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太田光・中沢新一「憲法九条を世界遺産に」

憲法九条を世界遺産に (集英社新書)

憲法九条を世界遺産に (集英社新書)

 少し前に読んだ本です。

 お笑い芸人、学者という全く異なる世界でそれぞれ活躍している2人であり、両者とももちろん憲法の専門家ではないわけで、議論が噛み合うというところにまでは達していないといえばそれまでなのですが、ところどころで太田がとてもお笑い芸人とは思えない見識を披露すれば、中沢がそれを包容力を持って受けとめるという絶妙なコミュニケーションは圧巻です。そして、いくつかのテーマについては、異質な両者が化学反応を起こして閃光を散らすといったようなハーモニーが見られます。

 さて、対談のテーマは宮沢賢治やら武士道やらあちこちに飛びながら進んでいくわけですが、やはり本の表題にもなっている憲法9条を巡る議論がもっとも面白いです。

 「憲法9条世界遺産にしよう」という表現は、某テレビ番組において太田が提案したマニフェストだそうで(実際には「自衛隊の駐屯地を田んぼにする」というマニフェストに変わったようですが・・・)、これを聞いた中沢が「芸術だ」といって賛同したという経緯のようです。
 太田はその意図を次のように説明しています。

憲法9条は、たった一つ日本に残された夢であり理想であり、拠り所なんですよね。どんなに非難されようと、一貫して他国と戦わない。二度と戦争を起こさないという姿勢を貫き通してきたことに、日本人の誇りはあると思うんです。他国からは、弱気、弱腰とか批判されるけど、その嘲笑される部分にこそ、誇りを感じていいと思います。」(集英社新書p78)

 中沢は太田のこうした提案を次のように解釈して受けとめます。

世界遺産に指定された場所の多くは、現代社会の中で、なかなかほかにはあり得ないようなあり方をしています。美しい景色も、そこに残された精神的な価値も、現代の価値観からするとあり得ない場所です。そのあり得ない場所を持続しようというのが世界遺産の考えでしょう。・・・(中略)・・・日本国憲法は、普通の国憲法とは違う。とくに九条があることによって、普通になれない。それは国家が自分の中に矛盾した原理を据えているからです。だからそれはある意味で、修道院に似ています。修道院のような暮らしは普通の人にはできない。でも、修道院のようなものがあると、人間は、普通ではできないけれど、人間には崇高なことにとり組む可能性もまだあるんだなと感じることができる。そういう場所があることは、すごく大事なことです。だからその意味でも日本国憲法世界遺産にというのは、最高の表現なんです。」(集英社新書p126)

 また、太田は次のようにも述べています。

世界遺産をなぜわざわざつくるのかといえば、自分たちの愚かさを知るためだと思うんです。ひょっとすると、戦争やテロで大事なものを壊してしまうかもしれない。そんな自分たち人間の愚かさに対する疑いがないと、この発想は出てきません。人間とは愚かなものだから、何があってもこれだけは守ることに決めておこうというのが、世界遺産の精神ですよね。そんな規定がなくても守れるのなら、わざわざ世界遺産なんて言わなくてもいいわけです。」(集英社新書p127−8)
憲法九条世界遺産にするということは、人間が自分自身を疑い、迷い、考え続ける一つのヒントであるということなんですね。」

 こういう意味合いにおいて、憲法9条を「世界遺産」と表現するのであれば、私は「憲法9条世界遺産に」という提案に賛同します。

 憲法9条は確かに理想的に過ぎるかもしれないし、自衛隊の存在という現実とも矛盾しているのかもしれない。そして、各国が依然として軍事力を保持し続けている状況下において、この9条を未来永劫守っていくことはおそらく相当に困難なことに違いないわけで、憲法9条が存在し続ければ、今後とも我々日本人は悩まされ続けるに違いありません。

 しかし、我々を悩ませ、迷わせ、考えさせるからこそ、この9条の存在する意義があるとも考えられるわけです。

 本書の中で両者も指摘していますが、仮に憲法を改正し、9条がなくなってしまったとしたら、どうなるのでしょうか。ある意味、論理的ですっきりした憲法ができることになるでしょうが、この問題について誰も問いかけることすらしなくなってしまうかもしれません。

 このように、憲法世界遺産にしようという両者の発想は、日本国憲法の成立過程についての捉え方に大きく依拠しているようにも思えます。両者は、日本国憲法を押しつけとして捉えず、日米の合作として捉える点で一致しています。太田はジョン・ダワーの名著『敗北を抱きしめて』を読んで日本国憲法の成立過程について知ったとのことで、次のように述べています。

