映画、書評、ジャズなど

ジュンパ・ラヒリ「その名にちなんで」

その名にちなんで (新潮文庫)

その名にちなんで (新潮文庫)

 1999年に「停電の夜に」でピューリツァー賞を受賞した作家の長編作品です。異文化をまたいで生きるインド人一家のアイデンティティの模索や葛藤を表現した作品です。途中、主役が父アショケから子のゴーゴリへと移り変わっていきますが、親子二代にわたっての意識の変遷が壮大に描かれた大変面白い作品です。

 1968年、ベンガル出身のアショケとアシマの夫妻は、結婚後アメリカのケンブリッジに移り住み、アシマはそこで出産していた。夫妻は赤ん坊の名前については、アシマの祖母に頼むことにしたのだが、祖母からの手紙はなかなか届かない。一方で、出生証明書の管理をしている者からは、赤ん坊の名前を決めるように催促される。アショケはそのときある光景を思い出し、赤ん坊に「ゴーゴリ」と名付けた。

 アショケが思い出した光景とは、アショケがまだ結婚する前に遭遇した事故の光景だった。子供時代のアショケは、父方の祖父からよくロシア作家の本を読んでもらっていたのだが、アショケが22歳のとき、アショケは祖父母の家を訪ねるために列車に乗っていた。旅の道連れに持っていた本はニコライ・ゴーゴリの短編集だった。中でも気に入っていたのは「外套」という短編だった。アショケは列車の中でゴシュという男から、見聞を広めるために旅をすることを勧められる。しかし、その後列車は大事故を起こし、ゴシュは命を落とした。アショケは大けがを負ったが、一命を取り留めた。

 この事故をきっかけに、アショケは生まれた土地から遠くへ行くことを考えるようになる。インドの大学を卒業すると、アショケはボストンの大学で博士号を目指すことになる。その時期にアショケは、見合いの場でアシマに出会い、お互いを深く知る間もなく結婚し、二人はボストンで生活を始めたのだった。

 息子のゴーゴリは、幼稚園に上がるときに「ニキル」という正式名を授けられた。ゴーゴリ自身はニキルという名称に変えられることに乗り気でなく、結局、ゴーゴリの名称で過ごすことになる。

 ゴーゴリは14歳の誕生日に父親のアショケからニコライ・ゴーゴリの短編集をプレゼントされる。しかし、この時期、ゴーゴリはすでに自分の名前に対する違和感を持つようになっていた。アショケは父親からのプレゼントを書棚の高いところにしまってしまう。

 あるとき、高校の授業で、ゴーゴリは、ニコライ・ゴーゴリの話を先生から聞いた。その話は、それまでゴーゴリが抱いていたイメージとは全く異なるニコライ・ゴーゴリの醜い面をについての話であり、ゴーゴリは名前に対する違和感をますます深めていく。

 イエール大学の1年生のとき、ゴーゴリはついに改名を決意し、「ニキル」となる。

 大学4年のとき、ゴーゴリは父親のアショケから名前のわけを聞く。事故の話を打ち明けられたゴーゴリは、父親に「ごめん」という。

 ゴーゴリはアメリカで数々の女たちと親密になる。パーティーで知り合ったマクシーンとは、すぐに親密な関係になる。その頃、アショケは一人でクリーヴランド郊外の大学に研究に行くことになった。アシマは一人暮らしの生活を送っていたところ、アショケから病院にいるという電話が入る。しかし、電話を切った後、アショケからは連絡がない。心配してアシマは病院を探し当てて電話を入れると、アショケが亡くなったことを聞かされたのだった。

 ある日、ゴーゴリは母親のアシマから、幼なじみの娘と連絡をとるように言われる。待ち合わせのバーで出会ったのは、モウシュミという女だった。親同士が友人という関係になる。モウシュミはフランス文学の研究をしていた。ゴーゴリとモウシュミは間もなく親密な関係になる。モウシュミはベンガルの男とは結婚しないつもりだったのだが、二人は間もなく結婚する。

 モウシュミは大学でフランス語の授業を受け持っていたが、あるとき偶然に、別の教授に送られてきた履歴書を盗み見してしまう。その送り主のディミトリ・デスジャルディンズは、ドイツ語を教えることを希望していたのだが、モウシュミは高校卒業前、当時プリンストン大学の学生だったディミトリに心を惹かれていたのだった。モウシュミは盗み見した連絡先に電話を入れ、二人の付き合いが始まった。

 ゴーゴリとモウシュミの結婚生活は間もなく破たんする。アシマはインドとアメリカで半年ずつ暮らすことにした。住み慣れた家は他の人物の手に移ることになる。亡くなった夫アショケの思い出が失われるようで寂しい気持ちになる。今ゴーゴリはかつて父親のアショケにもらった「ニコライ・ゴーゴリ短編集」を手にとって見ている。そこには、父の字で

「この男が名前をくれた―名前をつけた男より」

という書き込みがあった。ゴーゴリは父親の存在を身近に感じる。
 ゴーゴリという名前は滅びていってしまうことになるが、ゴーゴリは戦勝気分をもたらされるわけでもなく、心が安まるわけでもない。今では父親のくれた本が読みたい気分にかられているのだった・・・。


 本作品では、インドとアメリカという二つの異なる文化にまたがって生きている家族のアイデンティティにまつわる深い葛藤がゆっくりとした時間の流れの中で鮮やかに描かれています。自由なアメリカの空気を謳歌しつつも、やはり最後に拠り所となるのはベンガルへの郷愁です。こういう生き方というのは、もしかするとグローバル化の時代における生き方の一つのヒントになるのではないかと思います。

 グローバル化が進む世界にあっては、アイデンティティの問題はより切実な問題となっていくように思われます。人間はやはり何らかのアイデンティティを自覚することが必要であり、それは年を取るにつれて高まっていくものです。そうしたアイデンティティの問題をこの作品ではゴーゴリの名前との葛藤とゴーゴリ自身の成長との関係性から描いています。

 1967年生まれの若い作家にしては、大変優れた洞察力の持ち主です。おそらく、ロンドン生まれで幼少時に渡米してアメリカで成長し、両親はカルカッタ出身のベンガル人という彼女の生い立ちが、この作品の奥深さを決定づけているのでしょう。他の作品も読んでみたくなりました。