映画、書評、ジャズなど

スーザン L.シャーク「中国 危うい超大国」

中国危うい超大国

中国危うい超大国

 著者は1997年から2000年までの間、国務次官補として東アジア・太平洋局に所属し、クリントン政権の対中政策を統括した女性です。本書は、膨大な中国に係る事象を踏まえて分析がなされたものであり、私にとっては、中国政治に対するイメージの大きな転換を余儀なくされました。

 私が本書から受けた中国共産党政権のイメージを一言で表せば、

「国内の反発に対して常に戦々恐々として怯えている弱々しい政権」

といった感じです。このイメージは、我々が中国政府の強気な対外姿勢とは相容れないようにも見えるのですが、実は、国内の反発に怯えているからこそ、対外的には必要以上に強気な姿勢を示さなければならないのです。中国共産党政権は、外交において少しでも弱気な姿勢を見せれば、国内の人民や軍部の不満が一気に政権に向かうのではないか、という恐怖心に取り憑かれてしまっているのです。この点をよく理解しないと、中国の対外姿勢を正確に読み解くことは絶対にできないでしょう。

 かつての毛沢東訒小平といった巨人たちに比べ、江沢民胡錦涛といった指導者たちは、国内における自分たちの立場について深い不安の念を抱いていると著者は指摘しています。それは、中国の自国社会に対する支配力は実は極めて脆弱だという事情があるからです。

 中国の指導者たちにとっては、失業した労働者、搾取された農民、学生といった不満分子が熱情的なナショナリズムの力で一つの反体制勢力にまとまり、全国的な抗議運動を展開するというシナリオをもっとも恐れていると著者は言います。こうしたシナリオは決して非現実的なものではなく、現に、こうした現象によって共産党政権が破滅の寸前までいった事例があります。それは、1989年の天安門事件です。

 このとき、学生デモが起こらなかった省は一つもなく、全国133の都市で何百万という学生たちが民主化を求めてデモを6週間以上も続けました。そして、この時、共産党指導層が対処の仕方について分裂したため、中国は崩壊の一歩手前までいったのです。

 天安門事件のきっかけは、胡耀邦総書記の死去でした。改革推進派だった胡耀邦は保守派によって失脚させられていましたが、その突然の死去を聞いた学生たちは天安門に集結します。当時の趙紫陽総書記は、学生たちに穏やかな態度で接し、共産党が本気で腐敗を一掃し、民主主義を拡張しようとしていると彼らに納得してもらえるような対応を共産党指導層に求めたものの、趙紫陽のライバルの李鵬首相が強硬手段を唱えます。共産党中央政治局の常務委員会では、対処方針についての票が割れますが、訒小平の下で開かれた秘密会合で人民解放軍の投入が決定され、趙紫陽は中央政治局から追い出されます。そして、訒小平は武力でデモ隊を蹴散らすことを命じたのです。

 このとき、軍部は体制に忠実だったことが幸いして共産党政権の破滅は防がれたものの、指導部の分裂と全国的な抗議運動は政権の崩壊の一歩手前であったことを意味するわけです。そして、この事件の悪夢に現在の共産党政権指導部はうなされ続けているのだと著者は指摘します。

 著者は、天安門事件の教訓から、共産党指導部は3つの鉄則を編み出したと指摘します。それは、以下の3つです。

・指導層内に意見の対立があっても、それを公にしてはならない。
・大規模な社会不安は事前に抑え込むべし。
・軍を党の見方にせよ。
(p71)

 第一の鉄則ですが、共産党政権は一致団結しなければ生き残れないという教訓があります。しかし、現実には一筋縄ではいかず、例えば政治局常務委員たちには、危機的な状況を利用してエリート層のみにならず民衆にまで支持を拡げたいという誘惑がありますし、市場か改革に対してマルクス主義の立場から批判的に捉える知識分子が激しい攻撃を加えるといったことも起こっているようです。