「戦争していた日本とアメリカが、戦争が終わったとたん、日米合作であの無垢な理想憲法を作った。時代の流れからして、日本もアメリカもあの無垢な理想に向かい合えたのは、あの瞬間しかなかったんじゃないか。日本人の、十五年も続いた戦争に嫌気がさしているピークの感情と、この国を二度と戦争を起こさせない国にしようというアメリカの思惑が重なった瞬間に、ぽっとできた。これはもう誰が作ったとかという次元を超えたものだし、国の境すら超越した合作だし、奇跡的な成立の仕方だなと感じたんです。アメリカは、五年後の朝鮮戦争でまた振り出しに戻っていきますしね。僕は、日本国憲法の誕生というのは、あの血塗られた時代に人類が行った一つの奇跡だと思っているんです。この憲法は、アメリカによって押しつけられたもので、日本人自身のものではないというけれど、僕はそう思わない。この憲法は、敗戦後の日本人が自ら選んだ思想であり、生き方なんだと思います。」(集英社新書p55−6)

敗北を抱きしめて 上 増補版―第二次大戦後の日本人

敗北を抱きしめて 上 増補版―第二次大戦後の日本人

敗北を抱きしめて 下 増補版―第二次大戦後の日本人

敗北を抱きしめて 下 増補版―第二次大戦後の日本人

 この見方に対してはおそらく賛否両論様々な意見があろうかと思いますが、私は基本的に共感します。

 日本国憲法の成立過程においては、日本側で憲法改正案を検討している最中にGHQから一方的に憲法草案が手渡され、極めて短期間にGHQの憲法草案をベースとして議論が進められたことは周知のとおりです。その経緯をもって「押しつけだ」と叫びたくなるような心境に私もおそわれますし、事実、私もついこの前までは日本国憲法は押しつけられたものとして捉えていました。

 しかし、憲法が誕生する瞬間というのは、常に「奇跡」的な状況なのだと思います。これは、憲法改正がなぜ多数決によってできないのかという問題とも絡んでくるのですが、憲法というのは大多数の人びとが賛成するという極めて「奇跡」的な状況においてのみ成立しえるものなのではないかと思われるからです。だからこそ、憲法は多数決によってもひっくり返すことはできないわけですし、それが多数決の勝者の横暴を防ぐことにもなるわけです。

 少なくとも、戦後日本国憲法が成立した時期においては、大多数の国民はその憲法の内容について好意を持って捉えていた状況にあったわけです。そして、当時民間で論議されていた憲法草案も、今の日本国憲法の精神をすでに先取りしていたようなものも多々あったわけです。このことは、当時GHQによる「検閲」が行われていたことを考慮したとしても、妥当する事実なのではないかと思います。

 そうであれば、日本国憲法が成立した瞬間というのは、大多数の国民が1つの憲法に賛同したという「奇跡」的な瞬間だったといえるわけです。確かに、その後、朝鮮戦争が勃発し、国論は護憲改憲に二分されていったのは事実ですが、それもで今の憲法のままで今日まできているということは、少なくともある瞬間においては大多数の国民から支持された憲法であったからです。

 大塚英志氏が『「彼女たち」の連合赤軍』の中で述べているように、憲法押しつけ論というのは、戦後の歴史に対する責任の放棄という側面を併せ持っているといえます。憲法が押しつけられたものであるにせよ、アメリカから与えられたものであるにせよ、我々日本人は戦後60年間を日本国憲法の下で生きてきたわけであり、そこで様々なことを達成したわけです。にもかかわらず、憲法は押しつけられたものだとする見解は、つまり、戦後60年間の日本人の歴史を否定することにもつながってしまいます。

 このことは、戦後日本社会を「閉された言語空間」とする江藤淳の捉え方についても当てはまります。
閉された言語空間―占領軍の検閲と戦後日本 (文春文庫)

閉された言語空間―占領軍の検閲と戦後日本 (文春文庫)

 そういう詮無い議論をしなければならないほど、憲法押しつけ論をとらなければならない状況に我々は置かれているのでしょうか?

 まとめれば、憲法9条は、その文言だけを捉えれば、自衛隊といういわば「戦力」を持っている今の日本社会の状況と矛盾しているように受けとめざるを得ません。当初の「理想」からは徐々にかけ離れ、9条の解釈は現実の方向に吸い寄せられてきていることは、やはり否定できないことでしょう。しかし、こうしたいわば「矛盾」を抱えているからこそ、9条の存在意義は増しているのではないか、そんな思いを私はこの両者の対談から強く受けました。

 近年、改憲論に大勢が流れつつある中、本当にそうあるべきかどうかについて考えるきっかけとして大いに役立つ本であることは間違いありません。