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映画、書評、ジャズなど

隅田川の橋

 都市出版というところから出ている『東京人』という雑誌があるのですが、最新の2007年8月号では「東京の橋100選」という特集が組まれています。そこで、今回は、橋の中でも隅田川界隈の橋に注目してみたいと思います。

東京人 2007年 08月号 [雑誌]

東京人 2007年 08月号 [雑誌]

 ところで、隅田川の橋に関しては、最近、ちょっとしたニュースがありました。それは、本年4月の文化庁文化審議会の答申により、隅田川に架かる「清洲橋」「永代橋」「勝鬨橋」の3つの橋が国の重要文化財(建造物)に指定されたことです。
http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2007/04/20h4k100.htm
 このうち、「清洲橋」と「永代橋」の2つは、関東大震災後の震災復興事業において架けられた橋です。

 橋の研究に関する第一人者である日本大学の伊東孝教授が書かれた『東京の橋』という本によれば、震災後の東京においては「隅田川十大橋梁」と呼ばれる橋梁群が新名所となりましたが、10本の橋のうち9本は震災後に架けられた橋なのだそうです。戦災ではこれらの橋はダメージを受けていないので、震災後に架けられた橋が基本的に現在まで受け継がれているということになります。

東京の橋―水辺の都市景観

東京の橋―水辺の都市景観

 さて、この「清洲橋」と「永代橋」を比べてみると、その姿形は全然違うことが分かります。

 「清洲橋」は<吊橋>です。

 これは2本の塔の間にケーブルなどを張り、そこから橋桁を吊り下げるという方式で、レインボーブリッジなどが吊橋に当たります。昭和3年3月に竣工しており、「当時の最先端技術による昭和初期を代表する吊橋」が重要文化財の指定理由となっているようです。


 一方、「永代橋」は<アーチ橋>です。

 これは凸型の曲線で橋を支える方式です。川の両岸に橋桁があるだけで、その間はアーチ構造だけで支えられています。重要文化財の指定理由にも「新たな鋼材を使うことで最大支間を実現した鋼アーチ橋」とあります。

 隅田川に架かる他の橋には、これ以外の方法が用いられているものもあります。例えば、「永代橋」よりももう少し下流に架かる「相生橋」は<トラス橋>という三角形を組み合わせたような形をした方法(鉄道の鉄橋でよく見られますが)が用いられ、「中央大橋」や「新大橋」は<斜張橋>という塔から斜めに張ったケーブルで橋桁を吊る方法が用いられ、さらには単に両岸の橋脚の上に橋桁を渡しただけの<桁橋>と呼ばれる方法も見られます。


 そして、隅田川に架かる橋の中でも極めてユニークな方法が用いられている橋は、何と言っても「勝鬨橋」です。この橋の何が極めてユニークかといえば、それは橋の真ん中が羽根のように開く「跳開橋」という方法が用いられていることです。

 ここで「勝鬨橋」について簡単に見てみると、この橋は昭和15年6月に竣工したものであり、重要文化財の指定理由によれば「国内最大の可動支間を有する技術的完成度の高い構造物」とされています。築地と月島一帯との間には、かつて「勝鬨の渡し」と呼ばれる渡し船が通っていました。「勝鬨」という名称は、日露戦争での旅順陥落を祝して渡船場が創設されたためです。そして、昭和15年に開催が予定されていた万国博覧会の会場へのメインゲートとして「勝鬨橋」が建設されたのです。しかし、戦争の影響で万国博覧会の開催は中止となります。そして、橋の真ん中の跳開も、かつては1日3回(戦前は5回だったようです)開閉されていたのが、その後、モータリゼーションの進展を受けて自動車交通量が増大する反面、隅田川を航行する船の量が減少したことから、昭和45年11月29日を最後に“開かずの橋”となって今日に至るのです。

 かつて「勝鬨橋」が開閉したときは、1回の開閉で晴海通りは20分通行止めとなったそうです。当時を知る人によれば、跳ね上げ部分は70°に持ち上げられ、道路の上の砂がザァーっと音を立ててすべり落ちてきたそうです。


 さて、「勝鬨橋」の話が長くなりましたが、このように隅田川に架かる橋はそれぞれ個性的な方法が用いられています。ここで疑問に思うのは、なぜ隅田川に架かる橋の形がそれぞれ違っているのか、それぞれの方法が採用されたのには何か理由があるのか、という点です。

 この点について、伊東孝教授の『東京の橋』によれば、震災復興の際に隅田川にどのようなタイプの橋を架けるかは当時大きな社会的関心事であり、復興局としても画家や作家などからも意見を聞いたものの、その結果は思わしくなく、また、中には隅田川の橋を同一型式にすることが理想的だとする主張もあり、若干の論争が繰り広げられたようですが、結論としては今のようにそれぞれタイプの違う橋が架けられることになったようです。要するに、なぜ一つ一つ異なる形の橋が架けられたのか、その辺の思想はよく分からないようです。

 ただ、橋のデザインを考える際に、都市景観との関係は考慮されていたようです。その意味で象徴的なのは、隅田川の右岸(西側)と左岸(東側)に架かる橋の違いです。隅田川の右岸(西側)には<アーチ橋>が多く見られるのに対し、左岸(東側)には<トラス橋>が多く見られます。また、右岸の中でも、神田川の下町地域ではスチールを主体とした<アーチ橋>が多いのに対し、外濠にはコンクリートの<アーチ橋>が多く見られます。

 伊東孝教授によれば、こうした橋のタイプの違いは、「橋のタイプに対するデザイン評価と地域性」に関係がありそうだとのことです。
 つまり、「右岸地域には皇居を中心にした守るべき環境や景観があったのに対し、左岸地域にはそれがなかった」(伊東『東京の橋』p140)というわけです。

 橋の話はまだまだ尽きないのですが、続きはまた次回にしたいと思います。