 第二の鉄則については、中国の指導層は動乱に対して強い恐怖心を抱いているという事実が背景にあります。しかも、共産党は社会の不安定化を恐れるあまり、世論に対して極端に敏感になっている逆説が生じているのです。選挙がない中国においては、民衆の反体制感情の高まりはそのまま国家の崩壊をもたらしかねないのです。

 共産党指導層はいかなる集団も反体制運動だと考えているようです。携帯電話のメールで好きな出演者に投票する「超級女声/Super Girl」という番組が大人気になった際には、視聴者に民主主義への欲求が芽生えているのではないかと恐れて政治局常務委員会でわざわざ議題に取り上げるような有様です。現に、中国国内の大衆抗議行動は近年激増している状況にあって、1994年には1万件だったのが、2004年には7万4千件にも上っているようです。

 こうした集団行動には、例えば民族暴動、労働騒擾、農村騒擾などがありますが、中国の指導者たちは、こうした不満分子たちがナショナリズムの旗の下に結集して一つの全国的な反体制運動を結成することを最も恐れています。しかし、このナショナリズムにそもそも勢いを与えたのは共産党自身です。誰もが共産主義イデオロギーを信じなくなった時代において共産党の支配を政党化するためには、ナショナリズムが是非とも必要だったのです。天安門事件以降、ナショナリズム教育は強化されます。

 しかし、指導層によるこうしたナショナリズムの利用は、自らを追いつめるものでもあったわけです。反日デモはいともたやすく反政府でもに転化する可能性があります。自由に抗議行動に参加することに味を覚えてしまった人々は、遅かれ早かれ政治参加を求めてくるわけです。ナショナリズムは両刃の剣なのです。

 こうしたナショナリズムに対処するために共産党政権が編み出した生存戦略として、著者は以下の点を挙げます。

①デモ隊に同調せよ
②反体制運動の指導者になりうる人材は味方につけるべし
③個人の自由を拡大せよ
④圧政を強化せよ
⑤大衆に人気のある政策を実行せよ
⑥経済成長を維持し、ナショナリズムに訴えよ

 政府はデモがあれば、デモの参加者に対して同情的な発言を繰り返した上でデモの指導者たちを牢屋に放り込んでしまうといいいます。
 ③は少し違和感がありますが、政治的に無害なものであれば、文化、ファッション、セックスに関する情報などはウェブ上でもオープンであるなど、国民の鬱憤の捌け口となるような安全弁として許容しているようです。


 それから第三の鉄則についてですが、人民解放軍は強い政治的発言力を持っており、中国の国防部には権限がほとんどないとのことです。そして、共産党指導層は軍に大幅な自律性を許してきています。江沢民胡錦涛が党総書記に就任した後もしばらく中央軍事委員会主席の地位から退きませんでしたが、軍が反対していることを知ってその地位を離れたようです。それだけ、軍が力を持っているということです。

 人民解放軍の予算は1999年以来増加を辿ります。その理由について著者は、今日の中国の指導層が先輩たちに比べて権力基盤が弱く、軍の機嫌をとる必要性が大きいといった事情を挙げます。いざというときに人民解放軍が頼りになるように、資金をふんだんに注ぎ込んでいるというわけです。指導層は、いざというときに軍が一般民衆や反政府派の政治家に銃を向けることを拒否する事態をおそれているのです。軍に逮捕されてしまったルーマニアチャウシェスクの事案を共産党指導層は戦慄すべき事件として記憶に刻んでいるのです。現に、胡錦涛も軍の掌握には苦しんでいるようです。

日中関係

 本書では、日中関係についても、的確な分析がなされています。日中関係は中国外交のあらゆる側面において最も重要かつ困難であり、中国の指導層も、日本相手になると、国益と権力維持の間でバランスをとるのにとんでもない苦労を強いられるのだと本書は指摘します。

