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「市民ケーン」★★★★☆

市民ケーン [DVD] FRT-006

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 この映画は、名画ランキングでは必ず上位に名を連ねる作品ですが、大きな構成から細部にわたるまで本当によくできた映画です。

 単にケーンの波乱に満ち哀愁が漂う生涯を淡々とたどっていくだけでなく、ケーンが死ぬ間際につぶやいた“rose bud”(バラのつぼみ)という言葉の意味を、記者が追っていくという構成を取ったことが、この映画にサスペンス的要素を与え、この映画が大きな評価を受ける最大の勝因があったのではないかと思います。

 記者は“rose bud”の意味を巡って、ケーンの関係者らに当たっていくうちに、ケーンの生涯を知ることになる。ケーンは幼い頃、財産管理の教育のため、両親の元から離されて暮らすことになる。そして若くして莫大な財産を手にし、新聞社の経営に乗り出すが、そこでは、センセーショナリズムを追求し、自らが大株主である会社の経営方針を新聞で糾弾することさえためらわなかった。ケーンは知事選にも立候補するが、投票直前に不倫疑惑が報じられ、結局ライバル候補に敗れる。その後、不倫の相手だったオペラ歌手スーザンと結婚し、彼女のためにオペラハウスを建設するが、それが逆に彼女を追い込むことにつながってしまい、結婚生活は破綻する。ケーンは孤独の中で死んでいく・・・。

 記者は肝心の“rose bud”の意味を探ることはできなかったものの、最後、ケーンの持ち物が次々と焼却されていく際、彼が幼い頃に遊んだソリの底面に“rose bud”と書かれていたことが分かる場面で、謎が解明されることになります。

 ケーンの姿を見ていると、私は、フィツジェラルドの『グレート・ギャツビー』に登場するギャツビー像と重なって見えてきてしまいます。両者ともに、華やかなりしアメリカ社会において莫大な富を築き、ビジネスでは大成功を収めながら、内面ではどこか満たされぬ物を抱えながら生きている人物の象徴です。

グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)

グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)

 それは、資本主義を謳歌するアメリカ社会に対するアンチテーゼとして見ることもできると思われます。また、マスメディアの権力性に対する批判という要素もあるように思えます。

 この映画は、オーソン・ウェルズが新聞王のハーストの晩餐会に赴き、そこでハーストをモデルとする映画の作成を思い立ったことから生まれた作品ですが、このことを知ったハーストは、この映画の公開を阻止するために様々な圧力をかけたとされています。その際、ウェルズは、共産主義的だと批判もされたようです。

 しかし、この作品が今日においても依然として絶大な評価を受けているという事実は、ウェルズが当時抱いた問題意識が今日においても十分有効であることの証左なのではないかと思います。

 資本主義的色彩を一段と強めつつあるアメリカ社会においては、今後、この映画の評価はますます高まっていくに違いありません。