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「死刑台のエレベーター」★★★★☆

死刑台のエレベーター [DVD]

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 これはまさしく
「ジャズ・シネマ」
と呼ぶべきでしょう!

 節目節目で流れるマイルス・デイビスの音楽がなければ、この映画がここまで名を残すことにはならなかったかもしれません。

 シモン・カララ社長が経営する未開地開拓会社に勤めるジュリアン・ダベルニエ(モーリス・ロネ)は、社長夫人のフロランス・カララ(ジャンヌ・モロー)と浮気をしていた。映画の冒頭、カララ夫人がジュリアンに対して自分の主人の殺害を促す電話のシーンで始まる。それが終わると、マイルス・デイビスのまったりとしたけだるい音楽が流れ出す。

 ジュリアンは会社の外壁を上って予定どおりカララ社長を殺害し、自殺に見せかける工作をした上で、会社から抜け出し、車を運転してカララ夫人の待つ喫茶店に向かおうとするが、そこで、外壁を上る際に使った縄がそのままになっていることに気づき、車を置いたまま再び建物の中に戻るが、その際、エレベーターを使って上っている最中に電源を消されてしまい、エレベーターの中に閉じこめられてしまう。

 ところが、放置されたジュリアンの車は、近くの花屋に勤めるベロニックとその連れの若者ルイが乗り込んで、車を走らせていってしまう。2人はモーテルに泊まり、そこでドイツ人の観光客の夫婦と夜を共に飲み明かして過ごす。そして、ジュリアンの車に置いてあった小型カメラに残っていたフィルムで写真を撮り、モーテルで現像を依頼する。夜中、2人はドイツ人の車を盗もうとしている現場を目撃され、ルイはドイツ人の夫婦を殺害してしまう。

 一方、ジュリアンの殺害を促したカララ夫人は、ジュリアンを探し求めて夜の街を彷徨う。そこで、またマイルス・デイビスのかったるい音楽が効果的に流れてくる。

 夜が明けて、ジュリアンはようやくエレベーターから抜け出すことができたが、そこで彼を待ち受けていたのは、ドイツ人夫婦の殺害容疑だった。彼は警察に対し、自分はやっていないと反論するが、カララ社長の殺害に絡んでエレベーターに閉じこめられていたため、その反論には説得力がない。

 カララ夫人は、前日、花屋のベロニックがジュリアンの車に乗って走り去っていたことを偶然目撃していた。そこで、ベロニックの家に向かうと、そこには睡眠薬を飲んだベロニックとルイが一緒におり、カララ夫人は2人がドイツ人夫婦を殺害したと確信する。

 ルイは、自分たちに嫌疑がかけられていないことを知り、あわててモーテルに向かい、前日現像を依頼した写真のフィルムを撮りに向かうが、すでに警察は、ルイがドイツ人と一緒に写真に写っていることを知り得ていた。

 そして、そのフィルムからは、カララ夫人とジュリアンが抱擁している写真も現像されており、結局、カララ夫人とジュリアンがカララ社長を殺害したことも発覚してしまう・・・。

 カララ夫人は警官から、ドイツ人殺害であれば確実に死刑だが、自分の主人の殺害であればまず10年の懲役であることを告げられ、「感謝してください」と言われる。

 最後、カララ夫人は次のようにつぶやきます。

「10年 20年
 月日が過ぎ 老いていく
 私は眠り
 一人で目を覚ます
 10年 20年…
 ずっと私は冷酷だった
 でも少なくとも
 あなたを愛した
 私は老いていくわ
 でも写真では一緒
 結ばれているわ
 誰にも引き裂けない」

 カララ夫人が語っている間、ここでもマイルス・デイビスのかったるい音楽がバックで絶妙に流れています。

 さて、手元にある洋泉社『キーワード事典 ジャズを見る』というジャズの本の中で内藤遊人さんという方が書かれているところによれば、マイルスは1957年11月に単身でフランスに渡り約3週間滞在し、その間の12月4日にマイルスと4人のメンバーがスタジオに集まって、監督のルイ・マルが編集した音楽挿入用の試写フィルムを見ながら、即興演奏がなされたとのことです。とはいえ、100%の即興ではなく、マイルスだけは2週間前に試写用フィルムを全編チェックして、全体の構成を把握し、メモを取ったりしていたとのことです。作業は結局4時間で終了したとのことです。

 この作品が作られたとき、監督のルイ・マルは25歳、マイルスは31歳。2人の若者が果敢なチャレンジを企てた結果、見事な作品ができあがったということでしょう。

 そして、何と言っても、常に旺盛なチャレンジ精神でジャズ・シーンを牽引してきたマイルスだからこそ、この「ジャズ・シネマ」のチャレンジは成功したのではないかと思います。

 最後に、私が聞いて感動したマイルス・デイビスのアルバムを紹介しておきます。どちらも素晴らしいの一言です。

Kind of Blue

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