 もともと、毛沢東時代の共産党は、国民の反日感情を動員する必要などなく、周恩来首相とのコンビは日本と平和的で友好的な関係を結ぼうとしていました。1972年の日中国交正常化の際にも、毛沢東周恩来は日本に対して第二次大戦の賠償を求めないことを決めています。1970年代から80年代を通じて、中国人は日本に対して良好なイメージを抱いていたようです。そして、1982年には歴史教科書問題がありましたが、訒小平は中国世論の怒りに上手に蓋をすることができたのです。1985年の首相の靖国参拝の際も、当時の中国指導者たちは日中関係の大切さを自国民に訴え、デモを沈静化させるだけの力を持っていたわけです。

 こうした対日姿勢が大きく転換したのは江沢民です。毛沢東訒小平と違って、江沢民は指導者としての自信がなく、結果として江沢民ナショナリズム色を帯びた中国世論に対して敏感になってしまったと著者は述べています。江沢民上海市長時代に学生デモと対峙し、学生たちからヤジを浴びせられた経験を持っていました。また、江沢民は日本占領時代の上海に育ち、叔父が日本軍に殺されたという個人的な恨みを抱いていました。

 江沢民時代の1995年から96年にかけて、日中関係は国交正常化以来最悪の状態に陥ります。この時期、中国は核実験を行い、日本は中国への援助を打ち切って遺憾の意を表明します。尖閣諸島の領有をめぐり日中関係は緊張し、橋本主張は靖国神社を参拝します。

 1998年に江沢民は訪日しますが、その直前に訪日した韓国の金大中大統領が日本から歴史に関する謝罪文を入手したのを見て、江沢民は自分も同様の謝罪文を手に入れる決意をします。結局、日本側は口頭での謝罪にとどめたことから、江沢民の訪日は大失敗に終わったと著者は指摘しています。江沢民は日本で受けた屈辱を根に持つようになったとのことです。

 ところが、2000年になると、中国は日本に対する新しい外交方針を打ち立てます。要するに、歴史問題に対する言及を減らし、日本側の中国に対する不信感をやわらげようというわけです。その背景には、日本人がすっかり中国嫌いになったことに対して中国側が衝撃を受け、江沢民もようやく頑なな反日姿勢を少しだけ緩めたというわけです。

 胡錦涛政権になると、江沢民時代にナショナリズムに目覚めた世論の機嫌をとりつつ、ナショナリズムが中国の国内動乱や対外紛争につながることを防ぐという微妙な綱渡りが演じられるようになります。胡錦涛は対日強硬姿勢に批判的であるという見られることを嫌がっているようです。
 2005年4月の上海の反日デモも、党や政府の高官は誰一人としてデモを批判しようとはしませんでした。中国の外相は日本の外務大臣に対して謝罪すべきは中国ではなく日本だとやり返したり、その数日後のインドネシアでの小泉・胡錦涛会談の後、胡錦涛は記者たちに対して日本は真剣に反省するべきと述べます。さらに、呉副首相は訪日の際の小泉首相との会談をキャンセルして帰国し、中国国民から喝采されます。

 胡錦涛温家宝も、江沢民のように日本に対する感情的なわだかまりを抱えているわけではなく、むしろ、複雑怪奇な日中関係江沢民より上手に処理できることをアピールしたいと考えているのだと著者は指摘します。しかし、対日関係を改善しようという趣旨の論文がウェブ上で激しく批判されるのを見て、二人はためらってしまったのです。そして、上海の大規模反日デモは、指導部に対して対日関係の改善がいかに難しいかを改めて示すことになったのです。

 つまり、日本に対する世論はもはや中国指導部にとってはどうしようもない程に熱を帯びてしまっているというわけです。ある人民解放軍大佐は次のように述べているとのことです。

「外交部も党指導層も、日本に関する世論を変えて、歴史問題については忘れてしまいたいというのが本音だ。だが、それにはもう、遅すぎるのだ。」「まだ党が国内の情報の流れを完全に掌握していた十年前なら、できたかもしれないが、今ではもう無理だ」(p297)

