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「大列車作戦」★★★★

 第二次大戦中のナチス占領下のフランスを舞台に、ナチスがフランスの絵画を列車に乗せて持ち出そうとするのをレジスタンスが命がけで阻止するという内容の映画です。フランスの“屈辱”の歴史を題材に、列車を阻止するためのスリリングな駆け引きを描いた力作です。


 フランスを占領しているナチスに、連合国軍が迫りつつあった。ナチスのフォン・ワルドハイム大佐は、フランスから撤退する前に、大量のフランスの絵画をドイツに運びだそうとしていた。

 連合国軍は間近に迫っており、少しでも列車の進行を妨害することができれば、絵画を守ることができる状況であった。これを聴いた仏国有鉄道のラビッシュ(バート・ランカスター)は、列車の妨害に取りかかる。

 列車の妨害には、大勢の人手が必要だった。運搬物の中身が絵画だと聞いて、計画に加わることを躊躇する者もいたが、そういう者もフランスの国威にとって大変重要な絵画の持ち出しを阻止することの意味を理解し、命がけで協力する。

 ラビッシュらは、列車をドイツに向かう途中で別の線路へ進入させ、進行方向を変えることを企てる。しかし、列車にはナチスの軍人が乗り込んでおり、列車の進行を見守っていた。ラビッシュらは、ナチスの軍人たちの目を欺くために、事前に途中の駅の駅員たちと連絡を取り、列車があたかも順調にドイツ領へ向かって進行しているかのように工作した。

 ラビッシュらは見事、列車の進行方向を転換させることに成功した。しかし、計画に加わった多くの仲間たちは、ナチスの軍人によって射殺された。間もなく到着するはずだった連合国軍もいまだフランスに到着していなかった。絵画を積んだ列車は再びドイツに向かおうとしていた。

 ラビッシュは再び動き出した列車の進行を妨害するため、線路に仕掛けた爆弾を爆発させようとしたが、ナチスは列車の先頭に人質を配置していたため、大した妨害にはならなかった。そして、今度は、先回りして線路のボルトをはずして列車の転覆を企てた。この企てはまんまと成功した。

 立ち往生した列車のそばを、撤退するナチスの部隊が通過する。大佐は撤退する兵士たちよりも絵画の方が重要なのだから、絵画の運搬を優先させようとしたが、大佐の要求は受けいれられなかった。一人現場に残った大佐はラビッシュと対峙する。ラビッシュは大佐を射殺する・・・。



 ところで、フランスにとって絵画がいかに重要であるかは、ルーヴル美術館の歴史を紐解けば一目瞭然でしょう。

ルーヴル美術館の歴史 (「知の再発見」双書)

ルーヴル美術館の歴史 (「知の再発見」双書)

 12世紀末にパリ防衛の要塞として建設されたルーヴル城は、その後、幾度もの増改築が繰り返されていき、やがて、フランスの宝物が運び込まれるようになります。16世紀末から17世紀初頭にかけて、ブルボン朝のアンリ4世は、絵画や彫刻などに通じている優れた職人や芸術家たちを住まわせ、ルーヴルは国家の芸術の中心になります。

 そんなルーヴルが美術館としての位置付けを備えるのは、1793年のことです。開館した当初は美術品の数は多くありませんでしたが、革命戦争の勝利でイタリアやローマ教皇の収集品が持ち込まれてきます。そして1800年、ナポレオンがクーデターを起こした1年後の記念日に、ナポレオンが妻のジョセフィーヌとともに視察した後、美術館は一般に公開されます。

 その後も、ナポレオン皇帝軍が遠征先の各地から持ち帰った美術品で、ルーヴルは溢れかえります。そして、1826年には、エジプトのイギリス領事の大コレクションを購入し、所蔵品は一気に増えます。その後もルーヴルの所蔵品は幾多にわたる寄付などによって増えていきます。

 1980年代には、ミッテラン政権下において、大ルーヴル計画が打ち立てられ、中庭にガラスのピラミッドが建築され、地下にはショッピングセンターが設けられます。

 このように、ルーヴルの歴史は、フランスがその威光の源泉である美術品を守り続けてきた歴史であるといえます。

 昨今の動きとしても、ルーヴル美術館は、2009年に北部のランスに分館が開館する予定であり、また、アラブ首長国連邦アブダビにもルーヴルを冠する美術館を今後オープンする予定であり、多くのルーヴルの美術品が貸し出されていくこととなるようです。40年代前半で若くしてオルセー美術館の館長に就任し、2001年にルーヴル美術館の館長に就任したアンリ・ロワレット館長のリーダーシップの下で、現在もルーヴルはフランスという国を背負って活動の幅を広げています。

 そんなフランスにとって、ナチスによる絵画の持ち出しというのはいかに屈辱的なものであったかは、容易に想像できるでしょう。この「大列車作戦」もそんなフランス人たちの絵画に対する誇りというものを題材にした点が勝因だったように思います。

 ただし、この作品は、ただ単に絵画のために命をかけて抵抗するフランス人を賞賛しているわけではありません。作品の中では、絵画のために多くのフランス人たちが命を落としますが、仲間が有閑に命を落とす中で、ラビッシュは一体何のために闘っているのかについて自問自答します。それは、戦争のナンセンスさに対して、根源的に疑問を投げかけるものでもあります。

 人の命と絵画のどちらが大事なのか、いやそんなことを問いかける以前に、そもそも戦争のナンセンスさについて問うべきではないか。そんなメッセージが、最後にこの作品から伝わってきます。