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映画、書評、ジャズなど

「モダン・タイムス」★★★★★

映画

モダン・タイムス [DVD]

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 私は、最も好きな映画は何かと問われれば、迷うことなくチャップリンのこの映画を挙げます。

「人間の機械化に反対して個人の幸福を求める物語」

 こんなタイトルで始まるこの映画は、近代工業社会を痛烈に風刺した、20世紀最高の映画といえるでしょう。

 冒頭の羊の群れと労働者の群れを対比させたシーン、オートメーション化された工場で労働者が機械のリズムで働かされるシーン、閉店後のデパートの中でチャーリーが目隠ししてローラースケートで滑るシーン、チャーリーの声が初めて聞くことができたティナティナを歌うシーン、最後にチャップリンとゴダートが手をつないで地平線の彼方へ消えていくシーン、どれをとっても映画史に残るものばかりです。

 この映画の柱は何と言っても、人間疎外に対する痛烈な批判です。つまり、機械化やそれに伴う徹底した合理化によって、労働者が非人間的な環境に置かれ、あるいは、仕事を失っている状況に対する批判です。そして、機械によって労働者を酷使している資本家への抗議です。

 チャップリン演じるチャーリーは、機械化された工場のラインの一部に張り付く労働者ですが、機械のリズムで働いているうちに、精神的にいかれてしまします。工場の機械の速さは、資本家の気分次第で決まります。食事の時間も惜しまれ、チャーリーは食事を給仕する機械の実験台にさせられます。

 こうしたシーンは、当時急速に広まりつつあったテーラーシステムやフォーディズムに対する批判であることは疑いないでしょう。チャップリンは実際にフォードの工場を視察もしているので、労働者たちの置かれた非人間的な環境を目の当たりにしたと思われます。また、チャップリンは、インドのマハトマ・ガンディとの会見から、機械にたよらない生き方を説かれており、それがチャップリンの思想に少なからぬ影響を与えたものと思われます。

 こうしたチャップリンの思想がストレートに表現されているのが、後の映画『独裁者』★★★★★のラストシーンの演説の中に出てきます。

「スピードの発達は、私たちをそのスピードのとりこにしてしまった。機械は私たちに富をもたらさず、逆に窮乏をしいています。知識は私たちを懐疑的にし、賢さがその人間を非情や冷酷にする。私たちはいま、よけいなことを多く考えさせられて、人間として感じることが失われてきています。機械よりも人間性が大事なのです。賢さよりも親切さややさしさが大事なのです。人間がこの大事な性質を失ってしまえば、私たちの生活は暴力に支配され、生活のなにもかもが破壊されてしまうでしょう。」(江藤文夫『チャップリン』p16−17より抜粋)

チャップリン (岩波ジュニア新書)

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 チャップリンが『モダン・タイムス』で訴えたかったことが、正にこの演説の言葉に凝縮されていると言えるでしょう。チャップリンは何も機械自体を否定しようとしていたわけではありません。

「機械を利用して人間を奴隷化している資本主義を敵視している」(岩崎昶『チャーリー・チャップリン』p138)

のです。

 この映画の次の見所は、チャーリーがティナティナを歌うシーンでしょう。このシーンは、ショーで歌う歌詞が書いてあるメモをなくしてしまったチャーリーが、とっさに意味不明な言葉で歌い始めるものです。この映画が作られた時代は、それまでの「サイレント映画」から映像と声が組み合わさった「トーキー映画」へと移行しつつあった時代でしたが、チャップリンは、頑なにサイレント映画にこだわります。それは、チャーリーというキャラクターはサイレント映画の生み出した傑作であり、サイレントの中でこそ存在し得るものであることをチャップリンが認識していたからの他なりません。そのチャーリーが最初に声を発したのが、このティナティナという意味不明な言語であるところに、チャップリンのトーキーに対する皮肉が込められているわけです。

 岩崎氏は次のように述べています。

「この歌(=ティナティナ(筆者注))はむろんトーキーをからかったものである。…この歌は、音によるパントマイムなのである。」(岩崎昶『チャーリー・チャップリン』p143)

 チャップリンのパントマイムの演技は、サイレントの中で鍛え抜かれたものです。声がなくても、チャップリンの演技からは、声によるメッセージ以上に鮮明なメッセージが伝わってくるのですから、その演技力には脱帽せざるを得ません。

 そして、チャーリーとゴダートが手を取り合って歩いていく最後のシーン。当初この場面は、尼僧になったゴダートとチャーリーが別れるというものだったようですが、結局、2人の未来が開けていることを感じさせるこのシーンとなったもののようです。近代工業社会を批判しながらも、人間が疎外された状態から脱却し、自由に生きていくことは決して不可能ではないのだ、というチャップリンのメッセージのようにも受け取れます。

 この映画は、今の時代に見てもそのメッセージは全く古くなっていないし、むしろ、今我々が日常生活の中ですっかり忘れてしまっている問題意識を甦らせてくれるものです。今日、IT化が進んだことによって、我々の生活はますます便利になった面もある一方で、IT化によって我々の仕事のスピード感がますます求められるようになっています。本来ITは我々の仕事や生活の利便性向上のために導入されてきたものであるとすれば、それによって我々が逆にスピードのとりことなっているのだとすれば、正にチャップリンが半世紀以上も前に鳴らした警鐘がそのまま当たっていると言えます。

 何度見ても、学ぶべき点が多く、その都度関心させられる映画です。