読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる
映画、書評、ジャズなど

一瀬隆重「ハリウッドで勝て!」

ハリウッドで勝て! (新潮新書)

ハリウッドで勝て! (新潮新書)

 日本映画界から出発してハリウッドで活躍するプロデューサーになった筆者の成功体験記といった感じの本なのですが、日米の映画界の内実を垣間見られ、面白い本です。

 筆者の主張で最も共感した点は、日本映画界は

「どう考えても製作サイドが不利な仕組みになっている」(p62)

という指摘です。つまり、製作側がリスクを背負って資金調達して映画を作ったとしても、製作側がそれに見合う程儲かる仕組みにはなっていないというわけです。

 それから、日本映画が海外マーケットを視野に入れていないという指摘。確かに、近年日本映画界で大ヒットを記録した邦画を見ても、海外でヒットするということはほとんどありません。これに対して、香港映画というのは、どんなにドメスティックに映る映画であっても、海外マーケットを計算に入れて作られているとのことです。

 それから、映画監督とプロデューサーの違いについて。筆者は、監督とプロデューサーを兼任した「失敗体験」から、この両者の違いをはっきりと自覚することになります。

「作品のクオリティーをすべてに優先させるエゴは、クリエイターにとっては必要不可欠なものです。それを妥協して安易に予算やスケジュールだけを優先しても、面白い映画などまず作れません。したがってプロデューサーという職業には、映画監督のそういう習性を十分理解したうえで、ここぞという場面でビジネスとしての収支を合わせるバランス感覚が要求されます。そうやってまったく立場を異にする二人が真剣にぶつかり合うシステムがない限りは、いい映画は生まれてこないわけです。」(p81)

 なるほど〜と思いました。映画監督とプロデューサーの関係というのは、本の出版についていえば、作家と編集者の関係のようなものなのでしょう。いくら才能ある作家が面白いものを書いたと思っても、編集者の目から見ればちっとも面白くないということもあるわけで、編集者は作家に書き直させる、そういう作業の繰り返しの中でよい本が生まれてくるのと同じことなのです。

 だからといってプロデューサーが映画監督よりも偉いというわけではもちろんなく、現に一瀬氏は自分が監督には向いていないことを率直に述べています。監督には監督の、プロデューサーにはプロデューサーの、それぞれの役割に応じた才能が求められているわけです。

 このように、本書は、映画界の内実をよく知らない人にとっては、随所に大変新鮮な発見があり、大変面白く読めました。

 ただ、中には共感するのをためらってしまう部分があったことはも事実です。

 筆者は、日本映画界が金儲けをしようという意欲がないことをたびたび糾弾していますが、私はハリウッドのような金儲け主義が続けば、ずっと後世においても高い評価を受けるような映画作品がむしろ減ってしまうのではないかという感じています。近年のハリウッド映画の大迫力は、確かに見ていて面白いし、刺激的です。しかし、そういう映画がずっと後の時代においても同様に楽しめるかというと、それは別問題でしょう。そういう映画ばかりが作られているようでは、映画界の活力がどこかでとぎれてしまうのではないかという気がします。

 だから、筆者が日本映画界のやり方を「ぬるい」と述べ、日本映画のやり方をハリウッドのやり方と比較して「道楽」と延べ、そして映画のストーリー性をあまり重視しない姿勢をとっていることに対しては、やはり全面的に共感することはできません。

 また、筆者は、日本映画界の中で現場の苦労を味わってきたことが、後の成功の原動力となっているわけですが、実際にプロデューサーとして商業的に成功し、六本木ヒルズに住むようになった後、それを現場の人たちにどのように配慮してきているのか、という視点が本書からはあまり伝わってこなかった点が残念でした。日本での人件費が安いからハリウッド映画を日本で撮影したのだという点を強調するだけでなく、ハリウッドではユニオンがしっかりしていて、労務管理が行き届いているという部分を、もっと日本映画界が取り入れるべきという点を本書の中でもっと強調するような配慮があってもよかったのではないかと思います。

 ただ、本書のような見方は日本映画界にとって大変貴重であることは間違いありません。映画界の活性化のために本書のようなビジネス面の視点をもっと導入することは必要だと思いますし、良い映画を作るためにはそれなりの資金の調達が必要であると思います。

 結局は、映画のビジネスとしての側面と芸術としての側面をいかに調和させるかが重要なのだと思います。