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ジョセフ・L・サックス「「レンブラント」でダーツ遊びとは」

「レンブラント」でダーツ遊びとは―文化的遺産と公の権利

「レンブラント」でダーツ遊びとは―文化的遺産と公の権利

 「文化的遺産と公の権利」という副題が付けられた本書は、文化財に係る私人の財産権と公共性のバランスをどのように取っていくかについて、豊富な事例を検証することによって論じたものです。本のタイトルにもなっていますが、

「風変わりなアメリカの美術収集家が、ある週末のお遊びとして、友人を招いてレンブラントの肖像画を標的にしたダーツ競技を催すことにしたとしても、公の法律にもとることはないし、また私的な束縛による干渉を受けることもない。」

といったような見解の妥当性について、緻密な検証が進められていきます。

 この本に挙げられている事例の中から主なものを挙げると次のような感じです。

ディエゴ・リベラの壁画」

 著名な芸術家ディエゴ・リベラは、マンハッタンのロックフェラー・センターに新しく建てられたRCAビルの表玄関の向かい側の壁に壁画を描くことを引き受けたが、リベラはその中に共産主義の象徴であるレーニンの肖像を加えた。ロックフェラー家は、リベラにレーニンの肖像を描くのをやめるように要請したがリベラは断る。結局、壁画は事前の警告や通告なしに送り込まれた作業員によって粉々に切り刻まれて破壊された。

「カールスパッド事件」

 カリフォルニア州カールスパッド市は、外洋の上に突き出た岬の上に公園を設計するよう、著名な芸術家アンドレア・ブルムに依頼した。ブルムの作った作品は、垣根と誤解される可能性のあるもので、多くの住民に激しい嫌悪の情を引き起こし、「ゴリラのおり」「眺望のある動物園」などの名称で知られれるようになる。この件は裁判にも持ち込まれ、結局、ブルムはこの作品のもっとも目に余る部分の剛鉄の棒を撤去することなどに同意したものの、残りの剛鉄の棒は従来の場所にそのまま残されることとなり、ブルムはこうした変更を考慮して2倍の報酬を受け取った。

チャーチルの肖像画」

 英国議会は著名な肖像画家グラハム・サザーランドに対し、チャーチルの80歳の誕生日を祝う贈り物として本人の肖像画の制作を依頼した。チャーチルはこの絵を嫌悪し「近代芸術の目をみはるようなお手本」と形容した。チャーチルの妻は夫以上にこの絵をひどく嫌い、チャーチルが死亡する少し前にこの肖像画を破壊した。サザーランドは、この破壊は「疑いもなく蛮行」であると語ったとされる。

ジャワ原人の化石」

 ユージェン・デュボアはジャワ原人の化石遺物を発見したが、当時デュボアの分析には依然として強力な反対もあり、デュボアは25年近くも発見した化石を貯蔵金庫の中に封じ込め、彼の業績を疑う者がその化石を見ることができないようにした。その後、オランダ議会の圧力や世界中の科学者たちの苦情によって、デュボアは金庫を開けてジャワ原人の化石を取り出した。


 これら以外にも、本書で取り上げられている事例は多数に上ります。

 文化財以外でも、例えば、大統領の文書類がかつて大統領の私有財産と考えられていたことや、公開について制限が加えられることを条件として図書館に寄贈されたコレクションの取扱い等々についても、緻密な検討がなされています。

 さて、こうした文化財の所有権と公共性のバランスの問題に関連して、少し前の新聞に、次のような記事が掲載されていました。

大使館、美術品45点を廃棄 外務省「劣化したため」
2007年06月25日11時09分

 大使館などの在外公館に飾られていた絵画や陶磁器などの美術品のうち、02年以降に45点が廃棄され、大使公邸で絵画1点を紛失していたことがわかった。廃棄した45点について外務省は「劣化したり破損したりした物。管理は適切だった」としているが、作者からは「外務省なら大事にしてくれると思ったのに」といった憤りの声が上がっている。
 調査を求めてきた前田雄吉(民主)、鈴木宗男新党大地)両衆院議員に外務省が明らかにした。それによると、これらの美術品は日本文化を世界に知ってもらう目的で購入したり寄贈されたりした物。廃棄された45点のうち29点は主に昭和期の芸術家たちの原作品で、残りは横山大観川合玉堂の複製品だった。
 廃棄された作品は日本画11点、陶磁器6点、洋画、版画各4点、書2点など。うち5点は寄贈で、8点は50〜80年代ごろに8000〜40万円(計116万円余り)で購入。残る16点の購入時期や価格については「取得の経緯を示す記録が残っておらず分からない」という。
 紛失した1点は、盛岡市の画家、土井宏太郎さんの日本画「潮の舞」(50号)。外務省が92年に58万円で購入したが、06年4月ごろ、所蔵先の在ウズベキスタン大使公邸でなくなった。大使館は、盗難の可能性もあるとして現地当局に捜査を要請したが、見つかっていない。
 80年代に寄贈した書を廃棄された書道家の遺族は「適切に管理していれば劣化などするものではないし、本当に捨てたのかと疑いたくもなる。50年も前の作品を『命よりも大切』と大事に保存してくれる人もいるのに失礼な話だ」と話す。
 土井さんは「外務省を信用し、子を託すような気持ちで出した。名誉なことでもあるので価格も通常の10分の1ほどにした。紛失はとんでもないことで現地に行って自分で捜したいくらいだ」と憤る。
 外務省によると、在外公館に所蔵している美術品は4千数百点。在外公館課は「廃棄したのは、しみやカビが出たり、古くなって劣化したり壊れたりして、修復が難しい物。温度や湿度の管理などに気を配るよう、各公館に指示している」と説明する。

asahi.com:大使館、美術品45点を廃棄 外務省「劣化したため」 - 文化一般 - 文化・芸能

 ここで、土井宏太郎さんという方が外務省に対する不満の言葉を述べておられますが、絵画の所有権は外務省にあるものの、絵画の制作者の意向を無視してまで廃棄することが許されるか、という問題がここで浮かび上がってきます(まぁ、この件は、それ以前の問題として、外務省の財産管理のあまりのお粗末さに尽きるという感じもしますが・・・)。

 いずれにしても、文化的価値があると思われる建築物その他の財産については、通常の財産権の考え方はやはり何らかの制限を受けるといわざるを得ないわけですが、いざ個々の事例についてどういった準則が当てはまるかについては、なかなか複雑な問題です。

 本書は、そうした複雑な問題を考えるきっかけとして大変有益です。