海賊としてこの海域を徘徊するブギス人の勢力による秩序が形成された。

 19世紀初頭にマラッカに到着したイギリス人のラッフルズは、オランダの海上政策を批判し、ブギス人のネットワークに注目して、ブギス人に海のまんだらをつくらせることで、マラッカ海峡からモルッカ諸島に至る自由貿易を旨とした「非公式(インフォーマル)」な秩序を建設しようとする。

 こうして東南アジア自由貿易帝国は海峡植民地国家を中核に構築された。そしてシンガポール、マレーシアといった「よちよち歩きのリヴァイアサン」が生まれた。海峡植民地国家は国家であるから人件費などのお金がいるものの、自由港なので関税収入は入らない。そこで、海峡植民地国家はラッフルズが当初敵視していた中国人の経済活動から資金を調達する仕組みを作り上げる。すなわち、イギリスは中国人にアヘンの独占販売を請け負わせ、中国人の秘密結社が下請けとなって胡椒・ガンビル農園で働く中国人の苦力(クーリー)にアヘンを販売する、こうして政府は徴税請負制度によって収入を手にするといった仕組みだった。

 やがて、イギリス人は、行政の便宜上、マレー人、インド人、中国人、ヨーロッパ人といったカテゴリーを基礎に植民地行政を行うようになる。都市計画上も、居住地区が分けられる。こうして、一つのリヴァイアサンの下に、言語、文化、宗教、思想、習慣などが異なる様々のコミュニティが並存すれども交わらずといった「複合社会」が出来上がる。その結果、本来空っぽであった民族的カテゴリーが切実な意味を持つようになるのである。こうして、数の政治が生まれ、メスティーソ、混血人というカテゴリーが消滅し、アイデンティティの政治が始まる。

 こうして国境線で分割されたリヴァイアサンを土台とする植民地世界が成立する。それは白人を頂点とする人種のヒエラルキー的に編成された。それぞれの国家においては、国家が直接統治を行うようになり、中国人の秘密結社は取り締まられるようになる。こうして「文明化」が進められることになる。つまり、西欧文明の光によってアジアの暗闇を照らすということだ。オランダ語で「わたし」と書いたジャワ人は「近代のめざめ」として大いに歓迎された。

 しかし、そういう「わたし」が土語に対してはどこにも繋がれず、漂流してしまう。それは権威の不在を意味した。そこで、オランダはリヴァイアサンのさらなる整備、とりわけ警察機構の近代化を図る。すなわち、自分で自分を取り締まる、規制する、監視するという体制を作り上げた。こうして「文明化」のプロジェクトは警察国家をもたらした。

 こうした「文明化」のプロジェクトはリヴァイアサンをそのエージェント(担い手)とするものであり、それがリヴァイアサン警察国家への変容をもたらしたときにすでに破産していた。東南アジアリヴァイアサンは、1940年代の日本軍の占領と革命・反革命の時期に積み木が崩れるように崩壊する。

 1940年代に入ると、アメリカがアジアの新しい地域秩序の形成に重要な役割を果たすようになる。そして、今度は日本がアジアにおける非公式帝国建設の戦略拠点となる。米国はアジアの新しい地域秩序を「半主権」と「ヘゲモニー」という二つのプロジェクトによって達成する。「半主権」とは、日本の軍事力をアジアにおける米国主導の安全保障体制に組み込み、日本のエネルギー供給を米国がコントロールすることだった。そして、アメリカは「豊かさの夢」、それを実現する経済成長への信仰という仕掛けを埋め込むことによって、アジアに「ヘゲモニー」をインプットした。

 戦後次々と独立を果たした東アジアの国々は、国民の国家であることを示さなければならない。そこで、社会主義を選択しなかった国々は、上からの国民国家建設を推し進めていった。タイは、チャクリ王朝時代に近代国家の体制を整え、「朕は国家なり」を原理とする近代国家、絶対王制国家の建設が行われた。1932年には革命が起こった際、国家を国民国家たらしめる国民がいなかったものの、王と王制が国家の正統性のシンボルとして生き延びた。 その後、官僚国家を経て、開発独裁体制の「権力集中」から「権力共有」へ、そして政党政治時代の「権力拡大」へと移行していく。そうした変化の中、社会的・文化的同質性の高いタイでは、暴動も略奪も宗教対立も起こらなかった。

