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映画、書評、ジャズなど

黒澤明「蝦蟇の油」

蝦蟇の油―自伝のようなもの (岩波現代文庫―文芸)

蝦蟇の油―自伝のようなもの (岩波現代文庫―文芸)

 今回御紹介する『蝦蟇の油』という本は、黒澤明監督がその半生を書いた自伝です。さすが、数々の素晴らしい映画の脚本を作ってきた人だけあって、すらすらと読み進めることができる本です。日本を代表する大映画監督がどのような生い立ちを経て生まれてきたかが手に取るように分かります。

 小学1年の頃は知恵遅れの扱いを受けていた話、泣き虫で「金米糖(コンペト)」と呼ばれていた話は、後の黒澤からは想像もつかないエピソードです。

 黒澤にとりわけ大きな影響を与えたのは、兄の存在です。黒澤の兄は大変秀才だったものの、名門中学の入試に落ちてからは性質が変わってしまった。しかし、黒澤の文学や映画についての識見は、この兄に負うところが大きかったようで、特に映画は、兄に勧められた映画を貪るように見ていたとのことです。しかし、その兄は、30歳になる前に死ぬといって、結局その言葉どおり、27で自殺してしまいます。

 黒澤が兄から受けた影響の大きさは、次の言葉から明らかです。

「私は、兄というネガ(陰画)があって、そのおかげで私というポジ(陽画)が生まれたのだ、と思っている。」

 黒澤が映画界に飛び込むきっかけとなったのは、映画撮影所の助監督募集の広告を見たことでした。そこで、生涯の師である山本嘉次郎に出会います。そして、黒澤は助監督として山本から多くを学びつつ、そのうちに、脚本も書かされるようになります。

 この本の中には、黒澤の書いた脚本が検閲を受けた際のやりとりが大変面白く書かれています。当時の検閲の理不尽さも伝わってきます。
 例えば、黒澤の書いた「サンパギタの花」の中には、フィリピンの娘の誕生日を同じ職場の日本人が祝うシーンがあったが、検閲官はそれを「米英的だ」と詰問した。そこで、黒澤は次のように言います。

「すると、天長節を祝うのもいけないのですか。天長節は、天皇の誕生日を祝う、日本の祝日ですが、あれも米英的な習慣で、もってのほかの行為なのでしょうか」

 検閲官は真っ青になり、その結果、「サンパギタの花」は却下され、葬られたとのこと。。

 また、「一番美しく」の脚本で、検閲官は、

「勤労動員の学生達を、工場の門は胸をひろげて待っている」

との文章を「猥褻だ」と言ったとのこと。黒澤が検閲官を「精神異常者」と呼ぶのも分かります。

 戦後もGHQの検閲が行われますが、「勧進帳」を基にして作られた「虎の尾を踏む男達」も、検閲を受けることになります。ここでも黒澤は、日本の検閲官から、次のような言葉を浴びせられます。

「この“虎の尾―”という作品は何事だ。日本の古典的芸能である歌舞伎の“勧進帳”の改悪であり、それを愚弄するものだ」

 黒澤は次のように答えます。

「“虎の尾―”は、歌舞伎の“勧進帳”の改悪だ、と云われるが、私は、歌舞伎の“勧進帳”は、能の“安宅”の改悪だ、と思う。」

 また、検閲官は次のように言います。

「“勧進帳”に、エノケンを出す事自体。歌舞伎を愚弄するものだ」

 黒澤は次のように返します。

「ドン・キホーテのお供にサンチョ・パンサという喜劇的な人物がついているが、義経主従にエノケンの強力という喜劇的な人物がついていて、何故、悪いのですか」

 黒澤の切り返しが何とも痛快です。

 この「虎の尾―」は、日本の検閲官のおかげでGHQから上映禁止を喰らったものの、その後、GHQの映画部門の担当官が見て面白がり、上映禁止を解除してくれたとのことです。

 このほか、黒澤と三船の出会いの場面も、感動的です。東宝の俳優募集の試験中、黒澤はちょうど「わが青春に悔なし」の撮影中でしたが、黒澤は高峰秀子に呼び止められ、次のように言われます。

「凄いのが一人いるんだよ。でも、その男、態度が少し乱暴でね、当落すれすれってところなんだ。ちょっと、見に来てよ。」

 なんだか、後の三船のイメージそのままです。試験場へ行ってドアを開けた黒澤はぎょっとします。

「若い男が荒れ狂っているのだ。
 それは、生け捕られた猛獣が暴れているような凄まじい姿で、暫く私は、立ち竦んだまま動けなかった。」

 それはちょうど三船が演技をしている最中だったわけですが、それにしても、黒澤の受けた三船の第一印象の衝撃が伝わってきます。その後、三船が黒澤映画にとって欠かせない存在になることは周知のとおりです。

「とにかく、めったに俳優に惚れない私も、三船には参った。」

 まぁ、とにかく、この本は純粋に面白い物語であるし、黒澤映画を見たことがある人であれば是非読んでおくべき本でしょう。映画に対する黒澤の強い思い入れが手に取るように伝わってきますし、黒澤の映画に対する情熱こそが日本映画を今日まで引っ張ってきたことがよく分かります。

 1つ確実に言えることは、黒澤明がいなければ今の日本映画はなかったということでしょう。