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村上春樹「走ることについて語るときに僕の語ること」

走ることについて語るときに僕の語ること

走ることについて語るときに僕の語ること

 旺盛な仕事の傍らでマラソンやトライアスロンに勤しむ村上春樹氏が、走ることというテーマに絞って書いたエッセー集です。単に走ることについて書いただけなのに、これだけ面白く読む人を飽きさせないエッセー集になってしまうところは、やはり並大抵の作家ではないなぁ、という気がしてしまいます。

 村上氏はよく

「どんな髭剃りにも哲学がある」

というサマセット・モームの言葉を引用されますが、日常のどんな些細な行動でも、しっかりとした問題意識を持ってやっていれば、そのうちそれについて語れるだけの哲学を身に着けることができるというわけですね。

 ちなみに、この著書のタイトルは、村上氏の敬愛するレイモンド・カーヴァーの短編集“What We Talk About When We Talk About Love”にちなんでいるとのことです。

 ここでは、本書からいくつか印象に残った箇所を抜き出しておきたいと思います。

ミック・ジャガーは若いときに「四十五歳になって『サティスファクション』をまだ歌っているくらいなら、死んだ方がましだ」と豪語した。しかし実際には彼は六十歳を過ぎた今でも『サティスファクション』を歌い続けている。そのことを笑う人々もいる。しかし僕には笑えない。若き日のミック・ジャガーには四十五歳になった自分の姿を想像することができなかったのだ。若き日の僕にもそんなことは想像できなかった。僕にミック・ジャガーを笑えるだろうか?笑えない。」(p33)

「学校で僕らが学ぶもっとも重要なことは、「もっとも重要なことは学校では学べない」という真理である。」(p67)

「…僕は小説を書くことについての多くを、道路を毎朝走ることから学んできた。自然に、フィジカルに、そして実務的に。どの程度、どこまで自分を厳しく追い込んでいけばいいのか?どれくらいの休養が正当であって、どこからが休みすぎになるのか?どこまでが妥当な一貫性であって、どこからが偏狭さになるのか?どれくらい外部の風景を意識しなくてはならず、どれくらい内部に深く集中すればいいのか?どれくらい自分の能力を確信し、どれくらい自分を疑えばいいのか?もし僕が小説家となったとき、思い立って長距離を始めなかったとしたら、僕の書いている作品は、今あるものとは少なからず違ったものになっていたのではないかという気がする。」(p113−4)

「要するに芸術行為とは、そもそもの成り立ちからして、不健全な、反社会的要素を内包したものなのだ。…しかし僕は思うのだが、息長く職業的に小説を書き続けていこうと望むなら、我々はそのような危険な(ある場合には命取りにもなる)体内の毒素に対抗できる、自前の免疫システムを作り上げなくてはならない。そうすることによって、我々はより強い毒素を正しく効率よく処理できるようになる。」(p133−4)

 他にも示唆に富んだ“哲学”が本書の随所に転がっていますので、是非、手にとって読んでみてください。