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「キリング・フィールド」★★★★

 カンボジア内戦下におけるニューヨーク・タイムズの記者とその下で働くカンボジア人のスタッフとの間の交流を通じて、カンボジア内戦の惨状を訴えた作品です。今日ではカンボジアの和平も軌道に乗っていて、カンボジアの内戦が取り上げられる機会もだいぶ少なくなってきていますが、この作品が製作されたのが1985年ですから、カンボジアはまだ内戦が収まっておらず、まだ重大な国際問題だった時期です。

 ニューヨーク・タイムズの記者シドニーサム・ウォーターストン)は、カンボジアプノンペンで取材活動を行っており、カンボジア人のスタッフであるプラン(ハイン・S・ニョール)と共に行動していた。当時、プノンペンロン・ノル政権下にあったが、共産主義クメール・ルージュが勢力を伸ばし、プノンペンの侵攻してきた。アメリカ大使館はプノンペンから引き上げたため、シドニーらはフランス大使館に逃げ込んだが、カンボジア人のプランは、家族をアメリカに避難させたものの、自らはフランス大使館にとどまろうとする。しかし、カンボジア人はフランス大使館から退出させられることになり、シドニーはサムのパスポートを偽造して外国人になりすまさせようと試みるものの、結局ばれてしまい、プランはフランス大使館から退出させられる。

 その後、シドニーはアメリカに戻り、カンボジアでの取材を評価されて賞を受賞する。他方、プランはしばらく行方不明の状態だった。プランは、クメール・ルージュの支配下で、元タクシー運転手であったと装いつつ、強制労働をして生き延びていた。前職を偽っていたのは、前職が記者や医者などのエリートとみなされれば、直ちに処刑されてしまうためであった。プランは機会を見計らってクメール・ルージュの監視下から逃れ、ある村にたどり着き、ようやくシドニーに連絡を取ることができた。

 プランからの連絡を受けたシドニーは、カンボジアのその村に駆けつけ、2人は再会を果たす・・・。


 後半はもっぱらプランの脱出劇のみに焦点が当てられやや単調な感じがあり、そして、最後のシーンは、ジョン・レノンの「イマジン」がバックに流れるいかにも“くさい”シーンとなっていますが、それはともかくとして、旧植民地が列強の身勝手な思惑によって内戦を引き起こされ、その結果、その住民が惨状に巻き込まれていった、という構図についてはよく描けているのではないかと思います。特に、米国の振る舞いの身勝手さは、この作品の中でも強調されています。

 当時、1つの国で共産主義の防波堤が崩れると周辺諸国へ次々と波及してしまうという<ドミノ理論>に基づき、アメリカは第三世界における内戦に積極的に介入していたわけですが、カンボジアについてもその例外ではなく、アメリカはロン・ノル政権とクメール・ルージュの内戦に対し、ロン・ノル政権を支持するとともに、空爆などによる直接的な内戦への介入を行っています。しかし、アメリカが手を引いたことによって、結局ロン・ノル政権は崩壊し、クメール・ルージュ政権が成立します。共産主義を掲げるこの政権下で、ポル・ポトが史上まれに見る残虐な虐殺行為を行ったことは周知の事実です。

 その後、カンボジアは、ベトナムの干渉を受けるなどした後、90年代に入ってようやく平和構築への道が開けていくわけです。

 今ではカンボジア和平が定着しつつあるものの、もともと列強の身勝手な思惑がこうしたカンボジアにおける混乱を助長してきたという事実は忘れるべきではないでしょう。そうした身勝手な列強の振る舞いは決して過去のものではなく、今日でもあちこちで起きているのです。

 こういうメッセージ性のある映画は、ともすれば押しつけがましい感じが前面に出てしてしまうのですが、この作品には“くどさ”は感じられず、よい作品に仕上がっているのではないかと思います。