 中国政府が日本から見ると極めて理不尽な対日姿勢を採り続ける理由は、この大佐の言葉に凝縮されています。

台湾問題

 さて、本書では、台湾との関係についても詳細な分析がなされています。
 中国政府は、台湾が独立を宣言することに異様なまでの恐怖心を抱いています。ある学者は、対米関係は面子と国益の問題、対日関係は愛国心の問題、そして台湾関係は共産党体制にとっては死活問題だと述べています。それほどまでに台湾との関係は重要なのです。死活問題というからには、台湾が独立を宣言するような事態が生じれば、中国は武力を行使するということになるでしょう。

 ではなぜ台湾独立問題が中国政府にとって死活問題なのでしょうか。台湾自体は、中国の長い歴史においてほとんど中国領として認識されないままできており、台湾が中国領になったのは、17世紀に入ってからの清帝国の時代です。毛沢東も1940年代に、中国共産党が日本を打倒した後は台湾に独立を許すと言っていたようです。

 本書はその理由について、中華人民共和国に入ってからの学校教育とマスコミを通じたプロパガンダのせいだとします。つまり、中国共産党によって、台湾は中国人にとっての一大事にされてしまったわけです。歴史教科書においては、中台関係を屈辱の世紀を象徴する悲劇として描かれているのです。

 台湾を巡っては、かつて米中間で戦争一歩手前までいっています。それは1995〜96年の台湾海峡危機です。1995年1月、江沢民は台湾に対し、一つの中国を前提として中台が対等な立場から話し合うという大胆な提案をし、台湾に温かい手を差し伸べます。ところが、その半年後の1995年7月、クリントン政権李登輝台湾総統の訪米を許可します。そして李登輝は、コーネル大学の演壇から、台湾は独立の主権国家「中華民国在台湾」であると宣言してしまうのです。

 このことで江沢民はライバルから激しく攻撃されます。こうなると江沢民は確固たる軍事的対応を取らざるを得なくなります。1995年7月、人民解放軍は大々的な警告を行った上で、ミサイルを台湾の東方沖合の海上に撃ち込みます。さらに翌月、人民解放軍は二度目のミサイル発射及び砲撃実験を行い、台湾北沖で大規模な演習を実施します。

 こうした人民解放軍の動きに対して、アメリカは空母部隊を台湾近海に派遣し、台湾を守る決意を中国側に示します。結局米中間の軍事衝突は起こらなかったものの、米中は戦争一歩手前までいったのです。

 江沢民は台湾問題で歴史に名を残したかったのだと著者は指摘します。江沢民は台湾統一を急ぐ決断をしたことから、江沢民時代に中国人民の中国と台湾の統一に対する期待はすっかり強まってしまいます。このため、江沢民の後任の胡錦涛は台湾統一に対する世論の期待の強さに押しつぶされそうな状況に置かれることになります。胡錦涛江沢民とは対照的に、台湾統一に政治生命をかけるリスクを認識しており、現在の共産党政権は、台湾問題をひたすら先送りするべきだと考えているようです。

米中関係

 それから、アメリカとの関係についても、詳細な分析がなされます。
 米中関係は、1999年5月に起こったベオグラードの中国大使館誤爆事件によって、一気に深刻な危機に陥ることになります。このときアメリカは考えられるあらゆる方法で哀悼の意を表そうとしたものの、中国国内では激しいデモが発生しました。アメリカ大使館はデモ隊に包囲され、攻撃を受けることになります。

