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映画、書評、ジャズなど

秋の文化財めぐり

 しばしば指摘されることですが、日本の建築物は木造が多いため、ヨーロッパなどに比べると頻繁に建築物が建て替えられるので、どうしても古い建築物が後世に受け継がれにくいという傾向が否めません。しかし、こうした傾向は木造建築物だけでなく、石や煉瓦造りの建物や鉄筋コンクリートの建物についても当てはまるわけで、日本で古い建物が大事にされないのは何も木造だからという理由だけで説明できるものではありません。特に、バブルの時期には、昭和初期以前に建てられた重厚感漂う貴重な建造物が、経済合理性の名の下に次々と取り壊されていったことを考えれば、日本社会に古い建物を保存しようという発想が希薄なのだと、残念ながら考えざるを得ません。

 ただ、町を歩きながらよく見てみると、今でも昭和初期以前に建てられた建造物がしっかりと現役のビルとして活躍をしているのが分かり、大変うれしい気持ちになります。

 今回、中央区文化財めぐりの企画がありました。案内役を務めたのは、東京の街並みや建造物の研究の第一人者である法政大学デザイン工学部の陣内秀信教授という何ともゴージャスな企画です。『東京の空間人類学』という大変素晴らしい本でサントリー学芸賞を受賞されており、その他テレビなどにも出演されたりしています。

東京の空間人類学 (ちくま学芸文庫)

東京の空間人類学 (ちくま学芸文庫)


 銀座の裏通りに立ち並ぶビルの中にひっそりと残る6階建てのビルで、昭和7年(1922年)竣工したものです。かつては集合住宅として使われていたものの、現在ではアート工房が入居するなど、知る人ぞ知るアートの発信基地となっているようです。かつて日本人には集合住宅に住むという発想はなくせいぜい長屋暮らしだったのが、次第に日本人が集合住宅に住むようになっていったということです。
 こんな古い建物なのにエレベーターが設置されており驚きです。いまだに手動でドアを開閉する仕組みのままでした。

  • ヨネイビル


 奥野ビルから1分ほど離れたところに建つビルで、株式会社ヨネイの本社ビルとなっています。様々な業務用機器を製造している会社のようです。建物は昭和4年(1919年)に竣工したもので、かつてのロマネスク風の外観が1階部分に残されています。この1階部分の入口はアーチ状の形をしています。建物は鉄筋コンクリートであり、本来入口をアーチ状にする必然性はないのですが、当時の建築家のアーチに対する憧れからあえてアーチ状に設計されたもののようです。


 日本橋にある日本銀行の本店です。辰野金吾という明治・大正期の著名な建築家の手によるもので、明治29年(1896年)竣工のネオ・バロック風の建物です。正面から建物を見ると、てっぺんにドームが付いているのが分かります。辰野金吾は、東京駅や旧両国国技館の設計にも携わっているようです。外観はベルギー国立銀行をモデルに設計したものとされているようです。この場所にはかつて「金座」があり、その跡地にできています。
 

  • 三井本館


 昭和4年(1929年)竣工の建物。震災復興として建てられたもので、もともとは三井の主要各社が入るオフィスだったようです。外壁の大列柱が特徴的です。この建物の保存と引き替えに、日本橋三井タワーという超高層ビルの建設が認められたそうです。


 大正3年(1914年)に竣工した店舗が震災で焼けた後、1927年(昭和2年)に大改装され、昭和10年(1935年)に大幅な増改築がなされて現在の建物へ。日本初のエスカレーターが設置された建物として有名です。中央の吹き抜け、2階のパイプオルガン、アール・ヌーヴォー調の三越劇場など、庶民が楽しむ要素がふんだんに埋め込まれています。
 かつてのデパートはいち早くモダンの要素を取り入れることで、人々の羨望の的になってきたわけで、古い建物が残っているデパートは、今見ても大変ユニークで素晴らしい作りをしています。

 もともとは慶長8年(1603年)に架橋されましたが、現在の橋は明治44年(1911年)に架橋されたものです。かつて橋の袂には魚河岸がありましたが、震災で焼けた後、現在の築地に移転されています。
 陣内教授によれば、橋というのはもともと水に正面を向けて作られたのだそうです。長谷川尭という方は日本橋川を「水上のシャンゼリゼ」と呼んだそうですが、確かに、日本橋は水上から見た方が美しくできてます。
 近年は橋の袂の整備が進み、ちょっとした広場ができたりしています。高度成長期を通じて忘れられてきた水辺に対する理解が近年また徐々に取り戻されてきたことの表れともいえ、少し嬉しくなる事実です。


 昭和5年(1930年)竣工の建物で、日本橋川に面して建てられています。昭和通り日本橋川というかつての物流の中心から近いということで、現在の場所に建てられたそうです。もともとは銀行業と一緒だったのが、貴重品の保管だけを分離して現在の会社ができあがったとのことで、今でも貴重品の保管をメインに行っているとのこと。今回は特別に、建物の中に入れていただくことができましたが、地下倉庫には太い柱が短間隔で立てられているなど、貴重品が厳重に保管されている様子がよく分かりました。

