映画、書評、ジャズなど

「ホテル・ルワンダ」★★★★☆

 史上最悪とも言われるルワンダの大虐殺をテーマにした映画です。

 アフリカのルワンダでは、かつてベルギー植民地化においてはツチ族が支配勢力となっていたが、ベルギー撤退後にフツ族が政権に就き、多くのツチ族は近隣諸国に脱出していた。そして、1990年代に入ると、ツチ族ルワンダ愛国戦線(RPF)を設立し、やがてルワンダ領内に入りフツ族との間で激しい紛争が起こる。

 1993年にアルーシャ協定が結ばれたものの、1994年4月にフツ族の大統領が乗った飛行機が撃墜される。これがツチ族による暗殺とみなしたフツ族は、身長の高いツチ族を高い木にたとえ、

「高い木を切れ」

を合い言葉に、ルワンダツチ族を片っ端から虐殺し始める。

 ルワンダの四つ星のホテル、ミル・コリンの支配人を務めるポール(ドン・チードル)は、フツ族であったが、その妻タチアナはツチ族だった。ポールはツチ族の家族や近隣の友人たちを守るために、彼らをホテルにかくまい、支配人として培った欧米人や政府軍人たちとの人脈を駆使して、避難民たちの命を救おうとする。

 やがて、欧米の軍隊が介入してきて、フツ族の虐殺を止めてくれるのではないか、そんな期待もむなしく、フランス軍を始めとする欧米軍隊はルワンダから撤退し、国連平和“維持”軍である国連部隊も内戦を積極的に調停しようとしない。

 期待を裏切られたポールは、やむなく自ら避難民たちの命を守るために動く。政府の部隊に賄賂を渡したり酒を振る舞ったりもする。そして、行方不明になっている妻のタチアナの親族たちの行方を必死に追う。

 ようやく避難民たちの受入先が見つかり、ポール自身も国外へ脱出できるかもしれない状況になったものの、ポールはホテルを出発する寸前になって、残された人々のことを思って躊躇してしまい、タチアナら家族と離ればなれになってしまう。案の定、タチアナたちを乗せた車は、途中、フツ族に襲われ、危うく命を落としそうになる。

 その後再びポールとタチアナたちは合流し、共に命を賭けて生き残りを図る・・・。


 命を落とすすれすれのところで、ポールが家族と仲間を必死に守ろうとする緊迫した状況が、圧倒的な迫力で実によく描かれています。銃を突きつけられながら、ときには笑顔を交えながら対応するポールの演技は秀逸です。

 この映画のメッセージの1つには、こうした内戦状態においては国際社会がいかに無力か、という点があるように思います。虐殺が進行しているのと同時期に、国連やフランスなどの軍隊が現にルワンダに駐留していたにもかかわらず、彼らの装備は激しい内戦に介入するだけのものではなく、結局、虐殺を傍観せざるを得なかったわけです。国連は平和を維持することが任務であり、平和を執行することは任務外だという理屈です。

 この点は、冷戦終結後の国連PKO活動が大きく動揺を見せたことと大きく関係しています。

 冷戦終結後の国際社会では、民族紛争があちこちで勃発しますが、従来のPKO活動というのは、国対国の国際紛争が集結し停戦協定が締結された後に、停戦を監視する目的で国連PKO部隊が派遣されるという形態のものであったため、冷戦終結後、頻発する内戦型の民族紛争に対してどこまで介入するかが大きなテーマとして浮かび上がってくるわけです。

 この問題を提起したものとして有名なのが、1992年に当時の国連事務総長であったガリが発表した「平和の課題」です。これは、内戦への介入も含めより強制的な活動を目指す「平和執行部隊」の創設を唱えたものです。

 しかし、その後のPKO活動がガリの提唱した方向に進んだかといえば、そうではありません。1992年にアメリカを中心とするソマリアでのPKO活動が展開されましたが、このPKOは内戦に積極的に介入するものでした。しかし、内戦に介入した結果、国連PKOは中立を維持することができなくなり、国連部隊は多大の犠牲者を出すことになります。国際社会が内戦に介入することがいかに難しいかを証明したのが、ソマリアでのPKO活動だったのです。

 結局、ガリは数年後の1995年に発表した「平和への課題=追補」で、この「平和執行部隊」の構想を事実上撤回することになります。

 他方で、この時期は、国連PKO部隊の装備や権限が十分でなかったことから、結果的に内戦下における虐殺行為を止めることができなかったという事態も生じます。1つは1995年にボスニア内戦下で起こった「スレブレニツァの虐殺」と呼ばれるもので、セルビア人が8000人のボシュニャク人男性を殺害した事件です。この事件が起こったのは、国連の安全地帯だったのですが、虐殺を行うセルビア人に対抗するには脆弱な部隊であったため、虐殺を阻止することができなかったのです。

 そして、国連が虐殺を止められなかったもう一つの事例が、この映画の題材となっているルワンダ内戦下におけるフツ族ツチ族に対する大虐殺です。一説によれば100万人の人々が犠牲になったといわれていますが、そうした大規模虐殺を傍観するしかなかったのです。この映画の中でも、国連PKO部隊が能力的にも権限的にも内戦に介入できないむなしさが描かれています。

 この2つの事件の反省を踏まえ、近年のPKO活動は新たな方向性を模索するようになります。2000年3月にとりまとめられた「ブラヒミ・レポート」では、国連PKOに十分な権限を与えた上で、より幅広い平和構築を目指すという方向性が打ち出され、大規模で多機能のPKOを目指すことが盛り込まれています。


 ルワンダの悲劇は、もちろん、欧米諸国の植民地主義が招いた悲劇であることは言うまでもありませんが、それに加えて、国際社会の内戦に対してとるべきスタンスの迷いから起こってしまったものともいえるわけです。

 こうした内戦に臨む国際社会のスタンスが現在では固まっているかといえばもちろんそうではありません。アフリカでいえばスーダンダルフールでも激しい内戦が起こっていますが、国際社会の対応は一貫しているとはいえません。単に派遣する部隊の権限を強化すればよいという簡単な問題ではもちろんありません。内戦に介入すればするほど、中立を維持することは難しくなり、内戦をかえって泥沼化する危険性もはらんでくることになります。しかも、派遣される部隊員の生命の安全を守ることもそれだけ難しくなります。

 日本としても、自衛隊の隊員の生命の危険を冒してどこまで部隊を派遣するかは、政策として定まっているとはいえません。日本の場合はさらに、憲法第9条の制約という難しい課題も存在しますので、判断はさらに難しいものとなります。

 国際社会は、こうした残虐な内戦が現に進行している場合の対応を引き続き考えていかなければならないという重い課題を背負っているのです。

 こういう重大な国際社会の問題を切実に訴えかけるというのは映画の一つの大きな役割といえるでしょう。この映画はその意味で非常に大きな意義を持つ作品だと思います。