映画、書評、ジャズなど

アントニオ・ネグリ来日中止

 財団法人国際文化会館のホームページにおいて、アントニオ・ネグリの来日が中止になったと掲載されました。
http://www.i-house.or.jp/jp/ProgramActivities/ushiba/index.htm

2008年3月20日

アントニオ・ネグリ氏来日中止について

財団法人 国際文化会館
常務理事 降旗高司郎

このたびのアントニオ・ネグリ氏の招聘計画につきましては、多大なご協力を賜り、誠にありがとうございます。当会館は、民間レベルで文化交流・知的協力を推進することを目的に、さまざまな知識人・文化人の交流を推進してまいりました。その一環として企画いたしましたネグリ氏の初来日につきまして、誠に残念ながら、中止となりましたので、ご報告いたします。

当初、アントニオ・ネグリ氏の入国は、在フランス日本大使館より、査証(ビザ)なしで入国可能とのことで、私どもは受け入れ準備を進めて参りました。しかし、ネグリ氏がフランスを出発する予定であった3月19日の2日前の3月17日(月)に外務省から私どもへ連絡が入り、アントニオ・ネグリ氏は、査証なしで渡航することになっているが、昨今の入国管理をめぐる諸事情を鑑みると、査証なしで来日すると入国の際に拒否される可能性が非常に高いとの説明を受けました。私どもでは、ネグリ氏の日本入国を20日に予定しておりましたので、ネグリ氏に至急査証申請手続きを在フランス日本大使館でしていただきました。翌18日になって、再度、外務省より、今回のネグリ氏の査証発給に関しては、法務省入国管理局との協議の上で行われているとの連絡が入りました。つまり、入国管理局の許可なしには、在仏日本大使館は、ネグリ氏に査証を発給することはできないということです。

その後、法務省(入国管理局入国在留課)より、アントニオ・ネグリ氏の日本入国には、彼が政治犯であったことの正式な証明が不可欠であるとの連絡を受けました。ネグリ氏は、過去に、イタリア国内での政治活動に対して有罪判決を受けたことがあり、日本の「出入国管理及び難民認定法」の「上陸の拒否」の項目(第5条4項)に、「日本国又は日本国以外の国の法令に違反して、一年以上の懲役若しくは禁錮又はこれらに相当する刑に処せられたことのある者」は、「本邦に上陸することができない」とあるからです。ただし、この条項には、但し書きがあり、「ただし、政治犯罪により刑に処せられた者は、この限りではない」というものです。ネグリ氏の場合は、出入国管理法が定める「例外」に当たるため、それを証明する公式文書を提出するように、ということでした。入国管理局としては、この書類がない限りは、ネグリ氏の日本入国は認めることができないとのことでした。

私どもといたしましては、数日遅れたとしても書類が整えばネグリ氏の来日が実現できるということで、八方手を尽くしましたが、来日を実現するその書類(ネグリ氏が政治犯であったことを証明する書類)の入手そのものが難しいことが判明いたしました。その結果として、今回の招聘は断念せざるを得ないということになりました。ネグリ氏ご自身も、訪日できなくなったことは非常に残念であるが、過去の経歴の詳細に焦点があたる形での来日を実現することに対し懐疑的でおられる旨、伝えてこられました。この間、法務省や外務省、在仏日本大使館のの方々にはネグリ氏の来日を実現すべく懸命に動いていただきましたが、このような残念な結果となりました。氏の来日プログラムの準備にこれまでご尽力・ご協力を下さった方々に感謝の意を表すると同時に、このたびの来日の中止に関しご理解を賜りますよう、お願い申し上げます。ネグリ氏及びパートナーのルヴェル氏からのメッセージを以下に記します。

日本の友人たちへの手紙

皆さん、

まったく予期せぬ一連の事態が出来し、私たちは訪日をあきらめざるを得なくなりました。この訪日にどれほどの喜びを覚えていたことか! 活発な討論、知的な出会い、さまざまな交流と協働に、すでに思いをめぐらせていました。