 建物は船をモチーフに設計されているようで、今では外側がふさがれてしまっていますが、中から見ると、船の窓のような丸窓が川に向けて作られていることが分かります。

 また、今回特別に、昭和6年?に撮影された16ミリの映像というのを見せていただいたのですが、かつては日本橋川に向けて大きなクレーンが設置されていて、船で運ばれてきた雑穀などをクレーンで吊り上げてそのまま倉庫に搬入していた様子が写されていました。当時こうした大型のクレーンは珍しかったのか、多くの見物人が見守っている様子が分かります。何よりも驚くのは、日本橋界隈の人の量の多さで、この界隈が物流の要衝として極めて活気があったことが分かります。

 経済性の観点から古い建物を壊して無味乾燥な現代建築に建て替える企業が後を絶たない中、この三菱倉庫という会社は、古い建物の保存と最先端の貴重品の保管とを両立しようという姿勢が強く表れており、この点だけみても大変好感が持てました。こうした企業の取り組みをきちんと評価してあげることが、文化財の保護につながっていくのだと思いました。

  • 所感

 今回の企画では、この他にも、アーチ状の装飾が施された常盤台小学校の校舎、明治時代に建造されたアーチ状の旧常盤橋、それから船で清洲橋永代橋勝鬨橋を回ったりしました。

 水辺から見る東京の光景は、陸地から見るのとは全く違ったものとして映ります。隅田川の堤防はかつて「カミソリ堤防」と呼ばれるコンクリートの切り立った堤防で、人々が水際に近づきがたかったのですが、それが次第に反省され、ようやくテラスが作られて人々が川面の間近にまで近づける環境が整いつつあります。大川端のリバーシティ、聖路加病院直下のテラスなどがその象徴でしょう。

 私たちの生活は「日常」と「非日常」から構成されています。民俗学で「ハレ」と「ケ」と言いますが、昔から人々は「日常」と「非日常」をうまく組み合わせてバランスをとって生活をしてきたわけです。数々の祭りや年中行事というのは、「非日常」を体験するための文化的装置であったということができるでしょう。
 ところが、近代社会というのは、「非日常」が「日常」に覆い尽くされてきた過程であったと捉えることもできます。つまり、我々が「非日常」を体験することはますます困難になってきているのです。

 こうした中で、水辺というのは、都会で暮らす人々にとって「非日常」を作り出す重要な文化的装置です。陸地から水辺を眺めても、逆に水上から陸地を眺めても、我々は「日常」を超越した感動を得ることができます。特に、夕刻の真っ赤に染まった水辺は、我々を一気に「非日常」の異次元空間へと誘ってくれます。

 隅田川をこよなく愛した文筆家に芥川龍之介がいます。芥川は「大川」と題する短いエッセイの中で、夕刻の隅田川に対する格別の思いを吐露しています。

「ことに日暮れ、川の上に立ちこめる水蒸気と、しだいに暗くなる夕空の薄明りとは、この大川の水をして、ほとんど、比喩を絶した、微妙な色調を帯ばしめる。自分はひとり、渡し船の舷に肘をついて、もう靄のおりかけた、薄暮の川の水面を、なんということもなく見渡しながら、その暗緑色の水のあなた、暗い家々の空に大きな赤い月の出を見て、思わず涙を流したのを、おそらく終世忘れることはできないであろう。」(角川文庫『羅生門・鼻・芋粥』p221)

 芥川の隅田川に対する並々ならぬ思いが伝わってきます。

「大川の水の色、大川の水のひびきは、我が愛する「東京」の色であり、声でなければならない。自分は大川あるがゆえに、「東京」を愛し、「東京」あるがゆえに、生活を愛するのである。」(前掲書p221)

 芥川にとって、隅田川の存在こそが生活を愛する所以であったことが分かります。

 芥川でなくても、水辺の存在というのは人々の生活や内面に大きな意味を持つことある程度共通していえるように思います。これからの東京を魅力あるものにしていくには、水辺の環境整備が大きなポイントになるように思います。

 陣内教授がおっしゃっていたことですが、飛行機で羽田に到着した人が水上経由で都内に入る選択肢があってもよいのではないか、というのは全くその通りです。外国人の旅行客が羽田に到着して水上バスでレインボーブリッジをくぐり、隅田川を遡上して月島や両国、浅草にたどり着いて宿泊するということが可能であれば、どんなに日本の魅力をアピールできるでしょうか。隅田川から見るレインボーブリッジやリバーシティ21の眺めは世界に誇るべき絶景だと私は思います。

 こういう水辺の魅力というのは、身近にいる住民が実は気づいていない場合が多いように思います。まずは、水辺の住民が自分たちの住む町の魅力を知るという意味で、こういう企画は大変有意義だと思いました。
↓亀島川からリバーシティーの方角を臨んだ写真です。