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「誰がジャズを殺したか」

 村上春樹氏のエッセイ集『やがて哀しき外国語』の中に「誰がジャズを殺したか」という少々刺激的なタイトルのエッセイが収録されているのですが、久々に読み直してみて、少しう〜んと考え込んでしまいました。

やがて哀しき外国語 (講談社文庫)

やがて哀しき外国語 (講談社文庫)

 このエッセイ集は、村上春樹氏が90年代の初めにアメリカに滞在した頃の話を書かれたものですが、村上春樹氏はアメリカ滞在中もどうもあまり生のジャズを聴こうという気にならなかったという感じのようで、聴いたら聴いたで悪くはないのだけど、聴き逃して悔やむほどのものではないといった感想を述べられています。次の一文はなかなか考えさせられるフレーズです。

「結局のところ、残念ながらジャズというのはだんだん、今という時代を生きるコンテンポラリーな音楽ではなくなってきたのだろうと思う。」

 確かに、かつてのジャズのライブ・アルバムを聴いていると、ビル・エバンスヴィレッジ・バンガードでのライブ、アート・ブレイキーのバードランドでのライブ、アニタ・オデイのミスター・ケリーズでのライブなど、自分もこの空気を共にできていたらなぁと切実に思ってしまうような名演奏が多々存在します。それだけ、50年代、60年代のジャズというのは、その時代にとって必要な音楽的指向があったのだと思います。それは何かといえば、主流の体制に真っ向から刃向かうというジャズの持つ姿勢でしょう。

 マイルスの自伝を読むと非常によく分かるのですが、モダン・ジャズというのは、既存の西洋音楽をぶち壊していき、アメリカ黒人音楽のアイデンティティを打ち立てていこうという運動でもあったのです。マイルスの到達したモード奏法は、コード進行という音楽の基礎を打ち破った点に大きな意義があります。そして、フリー・ジャズにもなると、もう西洋音楽に聞き慣れた耳では太刀打ちできないくらい、西洋音楽の痕跡が喪失してしまっています。

 結局、50年代、60年代のジャズには、単なる音楽としての立場を超えた大きな反抗運動の流れがあったわけです。だからこそ、当時のジャズには生命の奥底からわき出てくるような躍動感があり、独創性があったのでしょう。

 ひるがえって、今日のジャズにおいては、ミュージシャンたちを駆り立てるような動機は当時と比べて相対的に薄れてしまっていることは否めないでしょう。何かを創造し続けているかといえば、かつてのようなはっきりとした創造性を発揮しているジャズ・ミュージシャンは少ないように思います。

 村上春樹氏は、現代ジャズの代表ともいうべきウィントン・マルサリスを取り上げて、次のように述べています。

「でもマルサリスたちの世代にとっては、ジャズという音楽はもはや反抗すべきものではなく、それに感動し、感心し、そこから学びとっていくべき音楽なのだ。彼らにとっては、それはある意味では既に一度閉じてしまった環である。彼らにとっては、それは古くて素晴らしいものが詰まった宝物の箱のようなものである。」

 この指摘は確かに今日のジャズ界にとっては大変深刻な問題のように思います。クラシック音楽ももちろん素晴らしいのですが、私がクラシックのコンサートよりもジャズのライブに惹かれるのも、やはり「創造性」の部分にあると思うのです。確かに1回1回のライブではそれぞれ創造的な演奏が展開されることもあるのですが、ジャズ全体としての「創造性」がなければ、やはりライブも輝きが薄れてしまうのは当然でしょう。

 「創造性」に代わる新たなモチベーションが今日のジャズには求められているのかもしれません。それが具体的に何かと言われれば難しいのですが、その鍵はもしかすると、アメリカではなくて他の地域で生まれてくるのではないかという気がします。先ほども述べたように、モダン・ジャズはアメリカ黒人の反抗の音楽として発展してきたわけですが、今日のジャズのアイデンティティをアメリカ黒人のアイデンティティと重ね続けていくのはもはや難しいように思います。その代わりに、アメリカのジャズが世界各国(日本を始めとするアジアやヨーロッパなど)に飛び火して、想像もしないような変化を遂げていけば面白いなぁという気がします。

 ひとつ言えることは、ジャズが伝統音楽のようになってしまったら、その魅力の多くは失われてしまうということです。今日のジャズにはそういう道だけは進んでいってもらいたくありません。