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角山栄「時計の社会史」

時計の社会史 (中公新書 (715))

時計の社会史 (中公新書 (715))

 だいぶ古い中公新書の本ですが、御紹介したいと思います。

 本書は、単なる時計の発達史ではなく、時計の発達とともに人々の意識がどのように移り変わっていったかを明らかにしており、現代社会を生きる我々の時間意識を考える上で大変貴重な示唆を与えてくれます。

 ヨーロッパ中世における機械時計の出現は、不定時法から定時法への転換をもたらし、以降、人工的な単位時間を基にした社会へと移っていくわけですが、これは人間社会にとっては極めて大きな革命といえます。

 定時法の下では、時間は商人にとって貨幣のような意味を持ちます。特に大きな問題となるのは「利子」です。それまでは「時間を売ることはできない」という教会の態度が大きな影響を持っていたわけで、機械時計の出現というのは、いわば「教会の時間」に「商人の時間」が挑戦するという状況をもたらしたのです。

 さらに、機械時計の出現は、人間の労働にも大きな影響を与え、仕事は時間に縛られた賃労働へと変わってゆくことになります。ブルジョアは工場の時間を管理することによって労働を支配することになるのです。工場の監督者は、労働者から時計を取り上げた上で、例えば、時計を早く進ませることによって始業時よりも早くベルを鳴らしたり、仕事が終わる時は逆に時計を遅らせてベルの鳴る時間を遅らせることもできたわけです。

 テイラーの「科学的管理法」は、こうしたブルジョアによる時間の支配の最たるものです。

 こうした厳格な時間管理に対しては、当然労働者の抵抗が起こります。その一つは、19世紀のフランスなどで広く見られた「聖月曜日」(セイント・マンデイ)の風習です。これは、職人たちが安息日である日曜日に深酒をして月曜日も休んでしまうという習慣です。

 酒を飲む習慣というのは、産業革命以前にもあったものの、それは労働のリズムの中に組み込まれていたわけですが、産業革命以後は、飲酒が労働時間を妨げるような状況になったわけで、だからパブは民衆の資本に対する抵抗拠点にもなり、資本家たちはこれに禁酒法を制定したり、あるいは酒以外の娯楽を提供することで対抗しようとしたわけです。マス・ツーリズムの創始者とされるトーマス・クックが旅行事業を展開したのも、禁酒大会へ人々を運んだのがきっかけだったことはわりと有名な事実です。

 このように、時計の発達は、人々の意識や生活スタイルに極めて大きな影響をもたらしてきたというのが、本書の主な論旨ですが、本書では、他にもユニークな視点から時間意識の問題を提起しています。

 例えば、「シンデレラ物語」にまつわる検証です。シンデレラはどのようにして時を知ったのか、というのが角山氏の素朴な疑問です。17世紀のフランスの作家シャルル・ペローが童話集を編集出版したのは1697年で、その中でシンデレラの物語は「むかし、・・・」と始まっていることからすれば、シンデレラの物語は17世紀以前のことを描いているものと考えられるわけです。

 公共用機械時計は15世紀から16世紀にかけて、教会の塔や市庁舎の塔に取り付けられていたようですが、シンデレラの聞いた時報の鐘はこうした公共時計ではなかったと角山氏は考えます。なぜなら、シンデレラは1日目の夜は11時45分を告げる鐘を聞いて舞踏会から帰っているわけですが、当時の公共時計はおそらく1時間ごとに鳴っていたと考えられることから、シンデレラが聞いたのは公共時計の鐘だとするのは疑問が残るというわけです。

 シンデレラが聞いたのは、おそらくドイツ製置時計ではなかったのか、というのが角山氏の結論です。当時の置時計の針は文字盤の上に一本しかなかったようですが、角山氏の突き当たった古いカタログによれば、時報は15分ごとに鳴るものもあったようで、シンデレラの童話の舞台となった時代は、16世紀末から17世紀初めのヨーロッパに設定してもよいのではないかというのが、角山氏の結論です。

 また、もう一つ興味深い指摘は、中国と日本の機械時計の受け容れ方の違いについてです。中国には1583年にイエズス会士によって機械時計がもたらされているようで、中国皇帝も機械時計の魅力に取りつかれたようです。しかし、中国において機械時計は皇帝にとっての高級な玩具に過ぎず、機械時計の工業化が進展することはなく、日常生活における時間システムの変革をもたらすことはなかったとのことです。

 これに対して、日本に最初に機械時計が伝来したのは1551年にフランシスコ・ザビエルによるものだそうですが、日本では西洋の機械時計と接触するや、これを日本の風土と文化に適合するよう独自の改良と工夫を重ねる方向で対応したとのことです。つまり、日本人は当時不定時法を採用していたわけですが、日本人は本来定時法になじむべき機械時計をなんと不定時法に対応させてしまったわけです。不定時法というのは昼と夜の長さによって時間の単位が決まってくるわけですから、当然昼と夜では単位時間当たりの長さが異なりますし、また、季節によってもその長さが異なってきます。それを機械時計で対応させてしまうことがいかに大変な技術であるかは、少し考えればすぐに分かることでしょう。

 本書を読むと、我々が身近に接している時計もこうして見てみると実に奥が深く、そして、今日の我々の生活スタイルを基底しているのは実は時計なのではないかとすら感じてしまいます。

 大変面白い本なので、是非ご一読ください。

 なお、時間に対する意識を考える上で、以下の本も大変面白いので、紹介しておきたいと思います。

遅刻の誕生―近代日本における時間意識の形成

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定刻発車―日本の鉄道はなぜ世界で最も正確なのか? (新潮文庫)

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