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「酔いどれ天使」★★★★

醉いどれ天使 [DVD]

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 1948年に制作された黒澤映画です。

 冒頭から、薄汚く、ガスが不気味に湧き出している水たまりが頻繁に登場しますが、この水たまりこそが、この時代の象徴といえます。

 闇市の近くで小さな医者を営む真田(志村喬)の下に、闇市を縄張りとするヤクザの松永(三船敏郎)が手首を撃たれて飛び込んでくるが、その際、真田は、松永が結核に冒されていることを見つける。松永は昼間から酒ばかり飲んでいる酔いどれの医者であるが、正義感は強く、自分の見た患者はほっとけないたちで、松永に対して執拗に説教を続ける。

 そんなとき、かつて闇市を縄張りとしていた岡田(山本礼三郎)が刑期を終えて出所して戻ってくる。松永は岡田に愛人を奪われ、病んだ体を押して岡田に復讐を企てるが、決闘に敗れて死ぬ。

 最後の場面には、対照的な2人の女性が登場する。1人は、ヤクザの松永に惚れていた女で、松永が死んだことにショックを受けて、都会を去っていこうとしている古いタイプの女性。もう1人は、真田の診療所に通っていた女子高生で、真田の言うことをしっかりと聞いて結核を治した理知的な女性。前者が敗者で、後者が勝者として描かれています。女子高生と真田は次のような会話を交わして、映画は終わる。

女子高生 「理性さえしっかりしていれば結核なんて怖くないわよね。」
真田「人間に一番必要な薬は知性なんだよ」

 この最後の場面からも窺えるとおり、この映画は、ヤクザに象徴されるような生き方を否定し、新しい善良な生き方を賞賛することが1つのモチーフとなっています。

 こうしたモチーフは、もちろん、ヤクザの松永と医者の真田との関係にも象徴されているわけですが、当初のシナリオでは、対照的なキャラクターを際だたせるために、真田は若いヒューマニストの開業医を考えていたようです。しかし、そうしたあまりにも理想的な人物では生きて動き出さなかった。そんなとき黒澤は、以前闇市を見て廻っている時に横浜のスラム街で出会ったある酔っ払いの医者を思い出し、「これだ!」と思ったわけです。こうして、ヒューマニストの若い開業医というイメージは一気に吹っ飛んでしまったわけです。

「私達の過ちは、やくざを批判するために、その対照的な人物である開業医を、あまりにも理想に走って設定したところにあったのだ。」(黒澤明『蝦蟇の油』p291(同時代ライブラリー版))

蝦蟇の油―自伝のようなもの (岩波現代文庫―文芸)

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 このように、この映画は、ヤクザの生き方を否定するつもりで作られたわけですが、ところが、観客はむしろヤクザの生き方にニヒリズムを見出し、喝采したという点は極めて興味深い点です(佐藤忠男黒澤明解題』(同時代ライブラリー))。
黒澤明作品解題 (岩波現代文庫)

黒澤明作品解題 (岩波現代文庫)

 実は、黒澤はヤクザを否定するというモチーフを強調しているのですが、共同で脚本の執筆に当たっていた植草圭之助は黒澤とは逆に、ヤクザ否定の態度には不満を持っており、ヤクザの人間性の欠落や歪みは彼等だけの責任ではないと考えており、黒澤としばしばぶつかっていたのです。こうした植草の考え方に対し、黒澤は、「犯罪者を生み出したのは、社会の欠陥だとする論理には一面の真理はあるにしても、それを論拠にして犯罪者を弁護するのは、社会の欠陥の中で犯罪に走らずに生きる人達を無視した、詭弁に過ぎない。」(黒澤明『蝦蟇の油』p293)と述べています。

 結果的には、観客たちは、黒澤よりも植草のような考え方に立ってこの映画を喝采したわけです。

 また、この映画で何といっても画期的なことは、三船敏郎が初主演したということです。以前の記事黒澤明「蝦蟇の油」 - loisir-spaceの日記でも御紹介しましたが、黒澤はちょうど「わが青春に悔いなし」の撮影中に東宝の俳優募集の試験が行われていましたが、黒澤は高峰秀子に呼び止められ、凄いのがいると言われます。そして、三船の演技に惚れ込みます。

 しかし、三船との出会いに困惑もありました。皮肉なことですが、三船があまり魅力的だと志村とのバランスが取れなくなってしまうからです。

「いや、その三船の魅力は、彼の持って生れた強烈な個性が発散するものだから、彼を画面に出さないという方法以外に、その魅力を殺す方法は無かった。」(黒澤明『蝦蟇の油』p298)

 ものすごい惚れ込みようであることが分かります。

 黒澤はこの映画でヤクザの生き方を否定したかったわけですから、ヤクザを演じる三船があまり魅力的であっても困るわけです。が、結局、三船の魅力を殺しきれなかったため、観客はヤクザの生き方にむしろ共感したという面もあるのかもしれません。

 さらに、もう1つこの映画の興味深い点は、音楽の活用という側面です。日本文学の研究家であるマイク・モラスキー氏が『戦後日本のジャズ文化』の中で指摘するように、この『酔いどれ天使』は、黒澤映画の中でジャズを使った初めての映画です。しかも、笠置シヅ子が歌う「ジャングル・ブギ」という曲は、黒澤自身が作詞したものなのです。ジャズの持つエネルギーを映画の中で最大限活用したといえるでしょう。

戦後日本のジャズ文化―映画・文学・アングラ

戦後日本のジャズ文化―映画・文学・アングラ

 また、音楽面でもう1つ注目すべき点は、「郭公ワルツ」の使い方です。映画も終わりに近づく頃、松永は傷心の中で闇市を徘徊するシーンがありますが、このとき背後に流れているのが軽快なリズムの「郭公ワルツ」で、それが松永の傷心を一層際だたせています。
 この映画の制作中に黒澤の父が亡くなりますが、その知らせを受け取った黒澤は新宿へ出て、人混みの中をやりきれない気持ちを抱いて歩いていました。そんなとき、どこかのスピーカーからこの曲が聞こえてきます。

「その明るい音楽は、その時の私の暗い気持を一層陰鬱な堪え難いものにした。」(黒澤明『蝦蟇の油』p299)

 この経験から黒澤は、「郭公ワルツ」を映画の中に使うことを提案します。

「やくざの暗い想念が、その陽気な音楽で、驚くほど強烈に映像からにじみ出て来た。」(黒澤明『蝦蟇の油』p300)

 しかも、期せずして、この場面でヤクザの三船が徘徊するシーンの長さと「郭公ワルツ」の曲の長さが一致したのでした。黒澤はおそらく、新宿を歩いた時に無意識に頭の中で曲の長さを計算していたのではないかとして、監督家業も因果な商売だと述べています。

 この映画自体、大変楽しめるものではありますが、こうした様々な背景をあらかじめ念頭に置いておくと、より理解が進むような気がします。