 このとき、江沢民政権はデモ隊を押さえ込もうとはせずに、むしろ大学が学生たちをアメリカ大使館の外まで送り届けるためのバスを提供したりしていたようです。実はこの事件が起こる直前に、法輪功の信者1万人以上が中南海を取り囲んで突如として座り込みを行うという事件があったのです。法輪功の座り込みは公安幹部らの説得によりその日のうちに解散したものの、江沢民はこの事件に心底怯え、そのたった2週間後に行ったベオグラード誤爆は、アメリカと法輪功、そして学生運動が結託して攻撃をしかけてきたかのように感じ、江沢民ベオグラード誤爆事件の報が入るや否や、バスを仕立てて学生たちをアメリカ大使館まで送るよう命じたのだと著者は述べています。そうしなければ、学生たちは天安門中南海に向かうものと直行するかもしれないと江沢民は考えたのです。

 中国の指導者たちは、国内世論を加熱させると対外的な危機が国内的な危機に直結しかねないという事実を身をもって学ぶことになり、結局、アメリカとの良好な関係を維持することに専念することになります。1999年末には、中国共産党の指導層は、マスコミの反米的な言葉遣いや論調を控えめにするよう、党中央宣伝部に命じます。イラク問題についても、中国は批判を控えています。

 しかし、一般市民の間では、すでにアメリカに対する疑念が深く根付いてしまっており、ひとたび米中間で政治危機が発生すれば、一般市民は興奮し、中国が武力で応じなければならなくなるような懸念は依然として残っていると著者は考えているようです。


 さて、こうして本書の内容を見てくると、我々が一般に抱いている「狡猾な中国」というイメージとはかなり異なったイメージを抱かざるを得ないように思います。胡錦涛の目から見れば、中国という国家は脆弱な国家として映っているのです。

 そして、こうした脆弱な中国こそが国際社会にとっては極めて危険なのです。

「国際社会にとって危険なのは、中国の増大する国力ではなく、国内的な脆弱さなのだ。」(p424)

 この著者の指摘には大変説得力があります。

 考えてみれば、中国という国家は、世界の大国の中で唯一選挙が実施されていない国です。選挙があれば、政権に対する不満という民意は、選挙の投票行動で表現することが可能であり、不満はその中で吸収されるわけですが、選挙のない国家においては、政権に対する不満は大規模なデモという危険な形でしか表現され得ません。しかも、中国の膨大な人口を考えれば、デモが全土に広がることに対する中国政府の恐怖がいかに大きなものであるかは容易に想像がつきます。そうなったときに、人民解放軍が自分たちの味方に付くなどといった確固たる保証はどこにもありません。ルーマニアの事例などをかんがみれば、逆に、人民解放軍共産党指導者たちに対して銃口を向ける可能性だってあるわけです。共産党独裁体制というのは、民主主義体制以上に、世論や人民解放軍を決して敵に回すことが許されないのです。

 このように考えれば、共産党政権がときにあまりに理不尽な対外姿勢を取ることの理由は理解することができます。必要以上に強気な対外姿勢を示さなければ、指導層は国民の批判にさらされてしまうことになり、ひいては政権崩壊にさえつながってしまうわけなのです。

 中国情勢をここまで総合的かつ的確に分析したものはあまりお目にかかったことがありません。論旨を支えるエピソードも極めて豊富です。中国政府が人民のナショナリズムを必要以上に煽っているといった程度の分析は有り余るほどありますが、中国政府の行動を中国政府の視点に立って説得的に分析し、なぜ中国が強気な対外姿勢を取らざるを得ないかを詳細に論じている点に本書の大きな特色があります。

 政権基盤が脆弱な胡錦涛政権が日本に対して理不尽な姿勢を見せることは、おそらく今後頻繁に起こるでしょう。しかし、そうした事態に直面した際に、なぜ中国政府がそのような行動をとらなければならないのかといった視点で我々が冷静に眺めることができれば、必要以上に両国関係がこじれることにはならないでしょう。中国の外交当局も必要以上に対外関係をこじれさせたいと思っているわけではなく、やむにやまれない国内事情があってのことなのです。そうした視点こそ、本書から学ぶことができる最大の収穫のように思います。