読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる
映画、書評、ジャズなど

長時間労働規制は弊害??

 11月6日付けの日本経済新聞の経済教室に、日本大学准教授の安藤至大という方が書かれた「長時間労働 規制は弊害も」と題する論文が掲載されていました。法と経済学の視点から労働時間規制について論じたものです。

 経済界の人たちが読んだら飛んで喜びそうな内容ですが、「法と経済学」がいかに説得力のない空疎な学問(?)であるかがよく現れており、皮肉な意味において参考になります。

 安藤氏は、まず、ホワイトカラー労働者の長時間労働規制について、「業務の忙閑の差が大きいホワイトカラー労働者を想定すると、忙しい時期にこの上限を超える労働が必要になることもあるだろう。高い業績評価や昇進などを求める労働者は、上司から依頼された仕事量を規定時間内に終わらせることができなかった場合、記録に残さない形で仕事を続けるだろう。こうした当人同士の(暗黙の)合意や裏取引を取り締まることには費用がかかりすぎ、中途半端な時間規制を実効性を持たない。」と断じています。

 おそらく、全ての労働者について裏取引していないかどうか日々監視しようとするのであれば、費用がかかりすぎという指摘はその通りだと思いますが、そんな監視社会のような仕組みを想定している人は皆無でしょう。企業に対して規制をかけてたとしても、企業はしっかりと日々見張られていない限り規制を遵守しようとしないのだという前提で述べているのであれば、それはかなり違うように思います。企業のコンプライアンスが叫ばれている中、法律で規制をかければ、当然、相当程度の効果があることは否定できないでしょう。

 また、忙閑の差についての指摘も、ある程度柔軟な仕組みにすれば対応の仕方はあるのであって、忙閑の差を根拠に規制が実効性を持たないという指摘は当たらないでしょう。

 医学的な労働時間の上限設定が妥当であるという指摘については、もちろん異論はありません。しかし、医学的な規制については実効性の問題を問うていないのはなぜでしょうか?医学的規制だって、裏取引を取り締まるのに費用がかかるという指摘は同様に当たるはずです。

 次に、残業代の引き上げについての指摘がなされているのですが、これもあまり的を得ていません。

 安藤氏によれば残業代に対する割増賃金率を引き上げれば、短期的には、残業時間の減少と労働者数の増加が期待できるものの、企業は賃金総額が増えないように基本給を切り下げるから、労働者は同じ水準の賃金を得るために余暇よりも残業を望むようになり、結果として残業時間は増えてしまう、だから割増賃金率による長時間労働規制は難しいのだと述べています。

 そもそも企業は割増賃金率を引き上げれば基本給を減らすという前提に立っての立論ですが、割増賃金率の引き上げは、企業が無駄な労働を減らすように努力することに主眼があるはずです。なのに、企業はそうした目論見に対して手のひらを返すような行動をとるということを前提としているわけです。企業がそうした手のひらを返したような行動をとることを示す実証的なデータは存在するのでしょうか?大胆な前提で、割増賃金率の引き上げには効果がないと論じているようにしか見えません。

 こうして安藤氏は、時間規制や割増賃金率引き上げは効果が期待できないという前提に立って、過重な労働に直面した労働者に出口が用意されるべきだと言います。それは、転職が容易になるよう、転職市場を整備するということです。つまり、長時間労働がいやならやめて転職すればよい、という主張です。 挙げ句には、政府の役割は、企業の自発的取組の成功例を紹介することがとしています。

 「法と経済学」全般について言えるのですが、一見、学問的な装いをまとっているものの、政府による介入は基本的に「悪」であって企業は「善」なのだから、企業は政府の介入なしに極力自由自在に活動させるべきだ、という信念に基づく「政治的主張」に近い要素が色濃く感じられます。つまり、政府の介入はいけないという結論ありきなのです。ですから、できるだけ活動に対する制約から逃れたいと思っている大企業には非常にうけがいいわけです。

 この論文について見ても、安藤氏は、長時間労働を減らすように企業にいくら規制をかけたってうまくはいかないのだ、という発想で物事を考えていることが窺えます。つまり、長時間労働を減らすという命題を放棄しているわけです。長時間労働を減らすことは無理なのだから、長時間労働がいやな人たちが転職できるようにすればよいのだ、という論法です。

 しかし、先に述べたように、その論拠はどうもはっきりせず、かなり無理をして「長時間労働規制は効果がない」という前提を置いているようにしか見えません。しかも、労働時間規制の実効性に疑問を呈しながら、「長時間労働や労働災害を防ぐためには、労使の自発的な取り組みが重要だ。」などと、労働時間規制よりもはるかに実効性の期待できない提案を出されたりしています。違反し被害を出した場合の罰則を労働基準法に規定しておけば、実際の保護手法は労使の自発的な取り組みに任せる、そして、政府は自発的取り組みの成功事例を紹介することが有効な手段なのだそうですが、法律で労働時間を直接規制するよりも労使の自発的な取り組みの方が実効性があるという主張は首をかしげざるを得ませんし、その主張が納得できるほどの論拠をこの論文では全く提示できていません。

 法と経済学を信奉し市場は自由であればあるほどよいことを疑わない人たちからすればもしかすると説得的な論文なのかもしれませんが、私の印象は、法と経済学の議論の浅薄さを露呈してしまっているなぁ、という感じです。

 何よりも、一番の問題は、法と経済学がどのような社会の在り方を目指しているのかが全く見えてこない点でしょう。私は労働時間短縮というのが一つの追求すべき社会の在り方だと思っているのですが、この安藤氏の議論は、労働時間短縮をやろうとして規制をかけても実効性がないから諦めて、転職できる人は転職し、転職できない人はカウンセリングを受けろと言っているかのようにも見受けられ、どこを目指しているのかがさっぱり分からず、いたずらに世の中を経済学の物差しで診断して論じているとしか思えないのです。

 もちろん、法と経済学を研究されている方々の中には、純粋に法学と経済学の連関を追求している方々も多くおられると思いますが、「法と経済学」という学問的な色彩をまとって、その内実は市場原理主義的な「政治的主張」が展開されている場合も多いので、要注意です。