 他方、インドネシアでは、1966年代半ば以降、スハルト体制の下で官僚国家が再建されるが、スハルトはショック療法で独裁体制を構築していった。スハルトは官僚国家の制度を壊していき、ファミリー・ビジネスの跳梁によって国民を食い物にするようになり、挙げ句には国民を敵とする国家へと化していったことで、結果的に行き詰まるべくして行き詰まった。つまり、タイで遂げられたような「権力の集中」から「権力の拡大」への移行ではなく、「権力の集中」から「権力の分散」へと揺り戻していった。それが今日に至るまでインドネシアの危機を招いている。

 他方、フィリピンでは、マルコスの「中心からの革命」が腐敗した権威主義体制をもたらした。フィリピン・エリートは大土地所有をその経済的基盤とし、欧米で高等教育を受けた文化的に同質な人々から誕生し、それぞれの土地に根ざしたボス議員としてマニラに出て行って議会を支配する。こうした「権力の分散」をマルコスは「中央からの革命」によって解消しようとした。しかし、始めから終わりまで独裁のボスだったマルコスは、マルコス王朝を建設してしまう。結局、「権力集中」の試みは成功せず、一層の「権力の分散」が進むことになる。ただ、マルコス政権が崩壊した1986年の革命によって、フィリピンは国民国家であることが確証されたため、その後国家危機は起こっていない。


 本書の流れはこんな感じなのです。アジアが欧米の手にかかって以降、外から持ち込まれた国民国家の原理によって国家が形成されていく過程を、大変分かりやすく説明されています。

 著者は、最終章において、日本とアジアの関係について考察されていますが、ヨーロッパにおけるドイツと、アジアにおける日本の位置の違いについて述べられている点は大変興味深いものです。すなわち、ドイツは「ヨーロッパの中のドイツ」として埋め込まれ、ドイツ人は自分たちをヨーロッパ人と考え、ドイツ・マルクを放棄してもヨーロッパ主義にドイツの未来を託すしているのに対し、日本はドイツ人が自分たちをヨーロッパ人と考えるのと同じような意味で自分たちはアジア人であるとは考えず、日本の軍事力に対する指揮権を放棄し、円を放棄してまで、日本の未来を地域主義としてのアジア主義に託そうとは考えないというわけです。著者は、こうした現実から、次のように述べています。

「日本にとって望ましいのは、現にいまある地域秩序の安定とその下で日本の行動の自由を拡大するような地域化の進展であって、日本の行動の自由を縛るような地域主義ではない。」(p180)

 さらに、本書の最後では、次のように述べられています。

「われわれはドイツ人が自分たちの未来をヨーロッパ主義に託すようにはわれわれの将来を地域主義としてのアジア主義に託することはない。まして英米本意主義を排し、アジア主義に賭けるなどというのは狂気の沙汰である。めざすべきは国際主義とアジア主義の調和であり、アジア地域秩序の安定であり、そして経済協力、文化協力、知的協力、技術協力などの交流の拡大と深化によって日本・東アジア関係の経済的、社会的、文化的パラメーターをゆっくり変えていく、そしてそれによって長期的に日本の行動の自由の拡大が韓国、台湾、東南アジアの国々の利益にもなる、そういう仕組みを地域秩序のなかにつくることである。日本の行動の自由を拡大するような地域化の推進、そしてこれによる「アジアの中の日本」の実現、それがわれわれの進むべき道だろう。」(p198)

 この言葉には考えさせられます。アジアの一員としてEUの動きなどを見ていると、確かにヨーロッパの一体感は羨ましく感じられます。ただ、考えてみると、ヨーロッパの一体感は基本的に陸続きであるからこそ感じられるものであり、あるいは、陸続きだからこそ一体感を醸成しなければならないという事情もあるように思われます。それに対し、アジアは海を通じたつながりですから、やはりヨーロッパのような強い一体感を醸成することはできませんし、醸成する必要もないのかもしれません。アジアらしい緩やかな一体感を目指していく方が、地域の安定にとってはむしろ好ましいような気がします。

 近年、アジア主義やアジア共同体についての話題が再び論壇を賑わせていますが、かつての大東亜共栄圏の二の舞を踏まないためには、アジアの国々のつながりの歴史や各国民国家の成立過程について再検証する必要があるように思えます。特に、東南アジアというのは、著者も述べておられるように空っぽの言葉として作られたものです。そういう言葉に実体、内容を与えていく地味な試みこそ、いきなりアジア主義を標榜するよりもむしろ、アジアの将来の安定や発展にとってはむしろ近い道なのではないかという感じを持ちました。

 アジアを考える上で、極めて有益な本です。