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映画、書評、ジャズなど

「つぐない」★★★★★

http://www.tsugunai.com/site/index.html
 遅ればせながら「つぐない」を鑑賞してきました。

 原作はイアン・マキューアンの『贖罪』です。若かりし頃の取り返しのつかない行為に対して一体どうしたらつぐなうことができるのかというとても深遠なテーマを見事に描きあげた作品です。映画では途中で時間軸が頻繁に前後したりするのですが、それが決してわずらわしさを感じさせるものではなく、むしろ演出上非常に効果的に活用されており、実によくできた映画に仕上がっています。


 時は1935年のイングランド。大きな屋敷の末娘のブライオニーは、自ら戯曲を書くほど想像力豊かな少女だった。ある日ブライオニーは、姉のセシーリアと屋敷のハウスキーパーの息子ロビーが噴水のほとりでいざこざを起こし、セシーリアが洋服を脱いで噴水の中に飛び込んでいる光景を家の窓から目撃する。その後ロビーは、セシーリア宛に謝罪の手紙を書いて、それをブライオニーに託してセシーリアに届けてもらおうとしたのだが、ロビーはふざけて卑猥な言葉であるcunt(=女性器)を書き連ねた手紙を誤って託してしまった。しかも、ブライオニーはその手紙を盗み読みしたことから、うぶなブライオニーはロビーに対する不信感を募らせていく。そしてブライオニーらの兄が屋敷に帰ってきた時、ブライオニーは屋敷の図書室で熱く抱擁するセシーリアとロビーを目撃してしまったのだった。

 ブライオニーらの兄が帰ってきたとき、ある事件が起こった。晩餐会を始めようとしていたとき、屋敷に遊びに泊まりに来ていた2人の男の子の兄弟が屋敷を抜け出したことが発覚する。皆は手分けして屋敷の敷地を捜索していたところ、同じく屋敷に遊びに泊まりに来ていたローラという女の子がある男に乱暴された。ブライオニーは乱暴した男が逃げていくところを目撃する。ロビーに対する不信感が募っていたブライオニーは、その乱暴した男はロビーだと捜査当局に明言する。ロビーは、警察に連行され、濡れ衣を着せられて刑務所に服役することになる。

 その後、戦争が始まり、ロビーは刑務所を早く出られるのと引き換えに、フランスの過酷な戦場に送られた。図書室での一件以来ロビーに恋していたセシーリアは、家族の元を離れて看護師となっており、ロビーが帰ってくるのを心待ちにしていた。ロビーが帰ってきたら海辺のコテージに行って暮らすことを2人は誓い合っていた。

 他方、成長したブライオニーは、自ら犯した取り返しのつかない行為によってロビーの運命が大きく狂わされてしまったことに心が痛んでいた。そして、大学に進むことを断念し、看護師となって傷ついた兵士たちの看病に当たっていたのだった。少女時代のブライオニーは、ロビーの前でわざと溺れたふりをしてロビーに命がけで助けてもらったことがあった。そのときロビーはこっぴどくブライオニーを叱りつけたのだったが、その一件でブライオニーは、ロビーを命の恩人として感謝していたのだった。ブライオニーは看護師業の傍らで、セシーリアとロビーの物語を書きつづっていた。

 ブライオニーはある日、あの晩餐会の日に兄に伴われて屋敷に来ていたポール・マーシャルという男が、乱暴されたローラと結婚することをニュースで知る。ブライオニーは2人の結婚式に駆けつけるが、2人と目を合わせずに目を伏せる。ポール・マーシャルこそがブライオニーが目撃した乱暴した男だったのだ。

 ブライオニーはある日、自らの取り返しのつかない行為に対して許しを請うために、姉のセシーリアの下を訪ねた。そこには、戦場から一時帰郷しているロビーの姿もあった。ブライオニーは許しを請うが、ロビーは怒りが収まらず、二度と目の前に姿を見せないように言う。

 時は大きく飛んで、ブライオニーは死期が迫りつつある老人になっていた。数々の小説を発表してきたブライオニーは最後の小説を発表するところだった。それは姉のセシーリアとロビーについてその真実を語る内容の小説だった。それは、ブライオニーの遺作であるとともに、処女作でもあったのだ。

 インタビューに淡々と答える老齢のブライオニー。彼女はもう一つの真実を語った。実は、ブライオニーが許しを請いにセシーリアとロビーに会いに行ったという事実はなかったのだ。ロビーは戦場から帰郷することなく、敗血症で命を落としていた。セシーリアもロビーの死後まもなく、地下で配管が破裂したことによって溺死していた。2人は、結局、海辺のコテージで暮らすという夢を叶えることができず、早々に生涯を閉じてしまっていたのだった。

 ブライオニーは、遺作となる小説の中で、2人が再び巡り会って海辺のコテージで幸せな生活を送ったことにした。それが彼女にとっての“つぐない”だったのだ・・・。


 幸いにも?原作を読んでいなかった私は、一体ブライオニーはどうやって“つぐない”をするのだろうか、映画のタイトルになっているくらいなのだからさぞかし説得力のある“つぐない”が提示されるに違いないなどとあれこれ考えながら映画を見ていたのですが、それが最後の場面で明らかになったときは、見事に裏をかかれたなぁという感じを受けました。

 まだ恋愛経験もない少女時代だったからこそ、ブライオニーは取り返しのつかない失敗を犯してしまい、それを死ぬ間際まで抱え込まなければならなかったわけですが、ここまで取り返しのつかない失敗とまではいかなくても、未熟な少年少女時代だからこその失敗がその人の晩年まで記憶に焼き付き引きずってしまうという経験は、多くの人にとって身に覚えのあることなのではないでしょうか。それはこうやってつぐなえば記憶から抹消されるという類のものではおそらくなく、記憶から消し去ることができる決定的なつぐない方法などは存在しないのです。しかも、少年少女時代の行為だからといって、そのことによって罪の意識が軽減されることも決してないのです。

 ブライオニーも罪の意識を抱えつつもそれを人目につかないように晩年まで生きてきたわけですが、実際に多くの人々も多かれ少なかれ、そうした少年少女時代の罪の意識を内面にひたすら押し込めながら生きているという面があるのではないかと思います。だから、おそらく多くの人々は、この映画を見て、ブライオニーに全面的に非を認めるというよりも、むしろ、どこかしらブライオニーに同情なり哀れみを感じてしまう面があるのではないかと思います。

 昨今見た映画の中では、とりわけ強く印象に残る素晴らしい映画でした。