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小木新造「江戸東京学」

江戸東京学

江戸東京学

 先日、江戸東京博物館前館長の小木新造さんの訃報に接しました。
 小木氏の「江戸東京学」という考え方に共感を覚えていた者として、小木氏が亡くなられたことは大変残念に思います。

 「江戸東京学」という学問は、小木氏が1983年に提唱されたもののようで、小木氏は「江戸東京学」を

「江戸から今日までの都市形成発展と、文化変容の過程を一貫した視座からとらえ、その連続性や非連続性と、江戸東京の都市としての特性を学際的に研究する開かれた学」(小木「江戸東京学」p15)

だとしています。私なりに解釈すれば、要は「東京」という一見過去とのつながりが断たれているような都市を正当に評価し魅力を発見しよう、という運動のように思います。

 関東大震災東京大空襲という2度にわたる災禍に見舞われた「東京」は、多くの建物が木造建築物であったことも災いして、江戸時代から引き継がれてきた多くの建物が姿を消してしまっています。そして、代わりに東京を彩っているのは、何の変哲もない冷たい鉄筋コンクリートの建物群となっているわけで、ヨーロッパの古くからの町並みのように、少なくとも外見上は今の東京に江戸の痕跡を発見することは困難な状況になっています。

 そんな「東京」という都市の魅力を探る上で大きな貢献をされたのが『東京の空間人類学』という名著を書かれた法政大学の陣内秀信教授です。

東京の空間人類学 (ちくま学芸文庫)

東京の空間人類学 (ちくま学芸文庫)

 陣内教授は

「東京では、変化に富む立地条件と、その上に江戸以来つくられた都市の構造とが歴史的、伝統的な空間の骨格を根底において形づくっているのであり、それと都市の中身を構成する新旧織り混ぜた様々な要素とが巧みに混淆し、世界にも類例のないユニークな都市空間を生み出している」(陣内前掲書)

と述べておられ、そこに東京のアイデンティティを見いだそうとされています。

 確かに今日の東京の空間設計を見てみると、江戸時代から受け継がれているものが極めて多いことに気づきます。江戸時代の地図と今日の東京の地図を見比べれば分かるのですが、多くの道路がほぼぴたりと重なることに驚かされますし、今日残っている公園などの大きなスペースは、江戸時代の大名屋敷の敷地をそのまま活用しているところが多く見られます。しかも、こうした空間利用の在り方は、極めて巧妙で、起伏に富む山の手の地形をうまく活用した道路造りが行われているのです。こういう目線で見ると、確かに今の東京の町並みには、江戸時代の痕跡を確認することが十分可能です。陣内教授のおっしゃるように「全体として見れば東京はむしろ、しっかりと組み立てられた江戸の都市構造を受け継ぎ、その上に乗っかりながら近代の都市形成を行った」と言えるわけです。

 私もこうした「江戸東京学」の発想には大いに共感しています。東京の町を実際に歩いてみると、多くの新たな発見があります。かつての江戸は「水の都」であったわけですが、今日だいぶ川や運河が埋められてしまったとはいえ、その名残や痕跡はあちらこちらに残っています。また、神社などの敷地の多くも、江戸時代からの敷地をそのまま継承しています。江戸時代の地図を片手に歩けば、わずかな想像力さえ持ち合わせていれば、江戸時代の情景が自ずと思い浮かんできます。

 このように東京の魅力を深層から考えることによって、東京の魅力を我々自身がきちんと理解し、それを海外に向けて発信していけば、日本にとっての大きな「ソフトパワー」(ジョセフ・ナイ)になるでしょう。

 そういえば、かつて来日した際に隅田川を和船で遡り、河岸を観察したレヴィ=ストロースは、『悲しき熱帯』の中公クラシックス版のためのメッセージの中で、次のように書いています。
「…私が聞かされていたのとは反対に、現代の東京は私には醜く感じられませんでした。建造物の単調な整列が、通行者に二面の壁のあいだの小路や大通りをたどらせる西洋の都市と違って、さまざまな建物が不規則にたてこんでいることは、多様で自由な印象を与えます。」(『悲しき熱帯Ⅰ』p5−6)

悲しき熱帯〈1〉 (中公クラシックス)

悲しき熱帯〈1〉 (中公クラシックス)

 一見雑多に見える都市であっても、見ようによっては、それまで見えなかった様々な魅力が見えてくるのです。