およそ半年前、私たちは国際文化会館の多大な助力を得て、次のように知りました。EU加盟国市民は日本への入国に際し、賃金が発生しないかぎり査証を申請する必要はない、と。用心のため、私たちは在仏日本大使館にも問い合わせましたが、なんら問題はありませんでしたし、完璧でした。
ところが2日前の3月17日(月)、私たちは予期に反して査証申請を求められたのです。査証に関する規則変更があったわけではないにもかかわらずです。私たちはパリの日本大使館に急行し、書類に必要事項をすべて記入し、一式書類(招聘状、イベントプログラム、飛行機チケット)も提示しました。すると翌18日、私たちは1970年代以降のトニの政治的過去と法的地位に関する記録をそれに加えて提出するよう求められたのです。これは遠い昔に遡る膨大な量のイタリア語書類であり、もちろん私たちの手元にもありません。そして、この5年間にトニが訪れた22カ国のどこも、そんな書類を求めたことはありませんでした。

飛行機は、今朝パリを飛び立ち、私たちはパリに残りました。

大きな失望をもって私たちは訪日を断念します。
数カ月にわたり訪日を準備してくださったすべての皆さん(木幡教授、市田教授、園田氏――彼は日々の貴重な助力者でした――、翻訳者の方々、諸大学の関係者の方々、そして学生の皆さん)に対し、私たちは申し上げたい。あなたたちの友情に、遠くからですが、ずっと感謝してきました。私たちはこの友情がこれからも大きくなり続けることを強く願っています。皆さんの仕事がどれほど大変だったかよく分かります。そして皆さんがどれほど私たちに賛辞を送ってくださっているかも。
パーティは延期されただけで、まもなく皆さんの元へ伺う機会があるだろう、と信じたい気持ちです。

友情の念と残念な思いを込めて……

2008年3月19日 パリにて
ジュディット・ルヴェル
アントニオ・ネグリ

(訳 市田良彦神戸大学教授)


 ネグリといえば、2000年に公刊されたマイケル・ハートとの共著“Empire”(邦訳は『<帝国>――グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性』(2003))によって一躍知られるようになったイタリアの哲学者ですが、過去にイタリアで政治犯として投獄され、11年間を獄中で過ごした後、フランスへ逃亡して亡命生活を送っている人物です。

<帝国> グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性

<帝国> グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性

 ネグリの思想で特に有名なのは《マルチチュード》という考え方です。これはフーコーの《生権力》の考え方を活用して、近代の国民国家に代わるポスト近代の新たなネットワーク上の支配装置を《帝国》と呼び、そのシステムの中における資本主義支配に対する新たな<対抗帝国>的な運動形態として《マルチチュード》を主体とするネットワーク的な戦略を構想するものです。

 ネグリの《帝国》の概念は、国民国家を前提とする帝国主義的な帝国とは全く異なるものです。《帝国》はもはや全世界を覆い尽くすものであり、もはや外部というものは存在しないものです。ですから、国民国家を前提とした帝国であるアメリカでさえ、《帝国》の内部に取り込まれてしまっていることになります(ネグリは9・11以降のアメリカの行動を《帝国》に対する一種の「クーデタ」と捉えています。)。

 したがって、《帝国》に対抗する手段は《帝国》内部にしか存在しません。そして、ネグリが《帝国》に対する対抗手段として提起するのが《マルチチュード》の運動なのです。

 この《マルチチュード》という概念が今ひとつはっきりしないことから、なかなか具体的な運動形態がイメージできないという難点はあるものの、グローバリゼーションの進展の中での資本主義に対抗するための新たな概念装置を提示したという意味で、世界的な影響を与えることになります。

 ネグリは2003年4月にあらゆる司法上の義務から解放された後、ヨーロッパ、ラテンアメリカ、中国など世界中を巡ることになります。しかし、日本にだけネグリは入国できないということになってしまったわけです。これははっきりいって、日本のイメージにとってマイナス以外の何物でもないでしょう。

 西洋に属さない日本は、本来、世界の思想の拠点となりうる高い潜在的可能性を持っているはずです。それにもかかわらず、厳格な法的手続を要求するあまり、ネグリという世界的に大きな影響力を持つ思想家を受け容れることができなかったことは、日本の閉鎖性のイメージを世界に発信する結果となってしまったといえるでしょう。

 ネグリの《帝国》の思想は、これからの資本主義の在り方を議論していく上では、少なくともしばらくの間は、必ず抑えておかなければならないものであると言えるほど、重要なものです。少なくとも今回の日本政府の対応は、そうしたネグリの思想の重要性などを総合的に勘案した上でのものではなく、あくまで入国管理行政という狭い行政分野の中での対応であったということでしょう。

 これからの日本の対応に大きな課題を残す事案です。