- 出版社/メーカー: 日活
- 発売日: 2005/01/01
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柳生家はその家宝である“こけ猿の壺”に百万両の隠し場所が堀り込まれていることを知るが、その壺は、江戸の道場に婿入りした弟の源三郎の下にあった。ところが、源三郎が壺の価値を知ったときには、源三郎の妻萩乃は、薄汚い“こけ猿の壺”をくず屋にすでにあげてしまったことから、“こけ猿の壺”探しが始まる。
源三郎は“こけ猿の壺”探しを口実に、丹下左膳(大河内傳次郎)が居候している女将お藤が営む矢場に通いつめる。他方、“こけ猿の壺”はくず屋の隣に住む子供チョビ安の手に渡り、金魚鉢として使われていたが、チョビ安の親が亡くなったことから、チョビ安は壺とともに矢場のお藤の下に渋々引き取られる。
源三郎は“こけ猿の壺”が矢場のお藤の下にいるチョビ安の金魚鉢であることを知るが、矢場に通っていることが妻萩乃にばれてしまい、屋敷から出してもらえなくなる。
ところが、丹下左膳が金策のために道場破りに出かけ、偶々出向いた先が源三郎が主を務める道場だった。丹下左膳と源三郎は、矢場で顔なじみであり、源三郎は道場の主とはいえ、丹下左膳に比べれば明らかに腕が劣っていたため、2人は試合中に取引をして、丹下左膳はわざと源三郎に敗れる。
その後、壺は無事源三郎の手に戻るが、源三郎は壺が戻ってきてしまうと、壺探しを口実とする矢場通いができなくなってしまうので、それをしばらく丹下左膳に預かってもらうことにする・・・。
この作品を作った山中貞雄という監督は、29歳という若さで亡くなられた方で、この『丹下左膳餘話・百萬両の壺』は25歳の時に作った映画です。しかも、彼は生前に20本以上の映画を制作されているようです(ただし、現存している作品は3本のみのようです。)。彼が亡くなったのは、戦争に出征中、中国軍の黄河決壊作戦による洪水でかなりの水を飲んだことが原因とした病気によるものであるとのことです。何とおしい人材を映画界は失ったことでしょうか。彼が生きていたら戦後どんなに素晴らしい映画を作り続けたかを考えると、残念でなりません。
筒井清忠氏の『時代劇映画の思想』によれば、山中貞雄を含む「鳴滝組」の映画の特徴は、場面展開がスムーズで、次から次へと小さな意外性のあるストーリーが展開していく点にあるようですが、この映画の中でも、例えば、チョビ安を引き取ろうという丹下左膳に対して矢場の女将お藤が子供はきらいだとして難色を示す場面のすぐ後に、チョビ安が無事引き取られている場面が展開したり、竹馬が欲しいというチョビ安に対しお藤が拒否する場面のすぐ後に、お藤が竹馬に乗っているチョビ安を手取り足取り指導している場面が展開するような演出がありますが、一見厳しいお藤も実は心優しい人なんだということが見る側に効果的に伝わってくる演出となっています。
この丹下左膳というキャラクターは、林不忘の新聞連載小説がもとになっているようですが、原作はもっと硬派なものだったようで、山中貞雄のこのコミカルな丹下左膳は、林から激しい抗議を受けたようです。
しかし、できあがった映画の出来映えは大変素晴らしい喜劇に仕上がっています。
最後の場面で、源三郎が壺で大金を手にするのではなく、壺を預けて今までどおりの矢場通いを続けられる道を選ぶのは、何とも素敵な生き方で、今日にも通じるメッセージがあるように思います。
こういう映画が今でも映像で見られることは、至福の喜びです。